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運と感

「楽観的に考えて、悲観主義で準備しておく。」、「信頼して、信じるな!」
とサラリーマン時代に上役(当時の常務)から教わった。
人の心や人柄は信頼していても、数字とか記憶とか間違いを犯す。だから部下の数字は信じるな!自分で再チェックをしろ!ということですね。
経営者は感と運が大事なんだけど、そこに意識を持って行かない、行けない、そしてそんな話しはバカにするのがサラリーマンですね。
悲観主義でいてそうならなけばラッキーと思えますね。天風教義とはズレるかも知れないけど。国防と原子力発電は徹底した悲観主義であるべきなんです。
そして対策を打って準備する。楽観主義と脳天気とは違うから。徹底した準備をした時に楽観主義になれる。天風教義は真理ではあるけど、そのまま現実に応用したら脳天気になっちゃう。表では悲観主義、裏では楽観主義ということかな?右手は調和、左手は信念の二刀流と同じで右手に楽観主義と左手に悲観主義?私もそういう合理的悲観主義ではないけれど、潜在意識に悲観主義が結構あるのかな?潜在意識を積極にしないといけないのかもね?どこをどう直せばいいのだろう?一般的には内観という手法で見つけて是正する方法があるけど行ったことは一度も無い。
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C国良いとこ一度はおいで


先日、公民館で何かの活動を終えた人たちが会話していた。
「最近、C国に行っているの?」、「コロナで行けてないけど、行けたら南京に行きたいと思っています。」と日本人が会話していた。私の頭は????ですね。

日本人バカ?

テレビを信じるのは戦後生まれの新興宗教を信じるのと同じですね。テレビ教。

判断は各個人で。私はWチンは一回も打っていない。政府や厚労省やテレビを信じるようなバカじゃないから。歴史を勉強していたら、そんなこと分るでしょうということです。勉強していない人程、テレビを信じるということですね。

10年に一度の大寒波

「10年に一度の大寒波」と言うのならば「平成何年と同じ程度の寒波になるので、その時を思い出して準備・対応してください。」となぜ言わないのだろう?テレビはいつも大袈裟に言うよね。10年に一度なら中学生以上は、または年齢に合わせて何回も経験しているのだから、「10年に一度ごとに経験している寒波だから注意して安心してお過ごしください。」とニュースはなぜ言わないのだろう?不安を煽った方が視聴率を取れるからね。その手にまんまと乗ってしまうのが団塊の世代を中心とした年寄り世代ですね。

人道に対する罪

「人道に対する罪」というものがいつの間にか生まれた。「平和に対する罪」というのもある。「人を助けなかった罪」というのも生まれてくるだろう。
いつの間にか「国民の知る権利」というのも生まれた。「報道する権利」というのもある。テレビ新聞は「報道しない権利」を黙って行使しながら都合のいい時だけ「報道の権利」を言う。殆どの人はいつそんなのが生まれたか?昔からの人類普遍の権利の如く何も疑問に思わないで信じる。権利が生まれるのは人類の進化かも知れないが。
昔から大事な事は隠されている。「知ってどうする?」というのを考えない。
メディアに国民は如何に洗脳されるかですね。普通選挙権というのもいつの間にか与えられた。「選挙権は税金を払っている者の権利」という方が理屈が通ると思うのだけれど、判断能力の無い寝たっきり老人にも「一票の権利」があるのはなぜだろう?なぜ人は疑問に思わないのだろう?人は一度与えられたものは手放さない。日本は国民が自ら闘って手に入れた権利は何かあるのだろうか?老人の権利が強過ぎて若者の未来が作れないのが今の日本ですね。


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