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厚生ノート2

班ごとに名前が付いていて、私の班は「厚生」だったのだと思う。
私がノートの書き出しっぺに書いた文章。これだけは情景も覚えている。
「 昭和43年4月13日土曜
今日は山を登った。(芝刈りに・・ウソ)古江と堀越の間の山である。
道から道の無い所を通って登った。景色がたいへん良い。
坂手が見える。上から見ると、まったく田舎である。               
そこから、船が出ている。三千トン級の客船である。船のマストが家より高い。
白波をけって、ヘキチ(僻地)から出港する。
連絡船のようである。なんとも言えない情景である。
僕は草の上に寝ころんだ。青空に雲はない。
目をつむる。太陽が暖かくぼくを包んでくれる。
山の上で、その草の上で、大空を相手に寝るのは何とも言えない良い気持ちである。
学校のことも、勉強のことも、人間も(好きな人含む?)ぼくの心は白紙にもどる。
ハエがぼくの顔の上を飛びまくる。「ウルサイナー!」
真上を向いて目を開く、太陽がまぶしい。
横に目をやる。すると大青空の中に、数本の細く長い茎の小さな葉がついている草が、風にやさしく揺れている。凜々しい女の子のようである。
その後ろに二メートル程の枯れた木がある。彼は美しくない。
しかし、彼は、そのような事を何とも思っていない。
もうすぐ、いっぱい緑の葉を、いっぱい付けると自信を持っている。
今はどんなに見にくくとも、彼は気にしていない。
彼は他の木にまどわされていない。
自分の道は自分でしっかり生きている。人間も、こうでなくては。
いつの間にか、ハエがいなくなっている。
どうやら、ぼくの顔に飽きたらしい。ハエにもふられた?
トンビが、超低空で飛んで来た。そしてぼくの上で旋回する。三回、四回。
だんだん半径が長くなる。あいつ、おれが食えると思っているのかな?
おれも空を飛びたい。
もう一度目をつむる。息をいっぱいに吸う。
新緑のにおいがする。「春だなあう。」
またハエが来た。今度はなかなか離れない。
このハエ、おれに恋したのかな?これが人間のカワイイ女の子だったら。
しかし、うるさいハエじゃ、かわいそうだが、あまりしつこいので殺した。
するとまたハエが来た。さっきのよりうるさい。
殺したハエの親か、恋人か、おれに攻撃してくる。」
ここで1ページ目終わり、そして2ページ目の余白に書いた絵
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厚生ノート1

「4班厚生ノート」というのが届いた。よくこんなもんが残っていたものだ。それもこれを持っていた女性はその班のメンバーで無かったのに。
読んで驚いた!信じがたい内容が書かれている。当時の心の苦しみを隠して、そのエネルギーをぶつけて書いたようだ。班のメンバーに好きな子が入っていたら、きっと別なことを書いただろうと思うな。
ちなみに、「厚生とは、生活の道を豊かにすること。」と先生によって書かれている。先日、メールで話を聞いた時、「厚生ノート?何の意味?」と思ったけれど、そんな意味でスタートした好きなことを書く班日誌だったんですね。いや、それにしても凄い内容が書かれている。「苦しみは哲学を生む」という典型例かな?高二の時の俺は今より偉かった?信じがたい内容だ。そして私は髄膜炎で倒れた。私が書いた文章を今、客観的に見ると、確かに、こういう文章を書く人間は、この世で生きていけなくなる、自殺の気が出ている、と見るな。確かによく生き残ったものだと自分で思うことはある。
高二の時は苦しかったのを覚えているが、書いた文章は覚えていない。読み返してみて、「いったいこれは誰だ?」ですね。そこに俺でない俺がいる。
これは当時私が読んだ本を書き写したものと思うが、中国の古典だろうな?
「果実を取る木は 必ずしも花美しくない、
花を眺める木は 果実多くは そまつである、
でも、 みごとな花は 人びとの心を和らげ、
甘美な果実は 人びとの身を養う
それぞれ能力は 違っていても、
役立つことにおいて平等だ、
備わった自分の力を知って、人々に奉仕し、
自らの使命に生きれば、幸いが分かる、」
以下長く続く。俺、高二でこんな本、読んでいたんだな、知らなかった!
まあ、余程苦しんでいないとこんな本、高校生が読まないよね。荘子かな?
私が書いた最後のページに、「ここ一、二週間、精神的にも肉体的にもガタがきているから、今日一日、ゆっくり遊ぶとするか、・・・」と書いている。これを書いた数日後に髄膜炎で倒れている。自分でも予兆を感じていたんだな。知らなかった。

