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学び

宗教や理性では戦争は無くならないし、不倫も無くならない。
若い人にはインターネットのブログ等の情報が一番の学びになる流れになっているし、それはこれからさらに大きな流れになる。学びやすい他山の石だな。
インターネットにも不倫の経験談が山ほどあるが、思うに、女の不倫と、男のお人好しで優柔不断が家族に最大の不幸をもたらすな。
男の優柔不断は、例えば軍司令官の優柔不断は軍隊を全滅させ、国を滅ぼすことになる。家長たる夫、父親の優柔不断は家族全員の不幸をもたらすな。
インターネットを読んでいると女房に不倫される亭主の性格はだいたいはお人好しで優柔不断ですね。男は何かあったら相手を殺す覚悟をいつも持っていないといけない。私はどちらかというといじめられっ子でしたが、「一定以上俺をいじめたら俺はお前を殺すよ」という覚悟は小さい時からいつも持っていた。
その覚悟が無いとリーダーにはなれないし、一目を置かれない。
国同士も同じですね。残念ながら今はまだその上にのみ平和は成り立つ。
インターネット界での、そういう多くの経験談の蓄積が人々の新しいモラル観や自己規制の行動になっていくのだろう。
インターネットの情報はクズばかりで価値が無いとある中高年の女性は言っていた。読む力、検索する力、真贋を見分ける力が無いからそうなるんですね。
多くの経験談などの情報の山から必要なのを選び出して学ぶ力のある人と、自分の今の感情や欲望のままに日々を生きる人ではずいぶん違ってくるな。
しかし学ばない人にはその違いはいつまで経っても分からない。自分は正しい、自分はバレないと思い続け大事なことを学べないまま人生を終えることになる。
クリック⇒⇒参考
私も高校二年の時だったか?三年の時だったか?格安の中古ならぬ古オートバイを買って無免許で走りまくっていた。ある時、「うん?これ以上、調子に乗って走っていたら警察に捕まるな」と感じて、パッと止めた。それ以降、無免許運転はやっていない。無免許で町中を走るのはドキドキのスリルがあったけどね。
「バレないだろう」とずるずるやっていると誰かに見つかって警察に知らされたり、事故ったりして自分だけの問題でなくなる。
大きな事故や病気、何かの不幸の前には人からの、または天からの小さな警告があるものだ。その警告に気付いてパッと止めれば何とかなるが、警告を無視して同じようにやっていると、いずれドーンと大きな不幸がやって来る。
子育ても同じ。子供からの親への小さな警告を見逃してはいけない。
私なんかは見えても言えないし、言っても分かって貰えない。例え家族でも人それぞれの運命だから。何事も自分で気付くしか道が無い。気付くチャンスは平等にそれぞれの形で人に与えられていると思うな。
因果律の存在を知ることと自分を変える決断と勇気が一番大事だな。
修正して今生だけで因果が消える程度のものならまだ良いけど、上の事例なんかの主婦と社長は来世だけでなく来来世にも悲劇と悲惨な人生へと繋がって行くと思うな。子供も父親を捨てた因果は受け取らなくてはならなくなる。
因果律は宇宙の基本法則だから。まあ、投稿者も過去世の因果を受けているからでもあるけどね。過去世でしたことが今生でされている。今生でしたことは来世でされることになる。お互いが気付いて変わるまで繰り返されていく。
何事も、どう償うか?ということは難しいね~。ほんと、謝って済むことではないから。「もう終わったことだから、覚えていない、あははは!」という人もいるだろうけど、自分のしたこと、言ったことは天に記録は残っている。
家族の死は天国でまた会えるという救いはあるけど、裏切りはね~、天国でも家族は会ってくれないというか、行く世界が違うというか?かもね~?
中国が内モンゴルに侵攻した時に、真っ先に殺されたのは中国を引き入れた親中派の人々だったんですよね。それは歴史の常です。
日本に中国が侵攻してきたら真っ先に殺されるのは親中派の人々になるんです。彼らは歴史を勉強していないから目先の利益のために国を裏切って親中派になっている。利益に転んで国を裏切る人はいつの時代でも両方から嫌われ殺されることになる。「そんなバカな?!」と言って虐殺され死んでいく。
あの世にいる時間の方がこの世にいる時間より遙かに長いからね~、この世での生き方は注意しないとな。。。
この世では死ねても、あの世では死ねないからね。まあね~、あの世で死んだら、この世にやって来るということだよね。そう、カルマを背負ってね。
あの世のあの世はこの世!ははは!これは、村長さんの今年の名言?




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護国寺の紅葉

護国寺の紅葉の写真を撮ろうとしたら白装束?の人達がいた???

