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行って来ました、参賀!

何事もテレビで見るのと直接目で見るのとは違うので行って来ました!参賀。
えっ?誰も歩いていない?どうなんてんの?
広い通りの真ん中を歩く私が間違っていた?
朝の7時10分に右端の歩道に既に300人ぐらいが並んでいました。
なぜか、私の周り、大阪弁のおばちゃんばっかり!わざわざ大阪から?
朝の8時頃は2千人?南口前と併せて四千人?
歩道で1時間、さらに玉砂利広場で1時間待ち。
入門始まり、第二陣が後ろに並んでいた。
いざ、入門!この門をくぐることは二度無いでしょう。
天皇皇后ご一家お出まし直前の緊張感!
ご登場!
私は幸運にも二列目でした。朝の満員電車並みの混み具合。一生に一度の経験ですね。まあ、右翼ならいざ知らず、庶民の反応に驚きました。日本は不思議の国です。日本の皇室はヨーロッパの王室とはまったく違う存在だと思うな。
それにしても昨年は、本来あるはずのない一生に一度の母校の甲子園応援、
今年は一生に一度の皇居宮殿に参賀。有り難いことです。
それにしても宮殿参賀はトイレが大変だ。3~4時間の中で途中一回しかトイレに行けないのだから。

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自然動揺

養動法は自然動揺で行うと言われています。しかしながら自然動揺で行えている人はほとんどいません。日曜行修会参加の人達の中でそれが出来ているのは私以外では一人だけですね。その一人も出来るようになったのでなく、人生の肉体的危機の大きな山を越えて、自然になっちゃった!という感じですね。
ほとんどの人は筋肉で動かしている。筋肉で動かしている間は自然動揺ではないですね。心臓の鼓動のエネルギー伝搬による揺れが自然動揺ですね。
養動法の時は体は水袋の状態になることですね。水の真ん中で心臓が鼓動していてその鼓動が水の揺れとなって伝わってくる。それを回転運動に変える。
安定打坐の時は空気袋になることですね。最後は空気袋の袋の皮も無くなると一人前かな?私も皮(皮膚)が無くなるまで入るのはなかなか少ないが。体の中が空気だから心臓の鼓動の揺れは伝わって来ないが鼓動の音は聞こえる。その段階はまだ坐禅ですね。その聞こえることを意識から放した時に天の声を聴き本心煥発に入る前準備が出来たことになりますね。これが会得できるのに少なくとも10年はかかるが、5年で出来るような方法論が出来れば天風会員数は増えるかな?こういう感覚を掴むには姿勢の微妙な調整も必要だし、こんな解説をしてくれる先生もほとんどいないし。初心者にこんな話をすると、「何が水袋だ?空気袋だ?体は体だろう?ここはオカルトか?」と次から来なくなるし。

受け取る力、聞く力

見えない気とかオーラとか過去世とか見える人がいます。極まれに私も心眼で見える時がありますが、それは見る力では無いんですね。
相手の守護霊か実我か真我かは分からないけれど、読み取って欲しいと情報を発しているのをこちらが受け取っているだけですね。
こちらにあるのは読む力でなく、受け取る力、聞く力なんですね。
夏期修練会でテレパシーの訓練をしますが、それは読む力を養うんじゃなくて、受け取る力、すなわち聞く力を養う訓練なんですね。聞く力を養うために無心や無念無想が必要なんです。でも聞く力は力ではないんです。ただ素直な無心。こちらが無心であって初めて聞くことが出来るということなんですね。
すなわち読み取る能力を高めるのでないということですね。100mを10秒で走るような能力を高める訓練ではないのです。誰でも持っているものなんですね。
「読むのは難しくても、聞くぐらいは誰でも出来るだろう?」ということですね。
頭の中のおしゃべりを止めたら聞く力が生まれる。そういうふうに修練会で何度も教わっているけれど、オーラを見る力とかテレパシー能力を作り高めるという観念からなかなか離れられない。
天風会でもおしゃべりの多過ぎる人がままいますね。前で人が何かを話していても後ろでおしゃべりをしている。ところがその人達には自分がおしゃべりしているという観念がないようだ。自分がおしゃべりしているということを知ることがまず大事かな?それを知らないとおしゃべりを止められない。頭の中も同じ。頭の中のおしゃべりを止めないと。多くの人はそれが出来ないと言う。私もなかなか出来なかったが、今では出来ないのが分からないということになってしまった。

