銅鏡が角度測定器であるという証明をしようと銅鏡の縁に付いている三角マークの数を数えてみた。108あった!ヒエー!という感じ。その内側に半分ずらして別の108個のマークが付いている。すなわち円周を216等分している。216分の1の精度だということですね。108を1/3ずつずらして3重になっていて1/324精度になっているのもある。でも基本は108ですね。108の意味は、「煩悩の数」というような単純なものでなく宇宙の何かが一回転する基本的な数字だろうと予測して調べてみた。
「庶民には難しいことを言っても分からないので、煩悩の数と教えておこう」ですね。で、108を追っていくとインド哲学にたどり着いた。インド、恐るべし。108は「すべて」とか「万物」を意味し、古代インドでは元素の数が108と数えられ、108=12月x9惑星で太陽系の占星術暦らしい。で、太陽と地球の距離を太陽の直径で割ると108。太陽の直径は地球の109倍。まあ、約108倍ですね。108、恐るべし。
八幡神社の太鼓祭りの源を調べようとしたら、神社の配置の直線性や直角三角形性にぶつかり、それには測量器具があるはずだと考え、銅鏡、銅鐸、銅剣にぶつかり、銅鏡を調べると古代インドの数秘術にぶつかり、いやはや、祭りから糸をたぐって、こんなところに来るとは夢にも思わなかった。銅鏡や銅鐸についてこんな説明がされている文章は今のところどこにも見つからない。そんなことどこにも書かれていないし、テレビでそんなこと聞いたことがない、だからそんなことあるはずがないという思考をする人もいます。
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