偶像否定の宗教があります。一理あります。理屈で考えるとそうなります。
そういえば、偶像否定の宗教地域から彫刻の芸術は生まれているのかな~?建物はそれなりにありますが。でもほとんどワン・パターンですよね。
祈りは通じるという話しがあります。円空の仏像には円空の祈りが入っているような気がします。または祈りや慈悲が表現された仏像に、それを見る人自身の心が映って癒されるのかも知れません。心理学的な効果があるとも言えます。
農耕文化と遊牧文化、緑の文化と砂漠文化、基本的に何かが違うのでしょう。砂漠に八百万の神の文化は存在し得ない。砂漠しか存在しないのだから。
聞くところによると砂漠の中に入っていくと癒されるそうです。そうすると癒しのために偶像は必要ないですね。砂漠に偶像はなじまない。
日本の森は、植林されたところは別にしてほとんど雑木林です。いろんなものが雑多に存在しています。八百万の神の思想が自然に生まれますね。八百万の神を産んだ大元の神という思想もあり得ます。天風教義ではそれを宇宙霊と呼んでいる訳ですが、八百万の神と宇宙創造神の思想と同居も可能ですね。
砂漠地域では、ほんの少し存在するオアシスの取り合いになります。他者肯定思想では自分の種族が滅びてしまいます。森の形態とそこに住む民族の思想とは相似形という仮説を唱えています。誰が?私が。
地球レベルで見ると、雑木林ではないけれどいろんな形態が同時に存在している。その形と相似形の思想を世界平和のために作る必要があるのかも知れない。確かに世界は狭くなって、共存の方向に時代は向かっているのは確かですね。まだ略奪文化から抜けられない人口の大きな国があります。近代思想文明が百年は遅れているということですね。
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