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卑怯な国、日本

今、世界で一番卑怯な国は日本だと思う。政府も右傾向の評論家もアメリカに北を武力で叩いて貰いたいニュアンスの発言を繰り返している。
北はこれからの交渉でアメリカに届くICBMは開発を止めるだろう、しかし現状維持は認められるだろうし、内緒で核とミサイルの開発は続けるだろう。それで一番脅威を受けるのは日本。それは日本にとって一番困ったことになる。
なので、今、北を攻撃して北の核開発と現状保有の核を破壊して貰いたい。今を逃せば日本にとっての状況はますます悪化するだけ。
そういう理屈ですね。その理屈はよく分かる。
しかし、それは、「日本は憲法九条があるから日本はいかなる軍事行動も犠牲も払うことは出来ません。アメリカの兵隊さん、日本のために死んでください。」と言っていること。そんな卑怯な国は他にありません。
日本がアメリカの軍事行動によって守って貰いたい場合は、まず自ら憲法を改正するのが筋だと思うな。「私、見学しているから、あなた、私のために戦って!後で食事ぐらい奢るから。」と言われて誰がその気になるか?ですね。
こういう状況になるのは何年も前から分かっていたこと。多くの日本人は、世界の現実と未来に起きる可能性を見ることが出来ない民族になっている。子供達を引き連れて自ら津波の中に入って行ったかのような大川小学校の教師達みたいに。多くの日本人は大川小学校の子供達のようになりたいらしい。
「どういう形であれ、戦争はイヤ!」が女のシンプルな意見。なぜなら、
「私の命と生活を守ってくれるのなら、亭主は北でも中国人でも構わないわ!へなちょこの日本の男よりよっぽどか良いかも?」が女の遺伝子の考えだから、憲法改正はなかなか難しい。「私が安全なら日本はどうなっても良い、」というのが多い日本だから。国を失った民族の悲劇を日本人は知らなすぎる。
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仁和寺展

今日午後暇だったので上野の国立博物館へ仁和寺展を見に行った。2時前に着いたが20分待ちだった。それにしても日本人は仏教展には本当に多くの人が見に行くよね。凄い国だよね。それでいて無宗教だと自称する人は多い。
ついでにその帰りに「アラビアの道」展にも立ち寄った。親しみは感じなかったが、100万年前の石器が飾られていた。人類がアフリカからアラビア半島に移動した時のものだと書かれている。本当かな~?という感じはした。その他にも、アルバイトに作らせたねつ造品(または再現品)じゃないの?という感じのものも多かった。まあ、私がうがった見方をしい過ぎるのかも知れないけど。世界には金のためにあらゆることをする人達は多いからね。中世のものとしてはコーランがいくつか飾られていたけど、いや確かに本物は不思議なエネルギーはあるね。それは感じた。
まあ、日本は本当に幸せな国だな。仏展の隣の建物でアラビア展をしていて、同じ公園の近代美術館ではヨーロッパの芸術展を同時にしている。そんなのまるで奇跡の国だよね。1200年前の空海の書を見て、人類がアフリカを旅立った100万年前の石器と7千年前の石器や壺を同じ日に見てるんだよ。
しかし、最近、「雑兵たちの戦場」という本を読んでいるが、日本は、と言うか?日本もこんなに酷い国だったんだ?というショックを受けて落ち込んでいる。
ただ言えることは、日本は確実に国民の質が年々進化しているということですね。50年前の大阪では電車のドアの前に並んではいなかった。我先に降りて我先に争って乗っていた。タバコの吸い殻を道に捨てる男は日本中多かった。3.11以降、関東では車の道の譲り合いは本当に素晴らしい光景になっている。毎日、ドライバーのマナーやスーパーや何かの店で働いている人を見て、日本は本当に素晴らしい国だと感心している。
日本人から見て当たり前のことは世界から見て当たり前ではない。

メールエラー

ブログを読んでメールを送って頂いている方で、返信をしてもなぜかエラーになって返って来ることがあります。無返信ではありませんので、ご容赦ください。
まれにプロバイダーの相性でメールが通じないアドレスがあります。
それにしても不思議だな~?メールに文章を書いて送ると必ずエラーになるけど、その文章をコピーして、新しいメールに貼り付けると送れるケースもあるようだ。何が違うのだろう?

命に気付けば、愛がもれなく付いてきます。コインの裏表の関係ですね。
人間から見ると、愛が表のように見えます。
命を気付くことは宇宙を知ることになります、そして愛の発信者になります。

悟り

悟りとは、
死生観の確立と、命の凄さ、素晴らしさに気付くことだと思うんですよね。超能力なんかいらないし、関係がない。命は命をかけて守る価値がある??
親や教師が命の存在の凄さ、素晴らしさを子供に教えることが出来れば、子供のいじめなんてものは無くなる。大人同士の間のいじめも無くなる。それとも大人の世界のいじめが子供の世界に反映していじめが起きている?政治の世界はいつも、いじめの世界みたいだね。
死生観と命の存在の凄さというのは、天風先生はあの手この手で教えようとしているが、天風会では教え切れていない。それは教える人がまだ悟っていないから、それらが分からないからですね。会員も先生方も一人一人はまじめで誠実なんですが。「何の本にこうこうしかじか書いている」では、まったく分かっていないことになりますね。知識では分かる世界には入れない。
理入というのは知識や理屈(理論)から理解することを言うのではなく、瞑想の中で悟ることを理入と言うんですよね。でも瞑想の前に知識を入れておくことは必要。知識が瞑想を通して身体の中に染み込んで行く。瞑想中のイマジネーション力が必要なんだろうな?だから真理瞑想中はメモを取るな!と。
メモをしている時はイマジネーション力が働かないから。話がまた逸れた。
とにかく、命の素晴らしさが分かっていれば、黙祷ぐらいは自然に出来るよね。そういう意味では宗教の方がまだ真理に近い?


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