そうですね~?聞く力を養うだけだから難行苦行とは本来関係がないというのがお釈迦様の本来の教えなのかな?難行苦行をするのは透視能力や念力や呪詛力などの超能力を高めるためだからお釈迦様の教えとかけ離れている?
う~ん、そうかもな~?もちろん、「(修行で身に付いてしまう)能力は、考えるな!忘れろ!」という教えを高野山ではしているらしい。超能力はゲスの能力みたいだ。人が今何を考えているかが読める読心術なんか持っていたら大変だ。普通の人間はこの世を生きていけない。

気が主体

天風先生は、「男と女が結ばれる時は、先に気が結ばれる」みたいなことをテープで言っていますね。人の体が病になる時は、先にその人のその部分のオーラの色が悪くなって、そのパワーが弱くなる。すなわち病は先にオーラに現れる。オーラを気の一種として見たら、何事も気が先だと言うことですね。
女性が妊娠する時は、先にその女性が妊娠する準備満タンの気を発する。
そしてその夜に行為によって妊娠する。
男と女がセックスすると相手の気の欠片がくっついて、翌日には気のコンタミネーション(混濁)が起きている。それは良い場合もあれば、悪い場合もある。
だから見えないものが見える人には、みんなバレる。そんなことは見えてももちろん口に出来ない。世の中は結構怖いけど、そんなこと知らないから人は怖さを感じないで生きている。知らないことは無敵。人は皆、裸の王様。
その人のオーラの中にその人の親や師匠のオーラが混じっている時がある。
それでその人の親の人生や師匠のレベルが見えてくる。まあ、「そんなこと、分かるはずが無い!」で良いのですが。その方が良いですけど。
私は肉眼では気もオーラも見えないが心眼で分かる時が極まれにある。
人間は気が主体で肉体は従だと言うことですね。すなわち人間は本来、気の存在であるということですね。気はエネルギーだからエネルギー保存の法則が成り立っているということですね。人間はそれを知識で得ても、「気が本来の自分」とはなかなか思えない。なんやかんや知識を得ても、「心と肉体が自分」という観念から離れられない。心というものも分かったような分からない現象ですね。
英語で、I am being.というのがありますが、確か人間が神様に「あなたは誰ですか?」と問うた時の神様の答えだったと思いますが、beingを普通は、「名無き存在」と訳しているけど、「気という存在」と訳しても良いかも知れませんね。
人間も気なら、神様も気、それで人間は宇宙霊(神)の分身というのも頷ける?

醤油

普段は奥出雲の会社の国産有機栽培丸大豆醤油木桶2年熟成というのを使っているが、石川県産有機栽培大豆使用小豆島産醤油の小さい瓶を買った。
「これは小豆島の味だな」と昔慣れていた味だが、小豆島産の醤油の方が塩味が強い。奥出雲の方が味がまろやかで甘い。残念ながら私としては奥出雲の方が好みだな。
塩の量の違いかな?それとも酵母菌の違いなんだろうか?味がずいぶん違う。
でも多くの人には味の違いが分からないようだな。「醤油は醤油」だけ。
東京に出て来た頃は、東京の醤油は水に塩を入れて黒いインクを混ぜただけのとんでもない味の醤油の偽物と思ったな。あの頃東京は何でも不味かった。
毎正月に小豆島産オリーブオイルを買ってくるが無くなったらギリシャ・ラコニア州産オリーブオイルを使っている。小豆島産と味が大きく違う。これはどっちが好みということでは無いな。「こんなに違うんだ?」だけ。両方とも高級品かも?イタリア、スペインのオリーブ・オイルには興味が無い。それにしても贅沢な話しだな。


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