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天風教義

天風教義にはいろんな方法論があります。肉体的なものから心の使い方のものまで。それらが体系的になっていると言えるでしょう。
しかしながら、それらを毎日体系的に実践している人、バラバラに実践している人、抜き取りで実践している人、話を聴いただけで満足している人、の4種の会員に分類出来ますね。さあ~、あなたはどうでしょう?私は抜き取りで実践している部類ですね。夏期修練会は唯一の体系的な実践訓練の場ですね。
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こういうのありました。


普通の人にこういう話をしても聞く耳を持たないね。殆どの人は医者の言うことを信じる。と言うか、医者の話しか信じない。しかし医者は自分が癌になったら、自分が患者にやっていることを自分にはしない。
日本人は目標を与えられたら大きな力を発揮する反面、一度決めたこと、一度学んだことを方向転換することが難しい民族だ。特に官僚は。自分たちの利権を守るために獣医学部の新規創設をしないと決めたことは50年以上状況が変わっても変更できない。
多くの日本人は一度教科書で学んだ知識を変更しようとしない。一度NHKで見た知識に長年凝り固まっている。減塩が良いと今でも固く信じている人は多い。
同じことは憲法にも言える。結局、変更されていない世界最古の憲法になってしまった。そのことに過半数の日本人は何も疑問に思わない。
日本人には状況変化対応能力が無い。大東亜戦争(太平洋戦争)もそれで負けた。その例外としての明治維新は日本史の中の奇跡だよね。
織田信長も数少ない例外の中の一人だな。まれに例外が出てくるのがまた日本の面白さだな。日本人が日本人を越えた時、本当の日本人になる?イチローなんか日本人を越えているよね。だからイチローは本当の日本人?

自分の居場所

私の田舎の家は、理想的な環境にある理想的な家だと今は思う。世界中探してもあれだけ場所的にも恵まれた家はなかなか無いと思う。西洋的な豪邸というのは理想的な家じゃ無いよね。お城のような豪邸は心が窮屈だな。広いけど閉じ込められている。外と中が切り離されている。いつ外敵が襲ってくるか分からない歴史を持つヨーロッパではそれが必要で必然だが。
日本の昔ながらの家には、人が気楽に立ち寄れる縁側という中と外の中間の場所がある。しかし私の田舎の家がいくら良くてもそれが、”自分居場所”だったかというと魂的には違う気がする。だから東京に出て来た。
自分の居場所を見つけてそこで生活出来ている人が一番幸せな人だな。
自分の居場所とは、住所ではない場合も多いだろう。その方が多いかも知れないな?「この人の傍が私の居場所。」とか、仏師は仏を彫る作業所が居場所かも知れないね。自分の居場所とは、心の奥底(魂)が深く静かに落ち着く所だな。そこは不安感や恐怖感の出て来ない場所と言えるかも知れないな。「ここでこのまま死んでも良い。」という場所だな。今のマンションでウトウトしながら、このまま心臓が止まっても良いかな?と思うことはままあるけど、何かちょっと違うのかな?

錯覚か?意識の瞬間移動か?

昨夜、ちょっと?かなり?気分が落ち込むyoutubeを見ていて、”ふっ!”と意識が飛んだのか?目眩がしたのか?分からないが、田舎の離れ(子供部屋)にいる錯覚に陥った。今の部屋も田舎の離れの部屋も南向きなので波動が似ているのかな?それにしても不思議な感覚だったな。初めての経験かも知れない?寝ていて田舎の部屋のベッドに寝ている錯覚になる時はたまにある。
目を開けて、暗い中、「えっ?ここはどこ?」と1,2秒迷う時がある。
今のマンションに引っ越しをして、もう8年なのか?まだ8年なのか?分からないが、魂か何か知らないが、ここにまだ馴染んでいないような気がする。
約20年住んだ板橋のマンションに間違って帰る夢を見る時がある。
ドアの前に立って、「あっ!帰る所を間違った!今はここじゃない!」と気づく夢を見る。「俺はホームレスと何が違うのだろう?同じじゃないか」と先日感じたな。その感覚は説明しても分かってもらえないだろうな?
ハウスレスでは無いけれど、ホームレスだな。ハウスなら人によって、その大きさの違いが若干あるだけだな。ローンをまだ払っている以上、まだ仮の宿?ローンを払い終わっても仮の宿?そして肉体も仮りのもの?肉体もマンションも、今、使わせて貰っている仮の空間。すなわち、ホームレスだな。
私は中二の秋から、魂の世界である実世界と、仮の世であるこの世を区別して生きてきた。仮の世では仮の世での恋だとか人生の現実的な希望を持っていた。魂の世界のことは、人からは妄想として捉えられるだろうから、人に口に出来ないものとして心の中の引き出しに仕舞って来た。しかし、仮の世であるこの世での運命は、魂の世界である実世界のプログラムから切り離されることはないようだと感じるな。最近思うに、「私は、世界で一番良い所に産まれて来ていた。」ということですね。日本人なら、きっと多くの人がそういうことなのでしょうが?しかし多くの人はそれに気づかずに、妄想としての悩みの中にいる。

日本は世界の奇跡?


日本は世界の奇跡だと思うな。でも、ほとんどの日本人は悲観主義なので、魚が海の中を泳いでいることを知らないように、自らを何も知らない。
エアコンの無い工場で室温が40℃を越えても文句を言わず黙々と仕事をしている。彼らは昼休みの休憩時間も車のエアコンをかけないで、ドアを開けっぱなしにして車の椅子に横たわって休憩しているのを見てビックリした。日本人は何という国民だと。普通そんな仕事、辞めるか、不満タラタラの顔をしてるよね。
炎天下の下で工事中の交通整理をしている老人に近い年齢のカードマンが丁寧に頭を下げて通る人を誘導している。暑いな~!嫌だな~!という顔は何もしていない。「俺がこの場所の安全を守る!」という強い意志と誇りと責任感を持ってみんなやっている。「日本人て、凄いな~!」と頭が下がる。
団塊の世代を中心とした中高年は、GHQの指示によるNHKや大手新聞、日教組の教師に洗脳されてしまって、その洗脳を解くことはもう無理だと思うけど、
日本が滅亡の危機の戦争になったら、普段は、「俺は逃げるよ。」と言いながらも、「あいつが行くなら俺も行くしかあるまい!」と多くの若者(男)は、国や家族や仲間を守るために戦場(国内)に向かうのではないかと思っている。
何か災害があっても規律正しく行動できる民族は、万一の時にはそうなるんじゃないかと思っていますね。逃げ時よりも、死に時を悟る。
私は日本の若者に信頼を置いている。


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