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不思議な感覚

不思議な感覚は二度経験している。ひとつは、そのモンゴルでの初めての乗馬で800年?ぐらい前の記憶に身体の細胞が戻ったような恍惚感。
運動神経ゼロの鈍くさい人間が、始めて馬に乗って完璧に馬を乗りこなしたのは不思議だったな。落馬した後は、普段の鈍くさい人間に戻ったけど。
もうひとつは、60歳になった時に、田舎で御神輿を担いだ時。田舎では還暦になった男が御輿を担ぐ習わしになっている。神と一体になるというのか?今までに経験したことのない楽しさが感じられたな。
人間には、左脳では意識していないが、代々血が受け継がれてきたものや輪廻で魂が持っている記憶があるんだろうな?そうとしか考えられない。
だから、理屈では今の段階では意味が分からなくても、受け継がれてきた文化や風習は人を傷つけないものである限り出来るだけ続けた方が良いよね。
私の村でも、私の子供の頃はあったが、その後途絶えていた「とんど」(どんど焼き)という風習が復活したらしい。

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危機に胸躍る!

クリック⇒⇒本人のブログ
戦場ジャーナリストは自己責任ですよね。登山家や冒険家が山で遭難死するのと戦場ジャーナリストが戦場で拉致殺害されることとどう違うのだろう?
ヒマラヤで遭難した登山家の救出のために政府は金も人も出しません。そのことに国民もマスコミも何も文句を言いません。自己責任だと分かっているから。
危機に際し胸躍る、平和な生活では生きている実感がしないという感覚は私も分かる。実は私もそうだから。仕事でも緊急事態とか、短い期間でプロジェクトを仕上げないといけないという時には、私は別人になる。脳の中からアドレナリンが出て集中力が高まって燃えるな。そういうので失敗したことは無いな。
平和の中では私は凡人、鈍才だけど。モンゴルで始めて馬に乗って数時間後、馬が全力で暴走?を始めた。その時は、今まで経験したことがないような快感だったな。「人馬一体というのはこういうことなんだな。今、自分の遺伝子が先祖帰りしているんだな?」と陶酔していた。そのままずーっと走っていたかった。
同行のツーリスト達は、「へえ~!かっこいい!あの人、乗馬やってんだ!」と感心して見ていたらしい。で、馬がネズミの巣穴に足を突っ込んで人馬ともに空を飛ぶようにひっくり返ったけど。大地に叩きつけられて、危うく首の骨を折るところだった。もちろん常には仕事で人に迷惑をかけないために安全第一を旨として生きているが。仕事では冒険しているけど、事故に会わないように、病気にならないように注意している。それが仕事をする人間の責任ですよね。
国が危ういとき以外は、男は子供や家族を守るのを第一義とすべきですね。
危機に際し胸躍るは、封印しないといけない。封印する力も男の仕事だな。

覚悟

ジャーナリストは、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」ということで戦場や危険地帯に入る人もいます。当然ですよね。危険を冒して入らなければ見えないものがあります。外国の報道機関からのニュースのコピーだけではコピーマンであってジャーナリストと言えないですね。ジャーナリストになるということは命の覚悟が必要ですね。
ただ危険地帯に入るジャーナリストはテロリストに誘拐拉致された時に、「自己責任で行くので、万一の時は日本国政府による如何なる支援、救出活動は必要ありません。」と文章を政府に提出して行くべきだよね。
だからこそ危険地帯に入って入手した独自の情報は高い値段でマスメディアに買われることが出来る。仮にイスラム国に拉致された日本人二人が、日本政府が二億ドルは論外としても百万ドルとか一千万ドルの身代金を払って解放されたとすると、その二人は帰国して堂々とジャーナリストを自認して日本で生きていくことが出来るだろうか?
自己責任と言うことでは、医療の世界でも同じですね。自分が万一脳梗塞などで植物人間になった時に、延命治療を医者に求めるかどうかということも同じですね。私の母はポケットの中に、「延命治療はしないでください」と書いたメモをポケットの中にいつも入れていました。まあ、そのメモを兄が見つけたのは、母が亡くなった後のようでしたが。

クリック⇒⇒怪しいスタンスで見るとこういうのありました。
このブログの情報自体、信憑性が怪しいけど、いろんなものが不自然ですね。実の母親とわざわざ言うことは、別に育ての母親か義母親がいるということですね?名字が違うから当然なんですけど。奥さんや父親など他の家族のコメントが出てきていないのは、なぜ?
マスコミの記事に惑わされないで母親の会見の映像と言葉から自分で判断してみることです。
クリック⇒⇒教会系のまじめなスタンスで見ると。




イスラムは本来優しいが。

クリック⇒⇒イスラミック・センター・ジャパン発表
イスラム教本来は優しい宗教だと言われている。部族間争いの殺し合いとイスラム教自体とはちょっと違うし、攻められたら攻撃するという仕返しの論理はあるんだろうな。食べ物の少ない地域では奪い合い、殺し合いが部族間で常に起きていた。それにまして長年のヨーロッパの植民地支配が多くのトラブルを現在に残しているのだな。アメリカのかつての奴隷制度が現在の社会的不安定さを生み出しているように。原因の元を辿れば、フランス、イギリス、アメリカが原因を作っている。いろんな見方があるけれど、アメリカがイラクの軍事力だけを叩いてフセイン体制を残していれば、このようなことは起きていなかった。フセイン体制も恐怖政治だったらしいけど、それを叩くのは内政干渉だよね。まあ、アメリカはイラクの石油権益欲しさに、いろんな理由をでっち上げてフセインを潰したんだけどね。



自信は無私

「己を忘れてものを見よ、ものを忘れて道を見よ」という言葉がありますが、実際はその通りなんですけど、分かったような分からない話しですね。
自分に自信がある人は自分のことを考えない、ということですね。
自分に自信のない人は、いつも自分のことを考えている。「私は、私は、私は、私は・・・」の連続。まず出る言葉は、「私はそれは好きじゃない」と。好き嫌いだけが判断基準。自分の好き嫌いを離れて、ものごとを判断できない。
明日の朝も生きている自信のある人は、明日、起きられるかどうかなんて考えないよね。それと同じで本当に自分に自信のある人は自分のことを考えない。
10年近くの前、ある人にどうしても話しておかないといけないと思って、「これを言えば嫌われるだろうな」と思いつつ勇気を出して言った。
「人間の出来ている人が話す言葉には、「私」という単語はほとんど出てこないか、非常に少ない。私は、私は、と言う人は、人間が出来ていない人です。10分間の会話の中で、”私は”というのが何回出てくるか数えてみると良いですよ」と。
そしたら、何という言葉が出てきたか?「私は、私というのをあまり言っていないと思う」と。開いた口が塞がらないというのを始めて経験した?
人間て、ほんとに自分のことが分かっていないんですよね。
ちなみにそう言った人は一人だけではありませんが。
似た話で、国名でも昔、日本は「大日本帝国」と名付けていました。大という文字を自ら付けるのは小国で国際社会で自信が無かったからですね。
The Geat Brtainと名付けた頃のイギリスもひょっとしたらそうだったかも?
今も大を付けている国がありますね。




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