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胃が痛い。

ストレスで胃が少し痛い。幹事に思惑があるようなのでまとめるのが難しい。
卒業アルバムを取りに今度の土曜、夜行バスで帰ることになるだろうな。
同窓会に集まるのは18~20人ぐらいになるのかな?男は半分は集まるような気がする。女は最後まで分からない。女のドタキャンもあるだろうし。友達のいない女の子は来ないだろうし。クラスの中に友達のいないボッチの女の子、多かったような気がする。学生時代、いろいろ企画して女の子のその日になってのドタキャンには苦労した。特にかわいい子のドタキャンが多かったな。
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気づく

魂の世界の価値観は、口説いたり、説得して理解させることが出来るものではない。何百年でも相手が自ら気づくまで待つしか無い。マイナスのカルマをひとつ作ると最低百年は遅れる。私がそれを作らないように注意して生きている。
口説くのは現象世界、すなわちこの仮の世界の中だけの話ですね。口説いて相手を動かしても相手の魂の成長にならない。中学時代からそれは知っていた。自ら見て決める、自ら体験して気づく、それしかない。

厚生ノート3

厚生ノート1の続き、
「賢き人は、他人の美点を見、
愚かなる者は、他人の欠点を見る。
賢き人は、巧をゆずり、
愚かなる心は、巧を奪う。
愚かなる人は、恩をうり、
賢き人は、恩を感ず、
とげなきバラなく、忍耐なき成功はない。
愚かなる人は他人の失敗をわらい、
賢き人は、他人の失敗に学ぶ。
賢き人は、忍び、
愚かなる人は怒る。
苦労なしに、安楽は求められない、
人を責めるより、己を責めよ。」
これ、ヤッパリ荘子だと思うな。高二で読んでいたとは、自分で驚きだ。
次は私の言葉だと思うが、
「人間、まじめに生きようとすれば苦しい。
しかし、その苦しみを越えて、
はじめて、真の幸福が来るのではなかろうか?」

ちなみに昨日の文章の中で、「幸いが分かる」という言葉がある。
そうなんだんよね~?普通、「幸いが来る」とか「幸いが得られる」と考えるよね。でも、幸いはやって来るものでなく、「分かる」もんなんだな。
49年目の理解だな。
高二、高三を思い出して、夜、寝る時に二日間涙した。同級生の女の子(今は4人の孫を持つおばあちゃん)とほとんどオン・タイムでメールを交換した。亭主が読んでも問題の無い文章しか書けないが、涙がポロポロ流れながらメール交換した。向こうはそんなこと知らない。高校生のガキのくだらん低次元意識の世界と言えばそうなんです。客観的にはそういうことです。
しかし体重も減った。努力せずに62.5から今朝60.8kgになった。意識が高二に戻ることで、食欲が無く、ストレスで体重が減ったということですね。
高校時代はブレーク・スルーの道の無い暗闇の囲いの中にいたが、そのことについては今もブレーク・スルーの道は無いな。
高二の時の記憶って、黒主体の白黒なんですよね。色が無い。
私の今生における魂の原点は、中二で過去世をフラッシュバックみたいに見たことですね。そして高二で臨・臨死体験で見た映像ですね。この二つに矛盾は無い。今、メール交換している女性はその魂の世界とは関係が無い。この現象界だけの出来事だと思うけど、どうなんだろう?それにしても私が書いたノートが今頃出てくるとは、まるで神の仕業みたいだな?持っていた人は、「これで持ち主に返せて、ホッとした。」と言っていた。私が持っていたら、卒業と同時に間違いなく捨てていた。

