秦の始皇帝の兵馬俑が西安(秦の都)の北東36キロにあるんですよね。北東は鬼門ですよね。始皇帝はペルシャ人で兵馬俑の兵隊もペルシャ系の顔をしているそうです。確かに、兵馬俑の顔は漢民族の顔ではないですね。では、これらの兵隊は何から何を守ろうとしていたのだろう?始皇帝による永遠の都市と永遠の命というような解説がなされています。私は、ひよっとしたら漢族からの略奪や漢族の邪霊から守るためのものではないのか?と仮説を立てました。
モンゴル帝国も帝国の管理にはペルシャ人を使いました。まあ、今の日本で言えばすべての官僚に外国人を使うと言うことですね。その方が確実で、正確で、不正が無かったからです。
清国(満州族による中国支配)においても税関の役人に外国人を高級で使いました。その方が安くつくからです。そう、漢族役人のネコババ、賄賂などによるロスが、外国人を高級で雇うよりはるかに大きかったからです。歴史書にそう書かれています。
中国の歴史において漢族による支配というのは実はほとんどありません。また国家という概念もありませんでした。清の末期において外国との条約の際に清という一族の名前を国家の名前にしたと言います。今の中国は、中国の歴史の中でまれにみる漢族支配の時代なのです。中国国家軍というのも実は今も存在しません。中国共産党私兵である中国共産党を守るための人民解放軍なのです。・・・と、本には書かれています。
というような歴史を考えると、長い目で見るとこれから何が起きるか分かりません。
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