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自他一如

生還して、「自分のバリアーが無くなってくる」と先生は書いていますが、自分の壁が無くなるということですね。鬱や引きこもりなどの心の病を持っている人は、自分の壁が高くて厚くて他の人が見えていない。
悟ると自他一如、自分と他人の区別が無くなるらしい。私はまだそんな心境は会得していない。確かに自他一如の境地になると自分の家族と他の人との差も無くなるということですよね?だから天風教義には家族という言葉が出て来ない?でも何事も段階があるから段階ごとに教える言葉が必要だと思うけど?
何事も相似形だから家族の平和が世界の平和に繋がる。家族関係が悪くて世界平和活動しているのは大きな矛盾になるよね。でもそんな人が何かを大声で叫びながら平和運動しているように感じるな。家族からいっぱい愛されて育った人は他者を強く責める活動には参加しない気がする。反戦運動や反政府運動や反基地運動をしている人達の顔は愛に満たされて育った顔をしているようには見えないよね。親への不満が政府への不満に転化しているように見える。
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生前葬?

高校の同窓会について何度も書いていますが、この夏に訪問したクラスメイトを除いて出席予定者には先生から多くの資料が送られてきているということです。
先々月か?赤血球ガンの上に脳内出血で倒れ、一命がさらに助かってその心境を俳句で日経に投稿したら載ったらしく、その詩とか、自分で作ったハイキング地図とか。資料を受け取ってそれぞれが役立つかどうかは分からないけど、受け取った同級生は先生のエネルギーと心に感動しているようだ。かつては教師をしている傍ら漆の研究もしていたんですよね。物理の先生だから。
香川県はうどんだけ有名だけど、漆産業も人知れず大きくあるらしいんです。
先生は瀬戸内海の航路の安全のために自費で何万部と正確な海路図を印刷して無料で配っている。航路図の作成には苦労したと言っていた。
今回の同窓会は同窓生による、まあ、ある意味、先生の生前葬ですね。

今日届いた先生からの手紙によると、
「(死から生還して)自分のバリアーが無くなってくると思いのほかいろいろな優しさや人生の味わいを持てることに驚いています。」と。
「脳出血より生還妻とまた冬日浴ぶ」日経12/16。

ふ~!

今日は徒歩一分のクリーニング屋に引き取りに行った以外部屋から一歩も出ずにひたすら朝から図面を描いていた。ふ~!
ちなみに天風教義の中に家族という言葉が出てこないね。なぜだろう?
まずは家族関係が一番大切だと思うけど、明治の男には家族の大切さという観念が薄かったのかな?「世のため人のため、責務を果たし云々」はあるけど、家族をないがしろにして世のため人のためはないんじゃないかな~?
天風会が伸びないのは、悲しみに対する受け入れ、家族問題に対する考えが具体的に足らないんじゃないかな?悲しみはまず受け入れることが大切だと思うな。積極はそれからだよね。頭のいい人は抽象的理論からの類推はもちろん出来るだろうけど、それでは多くの人は具体的には分からない。
「誦句集を覚えても難しくて具体的に分からなかった。」という言葉を辞めた人からまま聞きますね。前で話す先生方もほとんどは抽象論や知識を話すだけだから、それに、「怒らず、恐れず、悲しまず、力だ!勇気だ!信念だ!」と言っても親の自己満足だけで子供の鬱や引きこもりは治らない。

今夜の東京駅

例年のごとく今日も有楽町から東京駅まで歩いた。昨日の午前は何も無かったのに一日でこんなに変わっていた。

今日はクリスマス・イブ。銀座の道路は若い人でいっぱい混んでいた。
毎年末恒例になっている鳩居堂で書画展を見てから喫茶店に入ろうとしたが、どこも当然満杯で5人分の席が取れない。で、有楽町駅方向を目指しながら、あっちの方角、そこを曲がって、と直感のまま進んだ。で、秘密の喫茶店のような高級喫茶店がビル地下にあった。今年はさすがに無理だろうと思ったが、人数分の席がやっぱり見つかった。コーヒーや紅茶一杯千百五十円だったかな?
ビルのオーナーなど金持ちが、ちょっとコーヒー一杯と来る店なんだろうな?
あんな喫茶店知っているとデートで銀座の通として見られるな?
こんな喫茶店。

あらっ?

私のブログはマイナーなものなので多くの天風会員は読んでいない。
なので書くのですが、室外行修である古い会員がずいぶんいい加減な統一式運動法と積極体操をしていた。で、たまたま帰りにトイレで二人きっりだったので問いかけた。もちろん、もし、他に人がいればこんな失礼な問いかけはしない。
「お久しぶりです。○○先生の統一式運動法と積極体操はずいぶんいい加減ですね?」
「私のやり方が本当のやり方だ。私だけは昔に教わった方法を忠実に守っている。教義の委員会でそれを話しても誰も聞いてくれない。」
「そうなんですか?まあ、クンバハカと安定打坐は変えてはいけないけど、統一式運動法と積極体操は本質じゃないから多少変わっても構わないと思いますが?」
「私のやり方が他の人と違うということだけでも分かってくれると嬉しいよ。」
「そうですか?これからそういうことで観察させて頂きます。」
というような会話をした。
二人っきりの時によいしょする人はいても、切り込む会員は極々少数派。
まあ、私でなければ先生と呼ばれる偉い人にこんな問いかけは出来ないな。
体操の(細かい)方法でどちらが良いかは、それぞれを半年とかやってみて自分の体の反応を見て判断するのが良いと思うな。進化のための変化は良いと思うけど、今のやり方でも教わったことをきちんと実行出来ていない人は多い。
安定打坐の姿勢でも、講師の先生がいくら言っても坐る姿勢の癖を直そうとする人はほとんどいない。自分の姿勢の研究をする人は本当に少ない。
背中の曲がっている人は曲がったままが楽い姿勢だと思っているようだ。
姿勢は常に自分で工夫して研究しないと正しい楽い姿勢にはならない。
心の癖もそうなんだろうな?癖は自分で分かっていないことが多いから、自分で認識できないことは直せない。老人ケアーホームのつもりで来ている人は多い?まあ、それでも他に行くより立派なものだけど。


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