天風会では天風教義を教えていることになっている。まあ、小学生レベルをぐるぐる回っているだけなのだがそれがすべてだと勘違いしている人がほとんどだ。で、そこから前に進めないので辞めていく人が多い。10年以上まじめにやっている人も多いが、彼らを見ていてかわいそうだなぁ~と思う。なぜなら彼らは前に進めないでいるのと同時になおかつそれに気付いていないのだから。クンバハカについても安定打坐についても、もっともっと深く広い世界が目の前にあるのに見えない壁でその広く深い世界が見えないでいる。その壁は自分で壊すことはほとんど無理だ。分かっている人に教えて貰わないと。それが師から弟子への繋がりですね。多くの中の一人として講義を聞いているレベルではこの師から弟子へのバトンタッチは出来ない。病気が治って満足する程度だけなら天風会が教える小学生レベルで充分なのだが。
私は毎日ずーっと少しずつ(数ページずつ)ドイツ人の書いた「肚(はら)」ディルクハイム著という本を読んでいます。禅の思想が基本ですが弓道の体験的思想も入り、普通の人には難しいかも知れませんが面白いです。天風哲学と表現する言葉は違うけれど同じ内容でもあります。天風哲学の思想に影響を直接的、または間接的に受けているのではないかと思いながら読んでいると次のような文章がありました。
【修行の極意は変身である。私がインドのヨガの不思議な成果について尋ねたとき、ある日本の老人が応えてくれた言葉もまたそのように理解できる。
彼は言った。「もちろん、数年あるいは数十年、なんらかの能力の修得に努力する人は、修行しない人に比べれば、素晴らしいと思われるような成果を上げることができます。しかし問題は、その成果が一体どういう価値を持っているかということです。それが粘り強い名誉心によって獲得された技術の結果でしかないならば、人間にとって全然重要なことではありません。それが内面の熟達の証(あかし)であるならば、価値があります」と。その老人の言葉はそれだけだった。これは成果そのものを尊んでいる私たち西洋人にとっては、思いがけない言葉だった。】
このドイツ人著者が日本いた戦前戦後頃のヨガに熟達した老人とは天風先生以外に考えられないし、その言葉の内容も納得できる。
PR