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本音と建て前は日本だけじゃ無い、

某二重国籍疑惑政治家が、言ったようですが、
建前(口)、「外国人が安心して暮らせる国にしたい。」
本音(心)、「C国人が政治に関与して悪さをいくらでも出来る日本にしたい。」
だな。C国人は、口で言うこと、頭で考えること、実際の行動はそれぞれまったく違うと読んだ事がある。日本人はC国人の口を信じるからな~。何回騙されても学習出来ない。犬(パブロフの犬)でも学習するのに。
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本当の話は外される。


戦後の敗戦利権がメディアや大学に出来ているので、こういうのは主要メディアでは報道されない。報道しないように圧力がかかる。
マッカーサーのこの議会発言によって、次の大統領候補になるはずだった彼の国民人気はがた落ちになって大統領候補になれなかったたと言われている。
アメリカ人は単純正悪二元論なので、アメリカは正義で日本は悪だったと単純に議会演説していたら大拍手を貰い、彼は次の大統領になっていたかも知れない。彼は大統領の地位よりも真実の公表を選んだ。彼は本当の話をしたことを後で後悔していたのだろうか?それとも納得して死んだのだろうか?あの世のマッカーサーに聞いてみたいね。

ナボォイ劇場、私は見に行きました。ルールでは中に入れない時だったけれど裏口から入れさせて貰えた。日本人から見ると若干の礼金(賄賂?)を渡して。
でもそれは日本人だから認めてくれたんですよね、きっと。中も本来写真撮影禁止だったけど、「監視人が来たらカメラをすぐに仕舞ってくれ!」ということで黙認してくれた。有り難いことです。

確かに不思議だな~?


日本人は植民地憲法を平和憲法と読んで洗脳された。ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムで日本は半島でも大陸でも悪いことばかりしてきた。ポストが赤いのも自分たちの罪のせいと思うようになった。テレビが普及し始めて、アメリカのカーボーイの西部劇やホームドラマをいっぱい見てアメリカの生活に憧れて、コカコーラを飲み始めた。その内にマクドナルドも当たり前に好意的に受け入れて楽しむようになった。アメリカ音楽もドドーッと若者は受け入れて楽しんだ。何もかもアメリカを受け入れたはずなのに宗教だけは受け入れていない。別に肩肘張って力づくで拒否したわけでは無い。それは不思議な事だな。日本人は自分は無宗教と言いながら日本人ほど宗教的な民族は無い。
かつて日本の若者は、アメリカ・ミーハーになりながら、なぜアメリカの宗教は受け入れなかったのか?日本人として何も疑問に思ってこなかった所に日本人の神秘がある?上のyoutubeも一理、二理あるけれど、それだけじゃないような気がするな。明治の時に西洋の何もかも受け入れたはずなのに、ヤギの文化は入れなかった。牛や馬の去勢文化も受け入れなかった。ヤギは草の根っこを食べるので山が禿げ山になるんですよね。地中海沿岸はオリーブの木しか無い。ヤギ文化でそうなったんですよね。当時の日本人はそれを知っていたのだろうか?それを知っていて計算して入れなかった?それとも、そんなこと知らなかったけれど、何となく入れなかった?遊牧の民はヤギと羊を混合して飼っているけれど、その比率が草原の草を守るのに大事なんですよね。ヤギの比率が多すぎると砂漠化する。日本人は不思議な賢明さを持っている?ヤギを受け入れなかったこと、キリスト教に興味が無いこと、かな?日本のキリスト教徒って、品があるよね。何となく、お嬢さんっぽい?金持ちの宗教みたいな?「教会は貧乏人が救いを求めていく所では無い」、「お嬢さんの宗教」という感じはあるな。
かつては大陸から仏教を含めていろんなものを学び受け入れたが、奴隷制度、科挙制度、宦官、纏足、人肉食文化は受け入れなかった。理由は歴史に残されていない。そうですね~?かつてキリスト教は奴隷制とセットで存在していた。キリスト教宣教師は、日本人を捕まえて奴隷として連れて行っていた奴隷商人とセットだったことから、秀吉はキリスト教御法度令を出した。(そんなこと、教科書に書かれていない!だからそんなことあるはずが無い!と言う人もいる。)
そんな胡散臭さを直感的に感じる遺伝子を日本人は持っているのかな?

ボート

しばしば仕事の途中に自転車で戸田ボート場傍を走るのですが、いつも思うことは、オールを漕いでボートをただ真っ直ぐ走らすことが何が面白いのだろう?と疑問に思っていることは以前書きましたが、ミュンヘンの展示会場で話した人がボート部出身の人で、きっと六大学のひとつなんでしょうが、「あんなスポーツどこが面白いのか分からない。川の急流をゴムボートで命がけで下る方がよっぽど面白いと思うのだけれど?」と疑問を投げかけた。
彼曰く、「ボートは哲学です。一回一回違う。同じ走りは二度無い。」とか言っていました。なるほどな~!とは思いましたが、もうひとつ実感が湧きませんね。きっと坐禅と同じ心境になるんでしょうね?動的坐禅なのでしょう。
OBが歳取ってもボートをやっているけど、70,80になっても同期の仲間と楽しめるスポーツというのは少ないよね。その点は見てて感心する。まあ、それなりの大学を出て、功成り名を遂げた人達なんでしょうね。ただ、貧乏人のスポーツでないことは確かだな。貧乏人でも出来るスポーツのひとつがサッカーだよね。だから世界中、サッカーが盛んだ。

バスに乗り遅れるな!

AIIBの企画が中国で発表された時、多くのメディアや評論家は、
「バスに乗り遅れるべきでない!」と日本のAIIB参加を押していた。その意見に従って多くの嫌日日本人もバスに乗り遅れないためにAIIBに参加すべきと言っていた。私は最初から一貫して日本のAIIB参加には反対してきた。
それは中国の詐欺だから。世界からドルで集めて、中国の過剰生産材を消費するためであり、現地では世界から集めたドルではなく、元を使って工事をして元で支払い、多くのドルは自分の懐に集めようとする企画だということが明かなのに、ほとんどの日本人はそれが見抜けないでいた。
かつて民主党を政権として選んだ人達、AIIBに参加すべきだと言っていた人達はどうなったのだろう?その反省は何も無いように見えるな。
ちなみに、「バスに乗り遅れるな!」という声はかつてもありました。それは日独伊三国同盟ですね。「ドイツの勢いのバスに乗り遅れるな!」と同じですね。
日本人は何も学習していないのですね。自分の運転するバス以外は基本的には乗ってはいけない。国連もそうですね。五カ国の常任理事国より1ドル安い参加費用を払うべきだよね。常任理事国は拒否権を持っているということは責任も持っているのだから、日本はその五カ国より多くの分担金は払う必要は無いし、払うべきではないよね。「国連というバスに乗り遅れるな!」という意識でいっぱいお金を払ってきたんだよね。でも分担金をそんなに払わなくても、日本の立場は何も変わっていなかったと思うな。「常任理事国の名誉のために、日本は常任5カ国より1ドルだけ低い分担金を担う。」と言っていれば良かった。
「バスに乗り遅れるな!」という思考は国際政治においては危険だよね。



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