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思考

思考は言葉によってなされる。当たり前のことと思うかも知れないが、当たり前ではない。「好き」と「嫌い」というふたつの言葉しか知らない人は、すべてに、「これ好き」か「これ嫌い」しかない。まるで大衆の思考のようですね。大衆にはもうふたつの言葉ある。それは「心地よい」と「心地悪い」ですね。人は常に自分にとって、その時点で心地よい方を選ぶ。
言葉の数が多いほど思考は広く深くなるのは必然ですね。言葉はイメージと結びついています。イメージの無いものは言葉が無い。言葉が無いとイメージが無い。だから言葉を知らない人に教えることは出来ない。
驚くのはお釈迦様の残した言葉はお経になっているのだけれど、本当にお釈迦様はそんな難しい言葉を使っていたのだろうか?という疑問はあるのだけれど、どちらにしても二千五百年前や二千年前にあれほどの言葉が使われていたということは驚くべきことです。たとえば、空色即是空という言葉あります。言葉があるということは、観念があったということです。二千年経ってもほとんどの人は空も色も理解できない。もちろんその解説本はありますよ。その解説の知識を読んで分かったと思えば大間違いですね。日本人の思考の中に空も色も無い。それは仏教の翻訳の本の中に書かれているだけで、日本人の生活の中には無い。空も色も仏教の原典を訳するときに中国語の空と色という漢字を使っただけだから、お釈迦様の持っていた本当のイメージは違うのかも知れない。
英語のラブに当たる日本語は無いと言います。とりあえず愛と訳しているけれど。日本人にはラブに当てはまる観念が無いらしい。ラブを愛と訳して分かったつもりになっている。それと同じですね。
本当に言葉は神から与えられているものかも知れないと思ってしまうほど言葉は不思議だ。
私は赤ん坊や幼児はどのようにして言葉を覚えるのだろう?どのようにして使えるようになるのだろう?と観察しているけれど本当に難しい。言葉というのは元々赤ん坊の中にすべて存在しているのではないかと思ってしまう。すべての言語がすでに入っていて、必要なその言葉の引き出し方を母親に導かれているのではないかと。
「最初に言葉ありき」というのが聖書にあります。意外に人間の常識的思考の範囲の中にその意味は無いかも知れない。言葉や思考というのは本当に不思議だ。
「赤ん坊は母親からひとつひとつ言葉を覚えるのよ」と考えるだけの人は幸せだな。










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