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人は二次元を生きている?

この世は三次元と教わっているけど、実際の生活は二次元ですよね。鳥や魚は三次元に生きている。人間は常に平面の上をいつも歩いているわけだから二次元なんです。自らの意志で身体が上下するわけでは無いですからね。エレベーターに乗っても自分自身は二次元なのです。
何事も相似形なので人間の思考も二次元なんですよね。まあ、一次元の人も多いけど。ひとつのものの見方しか出来ないとか、人の話を聞かないというのは一次元の思考ですね。自分の肉体の移動範囲とか次元が変われば思考も変わるので、三次元移動をすると三次元思考をするようになると思うな。人間が鳥のように動くことが出来れば鬱なんかの心の病は無くなるかも?ね。
地面に這いつくばって生きているから思考も立体的思考が出来ないで、悩む必要の無いことにいろいろ悩んでしまうのだろう?何かを悩んでいる時に視線を空に向けたり太陽に向けて考えると気持ちや考えが変わりますよね。視線が三次元になるので頭が疑似三次元になるからでしょうね?
二次元連立方程式は解きやすいですね。でも三次元連立方程式は面倒だけど思考の世界が拡がる?
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死の恐怖

死ぬのが怖い人というのは、人生を活きていない人なんですよね。ただ毎日を生活している人ですね。「そんなことないわよ!家族の朝食夕食を作って、掃除洗濯をして買い物をして毎日忙しいわよ!」と言う。それだけでは生活して生きていることで活きていることにはならない。自分を生きるというのは結構難しい。自分を知るということが如何に難しいかは昔から賢者によって言われている。
心を病んでいる人も大抵は死ぬことに恐怖を持っている。逆説的になるけど、死ぬのが怖くて、それから逃げるために自殺するのが鬱病の自殺ですね。自殺は逃げることであって死ぬことではないと思っているのかも?
自分以外の何かに命がけで全力で取り組んでいる人は死の恐怖が消えるんですよね。そういう何かを持っていない人には理解出来ない心の世界ですね。
人生を活きている人は死ぬ恐怖は無いんです。活きていない人が死ぬ恐怖を持っている。それはこのまま死んだら自分のテーマ(役割)を果たさないまま死ぬことを魂が知っているからかも知れませんね?
もっと易しい言い方をすると、自分の感情満足のために生きている人は死を怖がり、人や何かのために全力で活きている人は死を恐れないということですね。
ある心の病を持っている人はいつも死ぬのが怖いと言っている。別な人は生きるのが怖いと言っていた。同じですね。産まれる時に持ってきた、成すべき、学ぶべきテーマを自分の人生で実践出来ていないから死ぬのが怖いのだと思いますよ?でもこんな話し、普通の人には理解されないよね~?

怖い物知らず?

読売カルチャーセンターの錦糸町、恵比寿、横浜で天風教義を教える講座が4月から始まる。何でもやってみて世間からどう受け取られるか?が分かるから経験することは良いことだと思うけど、怖い物知らずだな~?と思うな。でも怖い物知らずって大事だよね。
クリック→→錦糸町
天風教義のニーズはとてもあると思うけれど、ニーズがあるということと、教えることができるかどうか?ということは違うからね。天風教義は知れば知る程難しい。私は天風教義を何も知らない世間の人に体系的に教えるなんて怖くて出来ないな。講師の先生方を見ていて、よく怖がらないな~?と感心する。真理を説くというのは魂の命がかかるからね。安定打坐の指導なんて私は本当に怖い。
「クンバハカとは、肛門を締め上げて、肩の力を抜いて、臍下丹田に気を込めること」と教わるけれど、まあ、それだけでも実践できれば価値はかなり大きいけれど本当は違うんだよね。肛門を絞めるだけで自動的に肩の力が抜けて臍下丹田に気がこもるようになるのに24年かかった。それぐらいのことは、せめて私の半分、12年で出来るように教えることが出来れば良いなと思うけどね。

こんなのありましたが?


ウクライナは日本の味方とのことですが?こんなところで外国人が日の丸を掲げてくれるとは!ビックリですね。

意外な説

本を読んでいると、狩猟採集の時代には飢饉や餓死は存在しなかった。山や海には何十種類の食べ物が常に存在し、季節や気候の状況に応じてその比率が変わるだけだと。当時の日本の人口は50万程度だったかも知れないけど。
畑作をするようになって食べる物の種類が減って天候不順の年は飢饉や餓死が起きるようになったと。もちろん畑作で数種類の作物が大量に出来、養うことの出来る人数が増え人口も大きく増えていったのは事実でしょう。人口が増えることで餓死のリスクも生まれてきた面もあるでしょう。
明治時代初期の日本の人口は確か三千万ぐらいだったんですよね。戦争中は八千万で、それが今は一億二千万二なっている。それで餓死者がいないのは凄いことですね。機械化と農薬と輸入のせいでしょうね。
世界各国が鎖国をして自国に無いものだけを輸入すると、世界の国民の労働は一日3時間で済むという説もある。江戸時代の労働は農民も侍もそんなものだったらしい。侍は午前勤務派と午後勤務派との交代制だったらしい。
人口が多いのが良いわけではないかも?物事の善し悪しは難しいね。
ただし、人口が減り、GDPが減ると間違いなく他国(C国)からの侵略を受け、内モンゴルやチベットで起きている民族浄化(民族虐殺)を受けることになる。


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