厚生ノート2

班ごとに名前が付いていて、私の班は「厚生」だったのだと思う。
私がノートの書き出しっぺに書いた文章。これだけは情景も覚えている。
「 昭和43年4月13日土曜
今日は山を登った。(芝刈りに・・ウソ)古江と堀越の間の山である。
道から道の無い所を通って登った。景色がたいへん良い。
坂手が見える。上から見ると、まったく田舎である。               
そこから、船が出ている。三千トン級の客船である。船のマストが家より高い。
白波をけって、ヘキチ(僻地)から出港する。
連絡船のようである。なんとも言えない情景である。
僕は草の上に寝ころんだ。青空に雲はない。
目をつむる。太陽が暖かくぼくを包んでくれる。
山の上で、その草の上で、大空を相手に寝るのは何とも言えない良い気持ちである。
学校のことも、勉強のことも、人間も(好きな人含む?)ぼくの心は白紙にもどる。
ハエがぼくの顔の上を飛びまくる。「ウルサイナー!」
真上を向いて目を開く、太陽がまぶしい。
横に目をやる。すると大青空の中に、数本の細く長い茎の小さな葉がついている草が、風にやさしく揺れている。凜々しい女の子のようである。
その後ろに二メートル程の枯れた木がある。彼は美しくない。
しかし、彼は、そのような事を何とも思っていない。
もうすぐ、いっぱい緑の葉を、いっぱい付けると自信を持っている。
今はどんなに見にくくとも、彼は気にしていない。
彼は他の木にまどわされていない。
自分の道は自分でしっかり生きている。人間も、こうでなくては。
いつの間にか、ハエがいなくなっている。
どうやら、ぼくの顔に飽きたらしい。ハエにもふられた?
トンビが、超低空で飛んで来た。そしてぼくの上で旋回する。三回、四回。
だんだん半径が長くなる。あいつ、おれが食えると思っているのかな?
おれも空を飛びたい。
もう一度目をつむる。息をいっぱいに吸う。
新緑のにおいがする。「春だなあう。」
またハエが来た。今度はなかなか離れない。
このハエ、おれに恋したのかな?これが人間のカワイイ女の子だったら。
しかし、うるさいハエじゃ、かわいそうだが、あまりしつこいので殺した。
するとまたハエが来た。さっきのよりうるさい。
殺したハエの親か、恋人か、おれに攻撃してくる。」
ここで1ページ目終わり、そして2ページ目の余白に書いた絵

厚生ノート1

「4班厚生ノート」というのが届いた。よくこんなもんが残っていたものだ。それもこれを持っていた女性はその班のメンバーで無かったのに。
読んで驚いた!信じがたい内容が書かれている。当時の心の苦しみを隠して、そのエネルギーをぶつけて書いたようだ。班のメンバーに好きな子が入っていたら、きっと別なことを書いただろうと思うな。
ちなみに、「厚生とは、生活の道を豊かにすること。」と先生によって書かれている。先日、メールで話を聞いた時、「厚生ノート?何の意味?」と思ったけれど、そんな意味でスタートした好きなことを書く班日誌だったんですね。いや、それにしても凄い内容が書かれている。「苦しみは哲学を生む」という典型例かな?高二の時の俺は今より偉かった?信じがたい内容だ。そして私は髄膜炎で倒れた。私が書いた文章を今、客観的に見ると、確かに、こういう文章を書く人間は、この世で生きていけなくなる、自殺の気が出ている、と見るな。確かによく生き残ったものだと自分で思うことはある。
高二の時は苦しかったのを覚えているが、書いた文章は覚えていない。読み返してみて、「いったいこれは誰だ?」ですね。そこに俺でない俺がいる。
これは当時私が読んだ本を書き写したものと思うが、中国の古典だろうな?
「果実を取る木は 必ずしも花美しくない、
花を眺める木は 果実多くは そまつである、
でも、 みごとな花は 人びとの心を和らげ、
甘美な果実は 人びとの身を養う
それぞれ能力は 違っていても、
役立つことにおいて平等だ、
備わった自分の力を知って、人々に奉仕し、
自らの使命に生きれば、幸いが分かる、」
以下長く続く。俺、高二でこんな本、読んでいたんだな、知らなかった!
まあ、余程苦しんでいないとこんな本、高校生が読まないよね。荘子かな?
私が書いた最後のページに、「ここ一、二週間、精神的にも肉体的にもガタがきているから、今日一日、ゆっくり遊ぶとするか、・・・」と書いている。これを書いた数日後に髄膜炎で倒れている。自分でも予兆を感じていたんだな。知らなかった。


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