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アンドロイドとiPhone

iPhoneを5年使った後にアンドロイドに換えて2ヶ月が過ぎた。アンドロイドはごちゃごちゃしていて見ずらいね。どうでもいいことでピッと音が鳴って迷惑だ。音は電話とメールの着信だけにして貰いたい。だいぶ前にも書いたが、アンドロイドは技術で、iPhoneは文化だな。iPhoneのソフト力、デザイン力は大したものだと思うな。同じ値段かちょっとの違いならiPhoneの方が良いね。iPhone、iPadはAVIという規格の動画を保存表示出来ないのが困るけどね。ただし、iPhoneは店頭で操作のアドバイスを受けられないから機械音痴には不向きではありますね。
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成功とは何か?

人は何を持って深い喜びを感じるか?それは一人ひとり違う。事業に成功して深く喜びを感じる人もいるだろうし、何かを作り上げることに喜びを感じる人もいるだろうし、家族の笑顔を毎日見ることに一番の喜びを感じる人もいるだろう。
人は結構、親や学校や世間の価値観に洗脳されていて、本当の自分の喜びは何なのか?分からない人は結構いる。成功した人の話を聞いていて、立派だと思うケースはあるけれど、波動の共鳴を何故か感じないこともある。本当の自分を見つけることが大事だな。
天風会でも、子供の頃から、いつも人に褒められる生き方を選んで来ていて、本当の自分を知らないのではないか?と見える人もいる。
「人は10万回生まれ変わって人間を卒業する。すべて人間は10万回の中で同じ経験をする。その人が今生は何回目の命かによって見た目違う体験をしているだけ。今、日本人に生まれているということは既に9万7千回は越えている。」と言っている人もいた。
そうかも知れない?とも思うし、ちょっと違うかも知れない?とも思う。
人は輪廻転生の中で同じ体験は二度しないとも思えるし、神様のテストに合格しなければ、また同じ苦難を繰り返すかも知れないし?
小学生としての成功と大学生としての成功は違う。小学生ではみんな同じものを学ぶけれど、大学になるとそれぞれが学びたいものを学ぶようになり、他者との比較は意味をなさなくなる。魂のレベルでもそれは同じと言えると思うな。
違うものに喜びを感じてもレベルというのはありますね。一流は一流としか話は合わない。例えば人はみんな一流のスポーツマンに対してテレビを見て評論はするけど、実際に会ったら次元が違い過ぎて対話にならないよね。対話にならないということが三流、四流だと分からないんですね。二流になると分かって来る。二流になると、会った瞬間レベルの違いが見えて自然に頭が下がるようになる。喜びの質というか?喜びの次元にもそういうことが言えると思いますね。

遠慮、謙虚は犯罪?

行修会後の食事会に新しい人が図々しい人に連れられてやって来た。
連れられてきた人は歳の割りに大人しい人だ。
「ここでは遠慮、謙虚は罪・犯罪だよ。ここはみんな図々しいから。」と私は言った。そうだよね、時によって言いたいことを言って、聞きたいことを聞く、食べたいものを食べる、遠慮しないということが正しい。
日向ぼっこ村では、遠慮しない、図々しいが正しい。バイキングコースで遠慮して食べるの押さえたらバカだよね。たくさん食べて上げるのが料理人に対す礼儀ですね。料理人は客にたくさん食べて貰ってうれしいのだから。天風会だって同じ。お金を払ってなんで遠慮するんだ?だよね。

言葉

真理の言葉はそれを会得している人が話すのと知識で話すのとはまったく同じ言葉でも受け取り手(聞き手)の理解は全然違う。何故だろう?不思議だな。
昨日の箴言の時間に、「動中静」の話が出ていたけど、
「動中静ってどういうことですか?」とある人に食事会の帰りに質問された。
「歩きながら一言二言で説明できません。」と答えた。
スポーツ選手の中のプロ中のプロはみんな動中静を会得している人ですね。王さん、イチロー、内村航平はそれを会得していますね。歌舞伎役者でも超一流の人は会得しているようですね。
安定打坐の時間に、力の誦句を何回もみんなで唱えることをする先生がいますが、昨日もそうでした。私は個人的にはそれは好きでないし、賛同もできない。
いつも私は唱えないで、7~80人が唱える大声を滝の音を聴くように今迄は聴いていました。昨日は大勢が大きな声でそれを唱えている騒々しさの中で無心の心境になる挑戦をしてみることにしました。出来ましたね。まあまあの時間の長さで無心が維持出来ましたね。

一昨日、英語サークルに30ぐらいの女性の見学者がやって来た。
「中国の方ですか?」と聞いた。
「訛っていますか?」、
「ええ」、
「今までそう言われたことは一度もありません。日本生まれの日本育ちです。」、
「そうですか?」
「母はミャンマー人です。」
「ミャンマーは今は政治的にいろいろありますが、いい国ですね。」と答えた。
それから英語がスタートして話が途切れたけど、「ミャンマー人の血が流れていることに誇りを持ってくださいね。子供が生まれたらミャンマーの歴史を勉強してその誇りを伝えて行ってください。」と言いたかったけど途中で帰ってしまった。

身体の力を抜く

今日の日曜行修会の室外行修で、身体の力が抜けている女性がいた。
「あれ~?この人、今までこんなに力が抜けていたかな~?」と観察していた。
終わってからその女性は○○先生に、「先週、入籍を済ませました。」と話していた。「なるほどな~、人間、落ち着くべき所に落ち着いた安心感と幸せの感覚の状態では自然に身体の力が抜けるんだ。」と分析した。確かにそれはそうだよね。願わくば、その幸せが続いて欲しいものです。確かに心配事や不安感を持っている状態ではいくら努力しても力は抜けないよな~、と思ったな。
知っている人もいると思いますが、こんなyoutubeがありました。



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