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変わる勇気

何日か前に久しぶりに板橋駅東口から郵便局へ昔よく歩いていた道を通った。
数年前に、「板橋駅東口街並み再開発絶対反対」の文字がたくさん通りの店に貼られていた。で、彼ら商店街の主たちは何もしなかった。そして今ではシャッターが下りたままの店が増えている。
彼らは再開発に反対して、時代の流れに合わすことが出来ず活気がますます無くなって、商店街はますます魅力の無い通りになっていった。
今までの固定客は歳を取って動けなくなり消費能力も落ちて次々に亡くなって数も減って来る。新しい世代の客を呼び込むには新しい世代に合わせて変わらないといけないのだが対応できない。日本人の典型を見るようですね。
変わることを恐れて、すべてを失う。商店街も人の人生も同じ事ですね。変わることを恐れた人間は何も得られないまま、持っていたものも失って死んでいく。

今日、十条駅から通りを歩いているとモロッコ料理の店があった。当然、肉料理が主体なのだろうけど興味がありますね。一度試しに入ってみたいものですが、一緒に行く人がいない。トホホホホ。出来るだけ肉は食べないようにしているが、たまには珍しいものは味見してみたい。


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地震

昨日の夜から地震マップを見ている。一日、一週間、一ヶ月の地震の動きを見ているが特別な気配は見当たらない。まあ、あえて言えば静けさが問題だ。
3.11の前一週間は明らかに異様だった(4月頃、3月のデータを見た)。毎日たくさんの地震が日本中で起きている。人間が感じないだけ。その動きの観察と雲ですね。地磁気の異常により地震雲が予め発生すると言われている。地震学者は当然それを否定しているが。地震の発生状況としては異常はないけど、雲はちょっとおかしい。地震を発生させる地殻変化のせいじゃないのかも知れない。しばらくまた観測が続くな。
まあ、それにしても私は何といろいろなことに目を向けるのだろう?
今読んでいる本は、「母という病」というタイトルの本ですね。4月の紹介本になりますね。私がいつも言っている、「子供の心の問題の原因の80%は母親である」ということがこの本にたくさん事例として書かれている。私はよく理解できる。
まあ、逆に言えば父親の存在はいくら頑張っても20%、小さいということです。
私は、「男は哀れな存在なんです」と常に言っている。だから権力などというバカなものをその代償として男は持ちたがる。権力や権威を持ちたがる女性も心の中に満たされない不満があるからですね。権力や権威に満足を求めようとして得られないことを心の深いところで感じて、それを隠そうと、またはそれで自分を誤魔化そうと、さらにそれらを持ちたがる。私の言うところの、「もっと、もっと」地獄に墜ちていく。





何か、変だな?

地震の可能性について、何か変だな?という根拠は今は書けないですけど、夜に気象衛星による雲の写真を見てみました。自然現象の雲の形なのか、地震雲なのか、これも判断が難しいね。微妙だね。
iPhoneとかアンドロイドを使うと、電話代も入れると月に1万円ぐらいなるみたいだな。凄いね。若者から膨大な金が吸い上げられることになる。本当にそんな設備コストかかるのかな?何か変だな?それに国民全員が携帯やスマートフォンを持つことは国民一人一人の位置情報が国家によって裏で監視されるということなんですね。公式には裁判所の許可が無いとそれは出来ないことになっているだろうけど。裏ではどうだろう?携帯を使った犯罪は成り立たない。国家による国民監視社会が来るということです。まあ、昔からそうだと言えばそうだけど。この2月ぐらいからやけにスマートフォンが増えてきた。携帯ショップでも普通の携帯のコーナーは隅に追いやられている。便利の裏に何かが国家戦略的に隠されている?いえいえ、国家を超える何かの策略かも?人間奴隷化を計る世界支配組織による謀略説はいつでも言われているが。戦争もそういう組織による八百長という説もある。

科学

世間には科学教(狂)の人が多いけれど、科学を知らない人ほど、中途半端に勉強している人ほどそうですね。科学の歴史は実質百年にしかならない。いえ、50年かも知れない。それぐらいで何がどこまでわかるか?ということですね。
科学の基本は、どこで誰が測っても同じ結果になるというのが前提ですからね。それは正しい思考であり論理ですね。
しかし科学は、測定しようとする測定器の性能以上のものは測定できない。測定しようとするものしか測定できない訳です。測定できないからと言って何かがそこに存在しない証明にはならない。
私の感覚では、科学は、ざるで水を汲んでいるようなものですね。
人類がこのまま生き延びたとして、千年後の科学はどういう内容になっているのだろう?私はそれにとても興味がある。千年後に生まれたいものです。千年後の科学は今より遙かに楽しいかも知れない。
千年前の人々の思考と知識では現代の科学は想像が付かないし理解不能だと思うから、千年後の科学は我々の想像が付かないものになっているだろう。それを考えるだけでワクワクしますね。


2011.3.11の数日前から地震が来て落ちて壊れてはいけない物は床に置いていた。3.11の当日は、「今日の会議は行きたくないな~!」と思っていたけれど約束だから板橋に出かけた。車で来る人と夕方6時に駅前で待ち合わせをしていたので無事にその人の車に乗せて貰って帰ることが出来た。
3.16頃だったかな?爆発した原発の更なる危険を感じたので連休を利用して田舎に帰った。数ヶ月後の政府要人のコメントによると、その頃は、関東・東北一円が壊滅する最も危険な時期だったと言っていた。
田舎に帰る時に、窓やドアの隙間から放射能が入らないようにガムテープで目張りをして帰った。原発の原子炉爆発の危険性を何人かに電話したが、それに対応した人は一人もいなかった。政府が危険だと言った時には、時既に遅しの状況だから、政府発表の前に自分で判断して逃げておかなくてはならない。
自分の命は、命をかけて守るべきものを守る時のために、命をかけて戦うべき時のために大切にしなくてはならない。逃げるべき時には逃げる。戦うべき時には戦う。守るべき時には守る。生きる時には生きる。死ぬ時には死ぬ。命はそういうふうに使うものですね。ゆめゆめ無駄に死んではいけない。






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