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二十四の瞳の小説の分教場跡。私も通った。小豆島の人も知らない人が多い。壺井栄が小説を執筆していた当時、大石先生ならぬ白石先生という名前の先生が本当にいた。良い先生だったらしい。小説の中の子供の名前もこの村の苗字が多い。
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壺井栄が小説を書いた部屋。
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壺井栄の夫の繁治の碑。
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「落ない石」
受験生の聖地とのこと。初めて知った。観光案内英語版でspiritual spotと紹介されている。
高松の高2の時の先生の家に4人で伺って来た。先生本人も来年の夏までは命が持たないだろうことを示唆していた。これからどう覚悟を持つのかが課題だと言っていた。一緒に行った同級生の一人もそう長くないだろう。本人はあと20年生きるつもりだと言っていたが。「20年の計画を立てて、なおかつ明日死んでもいいように今日一日を生きるのがいい。」と私は言った。
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