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放す

生き直す、自分が変わるためには、自分のすべてを一度差し出すという行為は必要なこともあるというふうに考え始めたな。確かにいろんな宗教団体は信者に財産を差し出させているところがままあります。理屈としては間違っていないような気もし始めましたね。
自分が空っぽになって始めて真理と向き合える、自分が変われるのかも知れませんね。5万、10万で命を助けてくださいとか、運命を変えて欲しいとかという望みは虫が良すぎるという見方も出来ます。
運命を変えるとはひとつの命に匹敵するわけですから、命と同じ価値のものを差し出さないとバランスは取れないわけですね。差し出すと云ってもね、労働の場合もあるだろうし、お金の場合もあるだろうし、時に身体の場合もあるだろうし(その身体に価値があればの話しだが、はははは、大抵は無い)。
自分の何を空っぽにするのかということですね。空っぽにしないと新しいものが入ってこないというのも真理だろうし。
こういう考えは今まで完全否定していたのだけれど、いろいろ人を見ているとそうでもないかな?と。心が正しく自立したら、それからは差し出す必要は無くなると思うけどね。
心の病になっている人は、結構、金銭的な欲とか執着がある気がするな。自分のお金を失いたくない欲、愛情を求める欲、理解して貰いたいという欲求、そういうものを放さないと心の病から脱却出来ない気がする。手っ取り早いのは持っているお金を一度全部放してしまうことですよね。(その時は私にご一報を。世のため人のために使って上げる。)でも、あうだから、こうだからと言って手放す勇気が生まれない。心を病んでいる人は大抵勇気が無い。
勇気って何だろう?自分から自分の考えを放して、問題にぶつかっていくことですね。心を病んでいる人は自分から自分の感情や考えを放すことが出来ない。
私が言いたいのは、お金そのものでなく、自分の心の中で執着的に持っている何か大事なものを放すという行為が必要だということ。一度、すべてをゼロにすること。一度手放すことで手放す勇気を獲得すれば、そのこだわりが無くなっているだろうから、それからは放す必要が無いと思いますけどね。放すのはお金が分かりやすく手っ取り早いから。次々に手放すことを求める宗教団体は、その宗教団体自体がこだわりと執着を持っているからおかしいんですね。
天風先生も自分の財産を手放した。
まあ、以上はひとつの見方です。私も推奨しません。責任取れないから。
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