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覚悟

たいていの親は子供のために死ねる覚悟はいつも持っていると思います。
だから親は偉大なのですが、誰かのために何かのために死ねる覚悟を黙って持っていることは「男(漢)の条件」だと思いますが、一端ことあれば殺す覚悟も持っていることが重要ですね。死ぬ覚悟と殺す覚悟は裏表です。この殺す覚悟という理屈はなかなか分かって貰えない。特に女性には分からない。
自分は体格も無く力も弱いから喧嘩の強い大男に立ち向かっていけないという臆病な男もいます。普段は私も臆病なのですが、弱い男でも殺す覚悟、死ぬ覚悟で立ち向かわないといけない時が一生に一回や二回あるものです。その時に立ち向かうか、逃げるかで人生の本質が変わると思います。その万一の時の覚悟を見せていないから舐められるんですよね。で、伴侶や恋人に浮気されることにもなる。いじめっ子はいじめを遊びとしてやっています。遊びは命がけに勝てません。だから、いじめられっ子が命がけで立ち向かってきたら、いじめっ子はひるみます。単なるいじめという遊びのために殺されるのは割に合わないからね。それからは、いじめっ子はその子をいじめることは出来なくなります。
肉体的に喧嘩が強い弱いではないのです。覚悟の問題です。そういう覚悟は大抵の母親は教えることが出来ません。それは父親やお祖父さんの役割ですね。
そしてそれは大抵は言葉でなく背中で教えるものですね。
普段、優しくて柔で大人しい人が、いざという時に臆病かというと違います。そういう人ほどスイッチが入る(覚悟する)と強くなります。日本兵が強かったのは、普段は優しい兵隊だったからですね。残念ながら、偉くなるにつれ普段強がって、いざとなったらヘタッたのが日本の将校ですね。
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無題

どこの会社も今日で今年は終わり。私は終わりでは無いけど。

最強の傭兵=グルカ兵なので「グルカ兵」で検索するとこれが見つかった。
クリック⇒⇒上の元の記事?
ついでにクリック⇒⇒へ~!この人も菜食主義?
肉を食べないと力が出ないという人もいるけどね。カール・ルイスも確か菜食に変えて成績を伸ばしたんだよね。僧侶は何百年も前から長生きだし。そう言えば、僧侶のガン闘病記なんていうのは読んだこと無いな。医者の闘病記はあるけどね。人口比で見ると僧侶の病率は低いと思うな。まあ、その理屈はいろいろあるだろうけど。
これも、ついでに、

みんな頑張ったんやね。あの日のあの時間、自分はどこで何をしていたかをすべての日本人が覚えている。そんな日は一生に一回あるかどうかですよね。
いえ、一生に一回ぐらいはそんな日に出くわすということかも?
その前は、きっと昭和20年8月15日だと思うな。その時のすべての日本人がその時を覚えている。3.11の後、被災者に対して、ほんの若干の寄付以外自分は何も出来なかったという慚愧の念を私の背中に背負っている。きっとそれは私だけではないと思う。多くの日本人が心の中に持っているのではないだろうか?
流れの中で見つけたこれもついでに、
クリック⇒⇒カルマの法則

素人とプロ

我々素人は本屋で、当然ですが自分が読んで分かる本を買います。だいたいは素人向けに書かれた啓蒙書、解説書です。私もだいたい週二冊は本を買います。それを40年近く続けています。しかしそれらをいくら読んで知識を入れても素人の枠を越えられません。専門書一冊を読んだ専門家(プロ)に勝てません。それは宗教の世界でも科学の世界でも同じですね。
素人は頭で読みますが、プロは一冊を肚で読みます。
肚に入った一冊は、千冊の知識を越えます。
素人の延長線上にプロの世界はありません。
素人は知識で分かったつもりになります。
でもプロがいつも正しいかどうかと言うと、それはまた別問題になります。
プロの世界に入った瞬間、世界が変わるのです。景色が変わるのです。
プロとアマでは見えている世界が違うと言うことです。
私も大学では卒研として「一般相対性理論」を一生懸命勉強しました。
一年間で一冊の本を読んだだけですが、生まれて始めて勉強というものをした感じでしたね。難しいけれど勉強が楽しいと始めて感じました。社会でまったく役に立たない学問だと分かっての勉強だったけど、一年間、あんなに勉強したことはなかった。もちろん充分に理解は出来なかったけれど、今、本屋で素人向けに書かれている宇宙物理の解説書なんかは読みません。
36歳で独立した時の私のモットーは、
「仕事は偉大な素人でありたい、生きることは小さなプロでありたい」
というものでした。両方ともまだ達成していないな?
仕事は人から(小さな)プロと評されも、生きることは素人の域をまだ出ないな。
素人の人間のまま終わるのだろうか?
プロになれる人は幸せです。でもアマのまま人生を終えられる人も幸せです。
人間、みんな幸せと言うことかな?いえ、ほとんどの日本人は、ということですね。自分の選択でプロにもアマにもなれる。そんな国や時代は少ない。



今、ここ

普通の人間は、過去・現在・未来を考えます。過去苦労(後悔など)、未来苦労(心配)もします。出家(僧侶になること)すると法名を貰います。それは今までの自分は死ぬことを意味します。仏の世界からものを見る立場に立つことを意味します。
普通の人間の世界には、過去、現在、未来という時間があります。仏の世界には時間がありません。すなわち僧侶とは時間の無い世界から見ることでもあります。
仏僧にとって「今、ここ」しかありません。「今、ここ」しか無いことは、「今、ここ」も無いのです。なぜなら時間が無いから。時間が無いから輪廻転生もありません。輪廻転生は時間があるからあるのです。
我々世俗人は国が襲われたら国や家族を守るために鉄砲を担いで戦いに行きます。仏僧にとって国は存在しません。国が滅びようと仏僧は国を守るために戦うことはしません。家族を守るために戦うこともしません。ただ敵味方、家族関係なく死んだ人間を成仏を願って弔うだけです。
チベットでは僧侶の焼身自殺があります。それは国を守るためではありません。仏法を守るためです。仏法は宇宙です。
生きている者、死んでいる者、関係なく成仏を願いながら、乞食僧として山の道でただ一人餓死することも、大伽藍の大僧正として死ぬことも何の違いもありません。仏僧とは本来そういうものですね。しかし現実はなかなか難しい。
仏僧は庶民の代わりに学ぶのです。だから庶民は自分の代わりに学んでくれている僧侶にお布施をするのです。お遍路さんへのご接待も同じですね。遍路に行けない自分の代わりに歩いてくれているお遍路さんをご接待するのです。
人間は、一呼吸一呼吸が命です。命を吸って命を出す。
仏僧は、一呼吸一呼吸が仏です。仏を吸って仏を出す。




面白い表現やな。そうやな~、こういう感覚、ある人はあるだろうな~。
魂の縁というのは一目で判るもんです。

最近、子供の頃、飼っていた犬、名前をハッピーというスピッツをなぜか思い出すことが多くなった。その犬は自然に死んだけれど長生きはしなかったな。
可愛い顔のスピッツだった。当時は犬を散歩に連れて行く家はあまり無かったと思うけど、いろいろ連れて歩けば良かったと今になって後悔している。
三毛ネコも一緒に飼っていたけどね。その三毛ネコは夜はよく私の布団の上で寝ていた。当時は近所で子犬が生まれたから、子猫が生まれたからと貰いに行くだけだったな。
昔の田舎では、そういうペットは当たり前の存在で、今のように特にかわいがるということはしなかったな。そういう意味では子供も家の当たり前の存在で、大人が子供を特にかわいがるという育て方は無かったな。今はペットも子供もかわいがり過ぎているかもね?





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