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漢字って凄い?

ネットサーフィンをしていたら、「泣(なく)は、さんずいに立つ」と書いていた。
「涙は、水の後に戻る」なんですね。目から水を流したら元に戻るということかな?初めて気が付いた。みんなは知っていることなのかも知れないけど。本来、さんずいの右に悔しいを置くのが普通の人間の心だよね。漢字って凄いね。
私は、漢字は人間の頭(理屈)で考えて作られたものではないと思っているんですよね。天啓から得られたものではないかと推測していますね。
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こういう人、いるにはいるけど?

私も霊能者、霊視能力者と言われる人に何人にも会ったけど、当たっているような?ないような?という感じかな~?悪く言われたことは一度もないが。

こういう体験は一度も無いけど、自分に経験が無いからといって、そういうのが存在しないという理由にはならない。

ビックリ2!

昨日は朝、雨だったのでバスで駅まで行った。当然、帰りもバスに乗った。
既に座る席は無かったが、前に座っている20代前半の若者が私を見て、
「どうぞ」と立ち上がろうとした。「えっ?!」と内心むかついた。
背筋を伸ばし、きちっと立っているはずの私に席を譲ろうとしている。
「俺、そんなに年寄りに見えるのかな~?」と自己嫌悪と疑問に思いつつ、
「いや、結構です。すぐに○○で降りますから。」と優しくお断りした。
「人の親切は受けるのが親切」と私はいつも人に言っているが、私はまだ席を譲る立場の人間だと思っているのに、譲られるのは心外という思いはある。
そんなことが最近は電車で年に一、二度はあるが、バスは初めてだった。電車の時は親切を敢えて受ける時もある。それにしても、どうしてそうなるかな~?

小豆島

天風先生が昭和初期になぜ数年に渡って小豆島に行ったのか?もちろん呼ばれたからであろうが、小豆島の波動に何かを感じたのでは?と推理しますね。
小豆島では世間的には大物ではないけれど結構な人が悟っている。霊法会の始祖や本山博、ある神道の大御所など。日本在住のスリランカのある偉い僧侶は毎年正月は小豆島で休暇を過ごすと聞いた。かつてキリスト教の宣教師たちは小豆島をキリスト教の日本のメッカにしようとした。そこに何かを感じたのだろう?島遍路として小豆島に100回以上来ている人もままいる。春と秋の遍路の季節に50年は続けて来ているということですよね。日本海側に住んでいる人が春遍路として船から小豆島に降りた瞬間、天国を感じると聞いたことある。でも島に住んでいる人間はそんなこと考えもしない。「人の悪口は女の生きがい」と、「誰がどうしたこうした」とどうでもいいことを言いながら過ごしている。

ビックリ!!

今日、人に見せて貰った天風会の復刻版の本に、天風先生が昭和6年11月に小豆島で講演をして、それから数年講演が続いたとあった!「え~っ!」だな。
私の祖父も聞いたのだろうか?もうその頃の話を聞いた人は生きていない。
今年は昭和6年から数えて87年目。昭和16年から77年目、私が生まれて67年目。私が天風会に入って27年目。7づくしだな。10月の小豆島勉強会は宿命か?「そんなアホな~?」だな。
小豆島出身の偉い人(覚者)が「悟りの書」(結構、難しい)というものを書いているが、それを読んだ時に、「この人、きっと天風先生に会っていたな?」と感じたが、それは当たっていたかも?
島の友人と話したら、当時は醬油産業を中心として今とは比較にならないほど島の景気が一番良い頃でお金をたくさん出せる旦那衆がたくさんいたようだし、
また11月は日本三大渓谷美として有名な寒霞渓の紅葉の季節でもあるので、観光と兼ねて来て貰ったのではないか?とのことです。当時は私の村も醤油産業とそれを運ぶ海運業で景気が良かった。私の先祖は江戸時代の北前船運航という海運業ですね。私の村では最近まで蔵の無い家はほとんど無かった。栄枯盛衰の見本のような村ですね。ちなみに江戸時代中頃までは小豆島は日本有数の塩の産地で、その塩と北前船で島に運んで来た讃岐の小麦、北海道の大豆や昆布を合わせて醤油や佃煮を作るという産業立国ならぬ産業立島だった。


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