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九条の会?

「九条の会」が日本国憲法九条にノーベル平和賞を貰おうと毎年努力しているようだが、それは頭の程度の低いジョークでしかないけれど、それもブラック・ジョークに近いかな?でもブラック・ジョークには知性が必要だけどね?
もし仮にそれがノーベル平和賞を与えられるなら、それを受け取る人間はアメリカ政府、またはGHQで日本国憲法を草案した人間だよね。なぜならそれはアメリカが作って日本に強制したものだから。
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神様級?

何も知らなければ無邪気になれるけど、みんな知った上で、または、みんな見えた上で無邪気になれたら神様級の人間だな。なかなか難しい課題だな。
この世はカルマを解消するための仮の世界。「この世は仮の世」というのは中二の時から気づいている。この仮の世で新たなカルマを作り出している人も多い。
人は魂の声に基づいて行動判断している人は非常に少ない。仮の世の仮の生活の欲望に基づいて考えて判断して動いている。会うべきでない人と逢い、会うべき人とは会わない。多くの人は本当に大事なものからは逃げたがる。大事なことって怖いんだよね。で、大事なことからは逃げ、大事で無いことに一生懸命になる。見えない無知は幸せだな。
魂の話しとは関係が無いけれど、
先日曜ある人に、「どうしたの?ふらふらした姿勢になっているね?」と言った。
「昨日、風邪を引いて。でも自分でも気づいていなくて、言われて始めて気づいたけれど、どうして分かるんですか?オーラが見えるんですか?」と言われた。
「目ではオーラは見えないよ。でも、微妙な違いが分かるんだよ。私の目はごまかせない。」と答えた。そんなことだけが見えるのなら何の苦労も無いけどね。

背中の曲がりや腰の曲がりというのは遺伝的な要素もあるのか?
それとも無意識に親を見ていた姿を潜在意識が真似るのかも知れない。
それは分からないが、母親や叔母の背中の曲がりは祖母の背中の曲がりとそっくりになっていた。後ろから見るとまるでそこに祖母がいるように感じることもよくある。
私も坐っていると背中が曲がっている。で、気づいては背筋を伸ばすようにしている。癖のままになるのは簡単だが、矯正した姿勢が癖になるようになる迄は大変だ。何も考えないでもいつも姿勢が真っ直ぐな人は育ちが良いんだろうな?育ちは出るよね~。それは姿勢だけでなく心の使い方もそうだよね。
天風教義等で学んだ心の使い方が普段の心の癖になると立派なものだな。
一般的には心の癖は、生まれや育ちのままだよね。生まれや育ちで付いた心の癖を本来の自分に戻すのが人生の修行だな。
よく本に、「自分のままでいいんだよ。」、「あるがままの自分でいい。」と書かれているけど、「自分のままの自分は何?」というのはとても難しい問題だよね。
本来の自分というのはなかなか気づくのは難しいけど、天風教義では実我と言うし、本心良心とも言う。実我に気付けば人生合格だよね、きっと。
最近、日本は良くなってきたな~?と思っている。
3.11以降、クラクションを鳴らす車は滅多に無いよね。
昔は、「さっさっと行けよ!何もたもたしているんだ!」と不平を言いながらクラクションを鳴らしていた。今は押しボタン式信号のある歩道でも車の運転手は穏やかな顔で必ず止まるよね。「このやろう!俺の前で信号を赤にするなよ!」という怒りの顔はほとんど無い。信号の無い交差点でも自動車の運ちゃんが車を止めて、「先に渡りなさい」という顔をしたり手で合図をするよね。
恐らく日本人が他国民より多く持っている譲り合いの心がますます洗練されてきたように思う。3.11は日本人がおそらく本来持っている心の癖を蘇らせたのかも?とも思う。きっとこんな国、他に無いと思うな。

違い

知る、体験する、会得する、この順序ですよね。
知らなければ知らないで知らないのだから何も問題が無い訳ですが。
「ネット?別に知らなくても生活に困る訳ではないから。」と言う人もいます。
「ベートベン?モーツァルト?学校で習ったけど、それから聴いたこと無いけど生活に何も支障は無い。」という人がほとんどですよね。
そういう中でいろいろ音楽を味わう人、何かの習い事を会得しようと努める人がいます。知らない人は知っている人との人生の味わいの差が分からない。
何かひとつを極めれば、自ずと通ずるでみんな同じことにもなるけどね。
知って体験して死んでいく人と知らないで何も体験しないで死んでいく人との差は大河の川幅より広いと思うな。知識はあの世に持っていけないけど、体験で身に付けたことは持って行けると思うな。それはそのままではないけれど次の人生の基礎になると思うな。マイナスのことも含めてね。やって(挑戦して)思い通りにならなかったことはマイナスではないですね。それは経験。マイナスのことは次のマイナスのカルマになるのだろう?

友好の意味

日本人は友好と言えば、「ずーっと仲良くやりましょう!」という意味に考えるがC国を含めた大陸国は、「今の軍事的力では負けるので、相手に勝てる武力が整うまで友好でごまかして時間稼ぎをしよう!」という意味ですね。
どうして日本人はそういうことが分からないのだろう?孫子を読んでいないからだよね。孫子は外交の基本形なんだけどな。「戦争は外交のひとつの手段」(マキャベリ)なのです。
旧日本陸軍大学では孫子を勉強していなかったと読んだことがある。それでは戦争に負けたのは必然だよね。アメリカでも戦略学は普通の人が入る普通の大学の必須科目と聞いたことがある。「戦略学?何という右翼だ!」と騒ぐのが日本人だな。だから日本はパーツを作る技術はあっても戦略のあるアップルやマイクロソフトに勝てない。



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