忍者ブログ

カレンダー

05 2026/06 07
S M T W T F S
8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
村長さん
性別:
非公開

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

忍者アナライズ

[1029]  [1030]  [1031]  [1032]  [1033]  [1034]  [1035]  [1036]  [1037]  [1038]  [1039

自死

西部邁氏の自死について私には是非を判断出来る立場も知識も能力も無い。
15年ぐらい前の1月2日に私の友人であり先輩である、ある人がある駅で特急の前に飛び込んだ。彼の奥さんも私の友人だ。人が羨むほどの恵まれた幸せな家族生活をしていた。見た目も良く、頭も良く、いろんな趣味を持っている県庁の課長だったが、部長になれる出世が見込めない立場に立たされ、また仕事で何かの失敗をして鬱になっていたという話だが、正確なところは分からない。
その直前の12月末に彼に10年ぶりぐらいになぜか電話しようかな?どうしようかな?と思ったがしなかった。あの時、電話していれば彼の気分転換になって電車に飛び込まなかったかも知れない?という後悔は残っている。
事故死や病死なら彼の奥さんを慰めることが出来るけど、自死では何をどう言って慰めていいか分からない。だからずーっと彼女に会っていない。
いろいろ本を読んでも、自殺は魂が彷徨うことになる、上に上がれない、成仏しない、などと書かれている。鬱による自殺は、ガンなどによる病死と同一というように書かれている本を10年探したが見つからなかった。どこかに自死者やその残された家族の救いになる理屈はないのだろうか?自死者も時が経てば生まれ変わってくるらしい。そういう過去生の記憶の事例はあるようだが。ちなみに特攻などによる人や国を守るための死は自死の中に入らない。
クリック→→こんなのがありますが?
思い出しました!ある神道系の修行者が、「神が認めないものは存在しないし起きない。起きたことは皆、神が認めたことだ!」と言っていました。
「う~ん、そうなんですかね?」と?マークで応えましたが、今はそれを信じたい気持ちですね。それにしても、そう言い切れる修行者は大したものですね。
PR

講師

講師になるには、一定の枠の中での理解と解釈と説明能力が求められる。
すなわち講師は心の自由を失うことになる。教義の何か会得すると、それを自分の言葉で説明できるようになる。しかしそれは往々にして講師の規定の枠を越えることになる。それはまた往々講師を認定する人の理解能力の外になる。
教義の会得は、心の自由の中でしか存在しない。どれだけ本を読み込んで、説明をどれだけ覚えているかではない。「あっ!これっ!?」なんですよね。
それは皮膚感覚であり、言葉にならない心の中の感得なんですよね。その表現はひとりひとり言葉が違う。講師によっては型にはめられて鬱屈する人もいるかも知れない。講師に解釈と表現の自由さが無いと天風会は発展しないかも?
会社が人を採用する時に、面接する面接官の責任者(主に人事課長)以上の人間を採用することが出来ないと言われています。人は自分より優秀な人間を観ることが出来ないらしい。だから部外者を面接官の中に入れる企業もある。
心の自由を維持するために組織の中に入らないのもひとつの選択ですね。

講師のストレス

安定打坐や天風教義を自分は分かっていないのが分かっていて、分かっているような顔をして教えないといけない講師。
分かっていないことが分からないで、自分は分かっていると錯覚して教えている講師。この二通りがあるね。自分で分かっていないのが分かっていて、分かっている振りをして教えないといけない講師はストレスが半端じゃないと推測するな。私も日向ぼっこ村や宙の風勉強会でも、その数日前に、「勉強会中止!」と叫んで止めたくなるもんね。安定打坐を指導するのはそれだけ深く怖いものだから。前で、ブー、チーンを鳴らすだけじゃないかと思っている人もいるが。
講師のさらに上に立つ人は、この人に何をどこまでやらすことが妥当なのかを判断できる能力が必要なんだけど、どうなんでしょうかね~?それぞれ家庭の状況までも考慮しないといけない場合もあるしね。それに最近、行事をやり過ぎだよね。講師やリーダーに負担がかかりすぎているんじゃないかな?それぞれ本業の仕事を持っているのだから。

森友問題

今夕、クリーニング屋に引き取りに行ったらラジオが森友問題を言っていた。
女評論家が森友問題で安部首相を批判していた。日本国民の不幸だな。でもそういう野党を選んでいるのが国民だし、そういう批判する評論家の意見を聞いて、「もっともだ」と納得している年配の国民。隣の国を批判できない。
時代は革命的に変わっている!下の1:45から2:00まで15分間を参考に、

世のため、人のため?

天風会のみならずいろんな勉強会や宗教では、「世のため、人のため、」と言います。確かにその通りなんだけど、家は世の中の出発点だし、家族も人なんだよね。家族をないがしろにして、「世のため、人のため、」と会の活動をやり過ぎるのも如何なものでしょうか?そこを誤解している会員は多いのではないだろうか?人間、まず必要なのは皮膚感覚の愛情満足なんですよね。幼少期にそれをきちんと得られていた人はまず問題ないけれど、そうでない人は常に無意識のうちにそれを求めている。それは、べき論や教義では補完出来ない。土台が出来ていない所にビルは建たないのと同じですね。まず土台を見つめることが大事だけど、大抵多くの人は自分の頭ではそれに気付いていない。
まじめで、頑張り屋で、強い責任感は、時に運命の仇になることがある。
「本能の満足無くして理性の満足無し」といつも私が言うのはそのことですね。「何の本の何ページにこう書かれている。」とか「誰それがそう言っていた。」というような知識ではダメなんだよね。最終的には宇宙霊の愛に包まれているということを実感することなんでしょうが、そこにたどり着くのはなかなか遠い。私もそこにたどり着いているとは言えない。


忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne