何度か書いているが、人間、過去世なんか知らない方が良い、遠隔透視なんか出来ない方が良い、普通が一番良い。普通の健康、普通の家族、普通の頭、普通が一番幸せだ。生まれながらに大きな責務を背負っている人は大変だ。暗殺されることもある。普通に生きられないから。普通の生活から、平々凡々の中から天才は生まれない。天才は天才で大変だ。世の中はすべて役割分担。
しかし怯える普通の人にはなりたくないね。コロナ・オミクロンの感染が怖いから外出しないという人もいるようだ。経験こそ財産。テレビを観るだけでは経験というものが出来ない。貴重な人生で経験をしない時間を持つことは本当に残念だな。人生の時間を失うのだから。私はコロナ禍で行動制限をしたことは無いな。本を読むのは大事だが経験して身体で知ることに価値がある。
パーキンソン病になって有難いな~と思うね。自分の身体でその対策に気付くことが出来るから。「なる程なる程、こういう時はこうすれば良いんだ。」と自分の体験と知恵による対処方法を人に教えらることが出来るから。
それにしても70過ぎると身体が潤滑油の枯渇現象によっていろんな変化が感じられるな。ちょっとの変化を無視してそのままにしておくと気が付いたら年寄りのチョボチョボ歩きしか出来なくなっていたということになるんだろうな?10年先の自分のために今自分を訓練をするという考えを10年前から持っている。そのためには天風教義の実践はとてもいいものだと思うな。たとえ手抜きでも毎日の呼吸操練や運動が大切だ。手抜き、いい加減が長く続くコツだな。真面目な人は途中で疲れて脱落していく。一度辞めた人はすぐに姿勢が崩れていく。
姿勢が崩れると腰痛だとかギックリ腰だとかいろいろ弊害が出て来る。自己流の体操も自分で自分の姿勢の変化に気付かないいんじゃないかな?そういう意味でみんなとやるとみんなを見ることで無意識に自分の姿勢が正される。
阿波踊りなんかを現場で見ているとそれだけで自分の筋肉が反応して歩けない人が歩けるようになることもある。年一回か二回の村祭りで踊ることは結果的に医療行為だったのかも知れないね。1年間のストレスの解消にもなるし。祭りの日はかつては殺人以外は警察はノータッチだった。その日だけはレイプ、浮気何でも許された。「子供が出来たらどうすんのよ?」という現代の疑問もあるだろう?「うちの三男はどこそこの誰に似ている。アハハ!」ということです。「あっちの次男は俺に似ているようだ。子供は神の子だ。」日本はかつては大らかだった。どうして私は固い家に生まれたのだろう?そう躾けられた訳ではないが。
宗教の持ついろんな規則の原点は元々は医学(当時の科学)だったと私は思っている。いつの間にかそれらがその宗教の宗教規範になっているだけで。牛を食わないとか豚を食ってはいけないとか、お参りの前に水で手をすすげ、とか。
そういうのは本では分からないな。現地で観察しないと。私はウズベキスタンに行ってそれが分かった。「なる程~、千年前、二千年前としては健康維持の必然の形だったんだ!」とね。ヒジャブも健康ための現地での必然だと分かった。
理屈では人は習慣にならない。宗教的なルールで縛って人は初めてそれを守れる。日本では宗教というと毛嫌いする人が多いが、マスクをすることも日本では宗教の一つになるかもね?もうなっているのかもね?日本教の規則に。
PR