観念要素の更改が出来ると安定打坐やクンバハカは必要無いと天風先生は言っているけど、観念要素の更改は分からなかった。勿論天風会の先生たちが言っていることは耳にタコが出来るぐらい聴いているが。
最初は「なるほど、なるほど」と分かった気になるけど、年数が経つと分からなくなる。最初に分かった気にさせるのが天風教義の凄いところだな。自分の顕在意識と潜在意識を分析しないといけない。でも人は自分の潜在意識が分からない。年数と共に考えれば考える程、難しくなる。
前に紹介した「信念の魔術」をちょっとずつちょっとずつ読み進めている。観念要素の更改に私はこの本の推薦は出来るけど解説は出来ない。よく読み込んだだけでは人に教えられない。天風教義も本当はそうなんだよね。読み込んで分かったつもりの人は多いかもね?信念があれば新型コロナに判断や行動は左右されないよね。私はまったく左右されなかった。「クラスターが起きたら誰が責任を取るんだ!」と言ってリーダーたちはズームに逃げた。後々そんなことで責任を取った人は誰もいないのにね。勇気信念は日向ぼっこ村以外何処にも無かった。信念と観念要素の更改は裏表の関係?いえ、表同士の関係?だな。
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