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あなたは信じますか?




こういう形のアメリカ侵攻は最高だよね。私は日本人だけれど、日本人は怖いと思う。兵法書の孫子には、「訓練において整然と並び、整然と行進する軍隊を有する国とは戦ってはならない。なぜなら、彼らは戦争において強いから。」というふうに書かれている。この高校生達だけでなく多くの日本の高校、大学でのマーチングのみならず日本人の集団の整然とした行動は、いざとなった時、そのまま軍隊の行動になる。彼らに楽器の代わりに銃を持たしたらそのまま最優秀な軍隊に早変わりする。いざとなったら日本人は怖いよ。分かる人はそう見る。彼女たちは先の大戦で死んだ日本の兵隊さん達が、こういう形で生まれ変わっているのかな?彼女たちは、戦後の軛(くびき)から解き放たれた日本人だな。強制されたものでなく、クラブ活動として自ら入っての活動だから凄いよね。
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難民、移民

イスラム教徒によるアフリカやシリアからのヨーロッパへの難民や移民は現代版民族大移動だと思うな。アメリカも数十年後にはキリスト教徒よりイスラム教徒の人口が多くなるらしい。西洋文明はかつてはイスラム文明より遅れていたが、産業革命からの西洋科学産業がイスラム世界を支配した。しかし科学文明が停滞し始めた時、イスラムは難民、移民という人口移動という武器に寄らない形で新しい侵略を開始した形だな。個々人に侵略という意識はないけれど、長い時間のスパンで見るとそうなるかも?
貧しさという武器は、鉄砲という武器に勝るという証明かもね?西洋国家はアフリカやイスラム地域を植民地にしている間に、そこから収奪するだけでそこに産業を興さなかった。そのツケが回ってきたということかな?
日本は朝鮮半島や台湾や満州に産業と教育を興した。それが現代それら地域の発展に繋がっている。もし、日本が半島で産業を起こしていなかったならば、日本は今の西ヨーロッパのように混乱と混沌になっていたかも知れない?
ドイツを中心とした西ヨーロッパもイスラムからの移民を低賃金労働者として利用してきた。ドイツ経済の、特に自動車産業の好調さもそれが主原因だという説もある。日本も半島からの難民、移民という問題を長く抱えている。表に出ない、出さないだけで。そういう中で日本は他の国に比べればうまくやっているのかも知れない。そういう人達を何百年に渡って一定の区画に閉じ込めて来たから。そして徐々に社会価値観を同化させてきた。それでも今なお深い闇をたくさん抱えているが。日本は内乱や虐殺、民族浄化などしないで平和的解決の先駆者かも?解決と言うより隠すすべを発展させてきたということかな?
森友問題なんかもその一つだったんだよね。そういう穢れ地に小学校を建てることで土地の価値ロンダリングをするつもりが、それを誰かが建前で問題にした。しかし本当の理由を知っている人は誰もそれを口にすることは出来ない。

こんなのありましたが?

日本のテレビや新聞はこういう場面を報道しているのだろうか?
クリック→→平昌での安部さん

根性無し、

今日は1日動く予定が無いのでプチ断食をしようかな?と思っていたが、
そういえば昨日、「富士吉田名物 吉田のうどん」というのをパルコの地下で買っていたのを思い出した。15分茹でるタイプで面倒だが、食べないわけにはいかないな、と思い断食は昼で止めた。根性無しの私です。ははははは!

変わる勇気

今日は日曜行修会はお休み。真空の一日だな。で、7時半まで寝た。
何もすることのない1日というのも時に必要なのかな?良いもんだな。
昨日(土曜)はいつものように、先週お休みして津田沼へ英語に行ったけれど、先週は見学者が4人ほど来たらしい。で、一部の女性陣が、「人数は今がちょうど良い。新しい人が来てレベルが落ちるのは困る。新しい人の参加は断るべきだ。」という意見を言い始めた。私はそれを聞いてとても悲しくなった。
「心配しないでもなるようになる。流れに従えばいい。」と私は言ったが、勉強会は公民館活動なので、勉強会は器であり、来たい人はいつでも来れる、勉強したい人、楽しみたい人をすべて受け入れる、という原則を考えないで、自分の都合だけを考える人がいるのはショックだ。来て勉強したい人は誰も拒否しないという原則で、かつて英語の勉強に意欲のある耳の聞こえない人を受け入れて会がガタガタになったことがある。でも、それに後悔はしていない。「人を捨てない。」というのが私の原則のひとつだから。来るのも来ないのも自由意志だ。公民館活動は人の自由意志を受け入れる場でもある。
「人様の役に立つことが楽しい」という発想を持たない人は、いくら英語を勉強しても無意味な気がする。語学の勉強は、それを通して人間を作ること、人格を磨くこと、すなわち新しい人とのコミュニケーション能力を上げることだと思うが。
人数が増えればそれに合わせてこちらのやり方を変えれば良いと思うが、変えたくないと強く主張するのは二人。一人は向精神薬を昔から飲んでいるらしいし、子供は親を選んで生まれてくるというが、この人を母親にしたいという子供の魂が天国にいなかったのは分かる気がする。
もう一人はその息子が40歳を過ぎているけど、引きこもりだと言う。母親が自分の価値観を持ち過ぎるために子供が萎縮して引きこもりになったんだろうと思うけど、自分が子供を引きこもりにしたという認識はまったく無いようだ。
おおらかに人を受け入れる、変化を楽しむという心が無いと人生が勿体ない。
日本人は変える勇気が無い、アメリカ人は変えることを楽しむ、という面があるとある人は言っていた。日本人が変える勇気、変わる勇気を持つには、まず憲法を変えないといけないと思うな。憲法をまず変えることで、他も変える勇気が持てるのかも知れない。日本人の勇気の無さは憲法から生じていると思うな。
憲法九条なんて植民地に強制する憲法だよね。「殺されても刃向かいません。」というのが九条だから。「自衛権は国家として憲法以前の自然権である」という解釈をする人もいるけど、それならそれを憲法に書けば良いと思うのだが、国家には自衛権という自然権があると憲法に書き込んだ改正をすべきだと主張しないのはなぜだろう?また話が飛んだ。


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