忍者ブログ

カレンダー

04 2026/05 06
S M T W T F S
10
20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
村長さん
性別:
非公開

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

忍者アナライズ

[1653]  [1654]  [1655]  [1656]  [1657]  [1658]  [1659]  [1660]  [1661]  [1662]  [1663

「死ぬ日は生まれながら決まっている。」、「魂は永遠だ」という説があります。
私もそれを信じています。しかしそれでは割り切れない、耐えられない死もあります。




PR

思考

思考は言葉によってなされる。当たり前のことと思うかも知れないが、当たり前ではない。「好き」と「嫌い」というふたつの言葉しか知らない人は、すべてに、「これ好き」か「これ嫌い」しかない。まるで大衆の思考のようですね。大衆にはもうふたつの言葉ある。それは「心地よい」と「心地悪い」ですね。人は常に自分にとって、その時点で心地よい方を選ぶ。
言葉の数が多いほど思考は広く深くなるのは必然ですね。言葉はイメージと結びついています。イメージの無いものは言葉が無い。言葉が無いとイメージが無い。だから言葉を知らない人に教えることは出来ない。
驚くのはお釈迦様の残した言葉はお経になっているのだけれど、本当にお釈迦様はそんな難しい言葉を使っていたのだろうか?という疑問はあるのだけれど、どちらにしても二千五百年前や二千年前にあれほどの言葉が使われていたということは驚くべきことです。たとえば、空色即是空という言葉あります。言葉があるということは、観念があったということです。二千年経ってもほとんどの人は空も色も理解できない。もちろんその解説本はありますよ。その解説の知識を読んで分かったと思えば大間違いですね。日本人の思考の中に空も色も無い。それは仏教の翻訳の本の中に書かれているだけで、日本人の生活の中には無い。空も色も仏教の原典を訳するときに中国語の空と色という漢字を使っただけだから、お釈迦様の持っていた本当のイメージは違うのかも知れない。
英語のラブに当たる日本語は無いと言います。とりあえず愛と訳しているけれど。日本人にはラブに当てはまる観念が無いらしい。ラブを愛と訳して分かったつもりになっている。それと同じですね。
本当に言葉は神から与えられているものかも知れないと思ってしまうほど言葉は不思議だ。
私は赤ん坊や幼児はどのようにして言葉を覚えるのだろう?どのようにして使えるようになるのだろう?と観察しているけれど本当に難しい。言葉というのは元々赤ん坊の中にすべて存在しているのではないかと思ってしまう。すべての言語がすでに入っていて、必要なその言葉の引き出し方を母親に導かれているのではないかと。
「最初に言葉ありき」というのが聖書にあります。意外に人間の常識的思考の範囲の中にその意味は無いかも知れない。言葉や思考というのは本当に不思議だ。
「赤ん坊は母親からひとつひとつ言葉を覚えるのよ」と考えるだけの人は幸せだな。










死亡適齢期

今朝、仕事上の知人の訃報のファックスが入っていた。享年53歳。責任感が強い人だったのでストレスだね。最初の入院の時、少しはアドバイスしたのだけれど。
概ね、52±1歳が男の第一死亡適齢期だな。自分でもよく分かる。その後、10年ごとに死亡適齢期はやってくる。
50歳過ぎたら一度肉体のオーバー・ホールをしないといけない。私も今、2回目のオーバー・ホールの時期が来ているのが自分の身体の感覚で分かっている。
そしてそれに併せて10年ごとに価値観や食事内容の転換をしないといけない。が、多くの男にとって責任ある立場として生き方の価値観の転換が出来ない。また多くの女房は、カロリーと栄養学の一般常識に囚われて、歳と共に食事の内容を変えないまま亭主はそれを食べることになる。あ~だ、こ~だと理由を付けて女房は亭主の食事内容を何も変えないようにする。そういう価値観の転換や食事内容の変更の必要性を知らないままに無理をして男は倒れることになる。
責任という重圧の無い仕事をしてきた人間は長生きするかも知れない。
責任ある立場の男で長生きしているのは、10年ごとに自分を変えて来ている人だと思う。男が80を過ぎて元気で健康な場合は、必ずその生活の中に理由がある。
なぜなら見た目と違って、内臓は個人差はあっても確実に歳を取っているから。なぜなら細胞には時計が付いているのだから。男は50を過ぎたら内臓に無理をさせてはいけない。
それと最近思うに、女は長生きだけれど、いろいろ理由はあるのだけれど、生きる欲、生きたいという欲が、男より遙かに強うということも大きな理由ではないかと思っている。
男は、「この辺で、もういいか」という死に場所、死に時を探している気もする。この感覚は女には理解できないようだ。だから女は長生きする。こういう話は女とは議論できない。なぜならそういう観念がないから。観念がないものは、思考も出来ない。まあ、それで良いのですが。









