麻薬なんかの世界は知らないけれど、誰もが、「自分はいつでも止められる」と思って始めるのだろうと思いますね。そして、「これぐらい、まだ大丈夫」、「まだ大丈夫」と思いながら、だんだん習慣になる。それでもやはり自分でやめようとすると、「親にばらすぞ」とか「警察にばらすぞ」とか「会社にばらすぞ」と脅され足抜けできなくなるのではないだろうか?そして麻薬中毒になる。させられる。
男と女の不適切な交流も、最初は自分が利用しているつもりが、「もうやめよう」と思っても、「結婚しても内緒で続ければ良いのだから。止めれば仕事の条件を変えざるを得ないな」と相手から弱みを握られて強要されるようになって止めるに止められなくなる。当然、そういう選択をした相手も因果応報で家族崩壊することになるな。相手に子供がいれば、その子供もまともに育たなくなる。自分もまた誰かに見られて、「おまえのフィアンセ(または女房)が男とホテルから出てくるところを見たぞ。別れた方がいいぞ」と自分の大事な人の耳に入ることになる。お互いの欲と打算で繋がった関係は、いずれ運命の共倒れになる。
そのカルマが残って来世でも再会して、そのカルマの解消をすべく更なる悲劇として再現される。そこで問題解決しなければ、更に次の来々世に持ち越される。
そういう人を、”運が悪い人”と言う。まあ、誰でも多かれ少なかれ、そういう面は持ってはいるんだけどね。だから人間に何回も何回も生まれている。
何事も崖から飛び降りる覚悟で思考を変えないと人生は変えられないな。
天風教義でも、どの理屈よりもコップの中の水を空っぽにするのが一番難しい。
かつて、生まれ変わりは時間軸を越えて同時に存在するケースがある話しを書きました。誰もそんな理屈は理解できませんでしたが、そういう事例をもうひとつ見つけました。この二人の過去世は似ているのかも知れない。生まれ変わった時にXは右の選択をして、Yは左の選択をしたというように観察していたのですが、Xが生まれ変わるとYの人生になるのではないかと思い直している。
運命とは不思議なものです。そして因果律は間違いなく時間を越えて存在している。そのカルマを解消すべく試練や運命に出会う。それは自分の感情や理屈に従うと乗り越えられないものだな。真理とか霊性心に従わないといけない。霊性心に従うと言ってもその方法や感覚を身に付けていないから問題解決出来ない。身に付けていれば元々そういうことはしていない。これもパラドックスだな。
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