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第三回”宙の風”勉強会

メイン・テーマは「潜在意識の模様替え」なんですけど、水と食というのも大事なテーマになりそうです。もちろん理屈ではなく、まず舌で、身体の細胞で感じて貰うところから始まります。理屈、理論でなく細胞で感じることが大事ですね。
「水は命」というのを岩山で取水された水で新たに感じています。食で心が癒され病が治っていくというビデオも夜に上映する予定です。もちろん実習としては瞑想も重要になります。宮本武蔵が修行したという滝で滝瞑想もします。
私は、どこかで誰かが話しているような内容のコピーは話さないので、これから少しずつ頭の中をまとめるのが大仕事です。





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真善美

天風教義には教えやテクニックがいろいろあるけれど、結局、真善美で生きるかどうか、生きているかどうかだと思いますね。今言っていること、今やっていることが真善美から離れていませんか?ということを常に自分自身に問うことですね。他人がどうあろうと、周りの人が汚く生きていようと、たとえ自分一人だけでも真善美から離れないということですね。真善美を考えていたら仕事が出来ないという人もいるかも知れない。見栄を張るためにお金が必要なのよ。楽しい遊びのためにお金が必要なのよ、そのために効率よく稼げる仕事、利益が出ることなら何でもするわと言う人もいるかも知れない。
でも死ぬ時、それで、「私はよくやった。良く生きた」と満足して死ねますか?ということですね。そう思えるならそれで良いし、そう思えないのなら徐々にそういう仕事はやめるべきですね。将来、清々しい気持ちで死ねる選択を今するべきですね。それはクンバハカのテクニックよりはるかに大事なことだと思いますね。それは見た目、損の世界かも知れない。しかしそれは魂の損ではない。魂の得であり徳ですね。
泥水の中で美しく咲く蓮の花が仏教のシンボルになっているのもそういう意味があるかも知れませんね。たとえ泥水という環境の中でも私は美しく花を咲かせる、静かに美しく生きるということなんでしょうね。
それには勇気が要りますね。本当の勇気の発現にはクンバハカが必要です。

かつての日本人の生きる基準は、「美」でした。すべてとは言いませんが、どちらが美しい生き方かということが選択の基準でした。忠臣蔵の物語などその典型ですね。あんなの正しいかどうかを判断したら正しくないですよね。損得で判断したら明らかに損ですよね。私も忠臣蔵の生き方に賛同しません。でも、それが日本人の生き方の美にどこか適っているから毎年年末に厭きもせず上映されるのでしょう。そんなふうに美を基準にした文化はおそらく他にありません。他の国では、得か損か、利益と権力が基準でした。ヨーロッパの騎士道は美の生き方だったかも知れませんね。部分的には外国にもいろいろあるかも知れませんが。お茶やお花も美の追究ですよね。西洋の生け花とは意味が違うのだろうと思います。外国の生け花は、おそらく単なる花のバランス的美しさですね。但し、レオナルド・ダ・ビンチの絵は単なる調和の美ではありません。まあ、そういうふうに個々にはいろいろあるけれど。全体として、庶民までが文化としてというのは外国ではどうでしょう?
今の日本も損か得かが基準になっていますね。でも、日本人の心の底にはどこか誰でも損得より美しい生き方を追究したい心はあるのだろうと思いますね。
そういう生き方が世界の平和をリードする種になるのではないでしょうか?
天風先生の言うところの、「世界平和は日本から」というのはそういうことではないでしょうか?平和を経済力でリードすることでも、軍事力でリードすることでもありません。もちろんそれらはそれなりに必要です。それらの無い国の言葉は誰も聞いてくれません。経済力も軍事力も美しく使う、美しく行動するところから世界平和は作られる。
今、あなたが真善美で選択する小さな判断が積もり積もって世界平和の礎になるのです。巨大なハリケーンの風も始まりは一羽の蝶蝶の羽ばたきから生まれるという説があります。それは同時に命を繋げてきたご先祖様に恥ずかしくない選択でもあるということですね。
ブログ真理瞑想になりましたね?





道は自分で

道は自分で切り開くしかない。「たら・れば」は存在しない。
「親が何何してくれたら・・・私も何々なのに」
「誰々が何々してくれれば・・・私も何々出来るのに」
「お金があれば、私もそんなこと出来るのに」
そんな希望や願望は現実の人生に起きない。
そんな心を持っていると、人生、何も変わることも、前に進むことも出来ない。
自分で決めて自分が行動するしか人生の道はない。それが今を生きること。
たら・ればは存在しないと30歳頃に人に言われたけど、「宝くじに当たれば」とか確かに私の人生でも、タラとレバは一度も起きなかったことは事実だな。
そうそう、もうひとつ無いのがあります。それは「今度」です。「今度、電車であの女性に会ったら声を掛けよう」というような今度もありません。「今度は素直になろう!」と思ってもなりません。今、素直にならないと素直にはなれない。
60過ぎてこんなことを書いている私は青いな~!

こんな言葉がありました。

こんなのがありました。
クリック⇒⇒渡辺和子名言集
私は渡辺和子さんのお話しは、まだ直接は会って聞いていないと思いますが、本は何冊か読んでいますし、ビデオも見ていますし、渡辺和子さんとご縁のある人から話しは聞いています。だから直接会って聞いているというふうな錯覚を私の脳が持っています。

難しい言葉や理屈で人に何かを会得させることは出来ません。
良い理屈は、「なるほどな~!」と思うだけで身に付きません。
身に付くのは、やさしく短い言葉によりますね。
短い言葉でも、その人の人生の裏打ちが無いと波動が伝わってきません。言葉は同じなのに不思議ですね。
男は難しく説明し過ぎるのかも知れませんね。難しい言葉や理屈で話すと自分は偉いと錯覚してしまうのかも?男は反省しなくっちゃ!ハイ!反省!

ちなみに日向ぼっこ村や宙の風勉強会で私が伝えるのは、理屈も言いますが、基本は目、耳、筋肉など身体の感覚と心の感性で掴む実践です。

真性クンバハカ

真性クンバハカは、天風会が教えるクンバハカがある程度以上習慣になっていないと教えられない。なかなかこの人に教えようというレベルの人がいない。何も会得しないまま辞めていく人が多いのが残念だ。古い人でも現状天風会が教えているクンバハカを常時意識している人は私の見る限り見当たらない。常にそういう体勢になっている人に教えたいものです。そうすれば無意識にいつでもクンバハカが維持出来るようになる。キュッ、キュッ、キュッとする必要は無くなる。キュッキュッキュッと意識してしている限り霊体ではない。
本来のクンバハカは霊体なので、小手先のテクニックとしてちょこちょこ教えても身に付かない。すぐにしなくなる。何というかな~?聖なる体勢だから心して実行する心が必要だな。教える方法はテクニックだけれど、本来、テクニックでは無い。心身相似形なのだから。身体が聖なる体勢であると同時に心も聖なる態勢でなくてはならない。というか、心も自動的にそうなるということですね。意識してそうしている限りまだ聖ではない。う~ん、説明は難しいね。
クンバハカになると肩の力は自動的に抜けていくのだが、「肩の力を抜くという作業の80%は心の問題だ」と今日ジョナサンである人が言った。その通りなんです!「肩の凝りは心の凝り」と私がいつも言っている通りなんです。
心の力を抜かないと肩の力は抜けない。こういうことも予め感覚的に会得しておく必要があるかも?クンバハカも自分の心を放しておく必要があるんです。何かを心しているとその分、どこかの筋肉が緊張しているからね。
ますます私の話しは難しいね。そんなこと考えると余計にクンバハカにならない。だから初心者には教えられないんだな。初心者には、「肩の力を抜いて、臍下丹田に気を込めて、肛門を締め上げる。それを同時に」と教えるしかない。
それさえも腹式呼吸が出来るかどうかも必要だし。腹式呼吸(または丹田呼吸)が出来ないと臍下丹田に気を込めるということも出来ない。だからその場合は、臍下丹田に力を入れると教えるしかない。天風会では、こういうふうに分析して教えていないけどね。
ちなみに腹式呼吸は精神が安定していないと出来ない。だから観念要素の更改が必要になる。観念要素の更改は一般論として天風会では教えているけど、個々人の事情に合わせて個人指導しないとなかなか出来るものではないと思いますね。大抵は幼児期にまで遡って観念を置き換えないといけない。そういうことって自分で自分のことは分からないものだから。
だからクンバハカはクンバハカを練習するだけでは出来るようにはならない。
何度も書いているように、クンバハカは肩の力を抜いて臍下丹田に気を込めて肛門を締め上げることではない。クンバハカになると、肩の力が抜けて臍下丹田に気が籠もって肛門が締め上がってきて、お湯で鳩尾(みずおち)まで一杯(瓶が水で満たされた状態)になる感じになるのです。
そこまで教えてくれる人に出会えた人は幸せだな。それも縁だな。
とにかく、クンバハカ、安定打坐、観念要素の更改が相互に関連し合ってスパイラルに上がって行くということですね。
こんな話しは難しすぎて日曜のみんなの前で話す内容ではないな。
「無念無想」のテーマ以来久しぶりに天風教義について解説した?





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