積極

同級生のある女性が、「リハビリのためにスイミングやジムに通うようになって身体を動かすことが少しずつ楽しくなってきて、内気だった性格が積極的になってきた。」と言っていました。確かに、身体を動かさないで積極の心を持つというのは無理ですね。家に中にジーッといて積極の心や判断は生まれない。なんかそんな簡単なことを始めて納得したような気がした。積極について書かれている本をいくら読んでも部屋の中にいる限り積極の人間にはなれない。
「小人、閉居して不善を為す」という言葉があるけれど、不善とは悪いことをするということでなく、不平・不満・批判などのマイナス(天風教義的には消極)の心になることだと読んだ事がある。
別の同級生で、言葉づかいが歳と共に品が無くなってきている人がいる。元々品のある言葉づかいではなかったが、その分、女っぽくなくて話しやすかった面はあったけれど、でもこの夏、彼女の生い立ちを電話で多少聞くことになって、経済的には多少恵まれていたのかも知れないけれど、母親からの罵詈雑言を子供の時から受けて、彼女の人格を否定しい続ける母親の元で育ったらしい。そんなこと全然知らなかった。
で、上に書いた子(家族の愛の中で育った子)と下に書いた子(母親からの言葉の虐待で育った子)はお互い嫌い合っていてお互い口も聞きたくない間柄らしい。母親に愛されないで育った子と家族みんなから愛されて育った子は友達にはなれないんだろうな?と思うな。ちなみになぜか私は両方と友達になっている。頭の良い子とも悪い子とも自然に友達になれる。頭の良い悪いで心の底でも区別していないからな。普通は心のどこかで区別しているよね。

ホテル予約

同窓会のために高松のホテルを仮予約した。同窓会プランというのがある。
1/4 12:00~15:00 しばらくは1/3への変更も可能だ。
一人¥6700、まあ、先生への花束、お車代などいろいろで9000円~1万円ぐらいになるのかな~?それにしてもホテルだけではないけれど、日本のホテルの従業員のきめ細かな電話態度は感心するな。アメリカやドイツのホテルではこうはならない。
卒業アルバム取りに9/17、18夜行バスで帰ろうかな~?プロジェクターを使っていろいろ見せるものが出てきそうだから。物故者への黙祷もプロジェクターで顔写真をアルバムから撮って並べようかな?と思うな。物故者の魂も参加してくると思うんだよね。10数年前の水害でアルバムなんかも流されて持っていない人も結構いると聞いた。昭和51年にも大きな水害があったんだな。こっちにいるとニュースしか知らないし忘れてしまう。それに我が村は水害には常に無縁だから、有り難いことです。
で、夜に同級生に連絡したら3日が良いと言う。で、急いでホテルに電話して3日に変更依頼したら既に仮予約が入っていた。朝には空いていたのに。
そんなもんだよね。で、近くの同じグループのホテルに聞いてみると言う。
さあ~?こういうことに運が付くかな?

使命観

使命という概念は男向け思想だと思うな。女は基本的には健康で心の健全な子供産み育て、明るい家庭を作ればそれで使命を果たしていることになる。
女は使命なんて考える必要は何も無い。使命観で家庭を維持すれば変なことになる。使命云々を言っている女性には男は疲れる。男は使命、女は母性。
ニコニコして子供や亭主に元気を与えれば、それは男の使命に勝る。
可愛い女性は、笑顔とありがとうの言葉だけで使命を果たしているよね。
男はまずは女房子供を健康に幸せにすることだよね。元々病弱な場合は別にして健康だった女房を病気にさせるなんて、男(亭主)失格だよね。
男が家族を守るのは使命だけど、母親が子供を守るのは使命ではないな。


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