音の無い静かな部屋で絵を描いたり、本を読んだりしていて、集中(一心)からふっと意識を放して無心になったときに、また静かな森の中を歩いているときに、”シーン”という音が聞こえてくる。それが天の声なのだが、それは多くの人が経験している。それ自体は何も特別なことでは無い。
そのシーンという音を、日常生活の音の中で、また滝の音のそばで自在に聞けるようになることが修行なんですね。周りの音がどうあろうと自分の心の中が静寂である時、なおかつエネルギー・レベルが高いときに自在に聞こえるのでしょう。まずは安定打坐の中で、環境に関係なく、自ら聴けるようになることなんですね。心が自分を放し心が静寂でないと聞こえてこないのだら、安定打坐の深さのレベルの目安になる。
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