若い人が多いせいか、みんな姿勢が良いね。みんな健気だな~!と思うな。
ここまで姿勢が出来ていたら、もう一押し、教えてくれる人がいればさらに進歩するのに、と思うな。勿体ない。



子育て

私の学生時代の勉強仲間の一人(年齢的には後輩に当たる)は夫婦共に国立C大を卒業して夫婦共に教師をしていたけれど、男の子と女の子がいるのだが男の子には、「勉強なんかしてないで外で遊んでこい!」と、
女の子には、「勉強なんかしないで家事の手伝いをしろ!」と言っていた。
夏休みには毎年家族四人で一ヶ月海外に行っていた。レンタカーを借りて超貧乏旅行をしていたという。
で、結果、子供は、「こんな親の言うことを聞いていたらとんでも無いことになる!」と親のいないところで勉強して男の子は東大理類に入り、女の子は慶応を主席で卒業した言う。
海外旅行をしていろんなところを回ってみると、子供にとっては学校で習う地理や世界史がその場所の記憶映像と一緒になってとても身近に感じて頭の中にスーッと入ったそうな。
私の従妹なんかは親から、「勉強しろ!」なんて言われたことは無いのではないだろうか?いえ、私の一族や村で、子供に「勉強しろ!」と言うような家はほとんど無かったのではないだろうか?私の家ではあったが、そんなことを聞く素直な私ではなかった。勉強部屋ではひたすら戦争の本を読み、飛行機や軍艦の絵を描いていた。母親に、「勉強しろ!」と言われて勉強する子供は言われなくてもする。勉強するように子供に個室を与えても無駄。私の場合、子供一人にひとつの勉強部屋が与えられていたが無駄だったような?
中学の中間、期末テストでは、分かる問題は分かる、分からないものは考えても分からないと、いつも20~25分くらいで解答を済ませて、残りの時間は試験用紙の裏に飛行機の絵をいつも描いていた。
村全体の雰囲気は、勉強する人間は言わないでもするし、しない人間はいくら言ってもしない、で終わりだったかも?
私の村や一族では学校の成績と人間としての評価は何の関係もない。
いつも通信簿オール1だった叔父に私はいつも怒られている。それは今でも。
健康で素直なら仕事や将来は何とかなるというのが、特に女の子には基本の見方だったのかも知れない。
子供に、「勉強しろ!」というのは、「お前は頭が悪いから勉強しないと使い物にならないバカ」というように子供は潜在意識で親の言葉を受け取ることになる。
親が子供にあの手この手で構うのも同じことですね。「お前は一人では何も出来ないバカだから」という意識が子供の潜在意識の中に入る。
で、子供が自意識に目覚め始めたら、自己の中でもう一人の自分と葛藤が生じて二十歳を過ぎて鬱や引きこもりになることになる。
今日、電車の中で小さな子供とその親を比べて見ていたら、子供は親の性格や育て方半分、子供の過去世からの持ち越しの性質半分なんだろうな?と思ったね。親はその半分は関与できないから子供を自分の考えで締め付けない方が良いな。



変化の兆し?

日米硫黄島合同慰霊祭、インパール戦日英元兵士合同靖国神社正殿参拝、アメリカ調査による強制従軍慰安婦事例一件も見つからず。
これらは時代の流れの変化を示すものではないかな?今度の衆院選挙の結果はどうなるか分からないけど、日本の見えない変化の始まりかも知れない。
安倍さんと習金平との会談での習金平のあの顔は永久に残る。あの二人の表情で安倍さんの勝ちだと評価できる人が意外に少ないのに驚くが、安倍さんの完勝ですね。習金平のあの顔は中国の歴史の汚点になりますね。
大きな流れの変化の兆しは目立たないところに存在する。
今度の選挙で自民は勝つけれど議席を減らし、民主は負けるけど議席を増やすという予測が出回っているけど、私は自民の大勝、民主議席減だと予測するな。共産党も議席を増やすな。アンチ自民は民主に向かわないで共産党に行くな。他の新党は実態や実力が国民に見えないという面はあるからな。意外に多くの若い人は田母神さんに投票するな。若い人と中高年の票の違いが大きく出るかも?でも若い人の投票率は低いだろうけど、若い人の投票率で大きく変わる。田母神さんの論文をマスコミが批判した結果、効果は逆になって田母神さんが大きくなっちゃった!ということですね。

命は祈り

命(いのち)は、祈り(いのり)なんだな。この言葉、きっと誰かが言っているな。
村上和夫氏あたりが言っているかも?私が無意識にそれを思い出したかも?
ひとつの命(子供)は、親の「健康で健やかで幸せになって欲しい」という祈りでもあるし、祖父母やあの世のご先祖様の祈りの結晶として産まれているんだな。子供はみんな、この世の存在からも、あの世の存在からも祈られて存在しているんだな。それが自然で普通なんだな。普通が一番かもね。
そういう祈られている存在を親の見栄の存在にしたり、虐待は大変な罪だな。
こういうことを感じるようになったということは俺も先が短いのかな?



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