「力」の意味

天風教義の誦句集に、「私は力だ、力の結晶だ」というのがあります。この「力」とは何かということは人に教えることはほとんど不可能だと分かった。それは普通の人に、量子力学や相対性理論を教えることは出来ないということと同じですね。量子力学のさらに先の素粒子論と、この力の意味は繋がってくるのだから。
人はそれぞれにその人のレベルで「力」という意味を捉えている。むしろ何も考えずに口にしている。
エネルギーという意味を知らずにエネルギーという言葉を使っているのと同じですね。エネルギーという言葉の意味も実は難しい。実は私はそれがまだ分からないでいる。
ある人は、エネルギーは、E=mc2乗だと言う。E=1/2mv2乗だと言う人もいるかも知れない。熱力学の方程式を言う人もいるかも知れない。しかしそれはエネルギーEが何々と等価だという式であってエネルギーそのものの定義ではない。
「私は力だ、力の結晶だ」というのも、インドの山の中で誰かが何十年修行して瞑想して掴んだ感覚というか、真理を岩に刻んでいた言葉なのだけれど、悟りというのは凄いもんだと思うね。その修行者の意識が素粒子のレベルまで行っていたということだもんな。
ということを天風会に入って7年掛かって分かったけれど、残念ながら、誰にもそれを理解させることは出来ないでいる。
素粒子論の概念を理解できない人は、この「力」の意味を本当には理解できない。
人はいくら知識を頭に入れても、99.9%の人は生まれ育ちを越えることは出来ない。0.1%の人だけがそれを越えることが出来る。それが覚者になるわけですね。

何事も学ぶことは大事だけれど、学んでいる人と学んでいない人の間に人間的な差は無いですね。学んだ知識が逆に邪魔しているケースも多々ある。自らを客観的に見る力がないと、「私は何も知らない」という何も学んでいない人の方が遙かに立派になる。知識は人を成長させない。気付きを自ら身に付けることで成長するのだけれど、ほとんどの人は気付きと知識との区別が付かないでいる。
あ~ぁ、愚痴になってしまうな~。天風先生や山田先生などはこの無力感を越えていたんだよね。本当に立派だよね。私はそこまでは遙かに到達していない。










無題

インターネット・ニュースにこのような記事がありました。
【■日本へ向いた中国の警戒
 弾道計算が可能なミサイルを撃ち落とすというのであればまだしも、落下物に当てる能力などSM3にもPAC3にもあろうはずもない。しかも、PAC3が配備された沖縄からは北朝鮮が通告してきた軌道まで300キロも離れていて、そもそも射程20キロのパトリオットミサイルが届く距離ではないのである。さらに落ちてくる金属片に対して一発数億円のミサイルを撃ち込むというコストパフォーマンスを考えれば、なおさら実現性の低い話だったことが理解できるだろう。
 つまりミサイル配備は完全に国内向けのパフォーマンスに過ぎなかったのだが、その反面、対外的な影響力は日本人が考える以上に大きかったようなのだ。】
私に言わせれば、「今頃何を言っているんだ!北朝鮮がロケットを打ち上げる前に言えよ!」ですね。
すべての結論が出てからの意見なんて政府の情報の遅さと何も変わらない。
私は、北朝鮮がロケットを打ち上げる前にそう言っているし、そう書いている。落ちてくる物を打ち落とす能力は自衛隊には無いと。そしてそれは無意味だし、破片が増えるだけで余計に危険だと。
ちなみに私は北朝鮮のロケットは4割成功していると思うね。なぜなら第一段で120キロ上空まで達しているから。第一段目ロケット実験としては成功していると言うことです。分離に失敗したということで。分離のタイミングは難しいのだろうな。分離は結合部分を火薬で爆発して分離させるのだろうけど、その爆発のタイミングがほんの少し早くても遅くてもダメなんだろうと思う。











忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne