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どうでもいい話。

だいたい毎日モンゴル・ウランバートルの気温天候をインターネットでチェックしているけれど夏も冬も一日の気温差20℃ですね。夏なんか気温差30℃になることも多い。凄いね~!でも本当、まったく役に立たないどうでもいい情報で私の趣味?今は昼間-15℃、夜-35℃ってところ、ヒェ~!常春の島育ちとしては冬のモンゴルは行けませ~ん!!
昨日、取引先に行くためにバス停でバスを待っていたら後ろの初老のおばさんたちが話していました。「○○さん、死んじゃったのよ~!それもカラオケしている最中に倒れて!救急車が来たときにはもう心臓は止まっていたんだって!」、「あら、いいわね~!カラオケしながら死んじゃうなんて」
本当、人の死とは不思議なものですね。あっけらかんとして死ぬ人もいれば、苦しんで苦しんで死ぬ人もいる。私の一族で苦しんで死んだ人はいません。特に我が家は。人は生きてきたように死ぬと言われています。生き様は死に様で、死に様は生き様ということらしいんですけど。生き様と死に様は相似形ということですね。本当にそうかどうかはまだデータ不足ですが。
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日本人とモンゴル人

あ~だこ~だと考えて人生を失う日本人、瞬間的な感情で動いて人生を失うモンゴル人。顔は似ているけど性質は真反対ですね。そして両方とも正しい人生を失いやすい。モンゴル人は遊牧を、日本人は農業・漁業をする思考形態になっている。日本人の思考や性質は、あ~だこ~だと考えて水をやり、草むしりをこつこつする農作業と村社会から生まれている。遊牧民は馬と羊への瞬間的対応と一度会った人と再び会うのは1年後かどうかの人間付き合い。草原の中に消えれば人間関係も嫌なこともすべてが消える。新しい草原で馬や羊と同じように人間も新しいつがいが生まれ新しい人生が始まる。日本人よりはるかに過去を消去出来る。厳しい環境では過去をすぐに消去して新しい相手を見つけて誰かと一緒に生活しなくては生きていけない。日本人はぐじゃぐじゃ考えながらも一人で生きていける幸せな環境に生きている。
日本人は井の中の環境をこつこつ自分に居心地の良い環境を作ることに夢中で井の中から出ようとしない井の中の蛙。モンゴル人はこつこつ環境を変えるのでなく住む場所をパッと移ってしまう。
多くの日本人は現代の都市の中で人生を送る思考・感情の合理性に欠けている。モンゴル人は逆の方向で都市生活への順応性・協調性が無い。まあ、モンゴル人、日本人どっちにしても自分の魂の声が聞けないと、「とりあえず生きた人生」になってしまう。まあ、それはそれで間違った人生ではないけど、本物の自分の人生でもない。

モンゴル在住の女性のブログから抜粋2

『モンゴルでは外国人を殺人した犯人の検挙率はかなり高いのです。警察の威信にかけて何が何でも犯人をあげる。もともと、わりと諜報部(CIAみたいなもの)が発達していて、モンゴルに滞在している外国人の管理(監視?)はしっかりしているモンゴルですから、殺人事件とかがおきるのは非常にまずいのです。今回も11日朝には容疑者が拘束され、被害者の遺品を所持していたことから、犯人と断定、逮捕。本人も容疑を認めたとのことです。犯人は、モンゴル東部から出てきた遊牧民出身の29歳の青年。2002年に遊牧民をやめてウランバートルに職を求めて上京してきたものの、定職につくこともできず、結局ホームレス生活になり、現在に至る、という経歴。犯行現場がどこであったのかは、正確には知らないのですが、モンゴルの9日付けの新聞によると、スフバートル区第4ホローにあるホビーショップというお店のすぐ近くの道端だったそうです。そのあたりは、もともと乞食やホームレスのおっさんや少年がたむろしては、飲食店に物乞いにきたりしている場所です。』
『街を通るとき、車目線でも、薄暗いところや危険が潜みそうな場所をあらためてチェック。明るい、暗いっていうだけでなく、いろいろあるんですわ。やばいってところ。街灯の有無とかだけでなく、死角の有無とかね。たむろしている人たちとか。でも、そういうことだけでなく、野生の勘みたいなのを働かせる。見てなくても犯罪多発現場ってわかるもんなのです、なんでやろ?こういうこと豪語したところで、やっぱ、危険に遭遇しちゃうときはしちゃうもんなぁ。今生きているから、自分の行動が正しい、とはいえんもんなぁ。。。自宅近辺は、あんまり街灯はないんだけれど、なんだろうなぁ。。。やばいってときはやばさが、アパートをでようとした瞬間に感じられるのです。これは、まぁ、現場を踏んでいる場数とか、そういう緊張感と危険対処の訓練を受けてきたからってこともあるのだろうか?
それならば、あの異常な緊張とアドレナリンとドーパミンの垂れ流しみたいだった日本でのお仕事の日々も無駄ではなかったっていうことなのでしょう。 それにしても、ウランバートルの煙はすごいです。田舎の清浄な空気をたっぷり吸い込んだ肺が一気に汚染された気がします。石炭臭い・・・。目がしみる。こんなところで毎日住んでいられるって、やっぱり慣れは怖いなぁ。喘息にならないように気をつけなきゃ、、、ってどうやって気をつけるんだ?』

ウランバートルに何年も住んでいて誰かが殺されて初めて気づく危険さ。この感覚は日本人がいかに防衛感覚に対してボケているかですね。日本は余りにも平和で素晴らしい国だからボケているということが何かが起きないと分からないのです。私はウランバートルに初めて行った時にウランバートルを日本人が一人で歩く街並みの危険さが分かりました。

ウランバートル在住の女性のブログから抜粋

「モンゴルの辺境地、草原や沙漠、タイガや山岳部などは大好きだし、旅するのは最高だって思うけれど、ウランバートルで仕事をするために長期滞在するっていうのは、それがルーティーンワークだったら、私は多分耐えられません。
モンゴル在住しているくせにこういうことをいうのはなんなのですが。
モンゴルでモンゴル人と一緒に仕事をする、というのは、最初はいいけれど、長く続けるのはとても大変。
いろんな仕事の条件を彼らの言い分尊重で、効率よく、仕事として成立させていくのは、自分がよっぽどスキルがあって、人格者じゃなきゃ難しいと思います。
ウランバートルにいるモンゴル人と丁々発止で仕事するっていうのは、ストレスがたまり、自分自身が疲弊し、感性や自分の心の柔らかい部分が削り取られてギスギスになるのを感じてしまう。
治安が悪いからって、モンゴル撤退っていう風には考えてないけれどね。
だって、やっぱり私の能力を最大限に活用して、社会貢献できるのはモンゴルが舞台のときだと思うから。
ここで、稼いでうっしゃっしゃのセレブになろうっていう願望もないし、一財産を築こうっていう欲望も、すっかり消えちゃったけど、やっぱ、宿命を一度背負う覚悟をしたからにゃ、モンゴルをつぶさに見て、聞いて、体験して、まるごと飲み込み、抱きしめなきゃね。」

落馬

モンゴルで落馬して怪我をする人はほとんど日本で乗馬を趣味としている人なんですよね。モンゴルで殺された鈴木千恵さんもモンゴルに住んで5年でもうモンゴルに慣れて私はモンゴルを知っているという傲慢の状態に入っていたのではないでしょうか?「私は分かっている」、「私は出来る」、「私は大丈夫」という慢心が事故を起こすんですね。モンゴルやモンゴル人は日本人から見ると本当にいろいろ問題がありますが、でも魅力もあるんですよね。
モンゴル人は語学力、記憶力が抜群に良いのですがその分考える力が足らないと気づき始めました。論理的な考える力が増すと語学力が落ちるかも?モンゴル人は後先のことを考えないで行動する癖がある。でも遊牧生活というのはそういうもんなんですね。いくら考えても、いくら努力しても羊の数は増えないから。瞬間、瞬間、羊や馬の動きに人間が対応する知恵がモンゴル人の本能的思考形態なのです。それはまた一面魅力的に感じるのではあるが。
ここ数十年の突然の都市化生活では思考癖、行動癖は変わらない。最低3世代100年はかかる。私も心は都市生活人間にはなっていない。心や思考はまったくの田舎もんです。
スペインやイギリスは国家として再び力を持つことは無いだろうと私は思っています。なぜなら余りにもかつて人を殺しすぎたから。アメリカも100年後か200年後そうなるかも知れません。モンゴル民族もやはり800年前に人を殺しすぎたのでモンゴル民族が発展することはもう無いだろうと思います。もちろん個人レベルではいろいろ成功する人は出てくるでしょうが。チンギス・ハーンの心を受け継ぐ人はいなかったということですね。チンギス・ハーンが死んだらそれまでの人間の個人欲に戻ってしまったということですね。天と繋がった人の心を受け継ぐというのはどの国でも宗教でもほとんど不可能に近いのでしょう。



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