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去年だったかな?夏期修練会である人の顔を見ると、「あっ、この人、坐禅を長くやっているな」と分かった。そして彼のその顔の向こうにその人の坐禅の師が見えてきた(肉眼で見えるわけではない)。「ほう、なかなかの禅師だな」というのも分かった。弟子を見れば師のレベルが分かるというのは本当だな、こういうふうに見えることを言うんだなと分かった。
先の日曜行修会でも、ある人の坐りを見ていると、その先にヨギの師が見えてきた。
師と呼べる人から学んだら、師を辱める生き方は出来ないね。精進するしかないな。
弟子のレベルは師のレベルということですね。怖いことです。見える人には見えてしまうのだから。
同じく先日曜、IQの低そうなちょっとみすぼらいしい姿の男が池袋駅のプラットホームで私と話したそうにじっとこちらを見ていた。「こいつ、IQが低い分、純粋だから私のオーラが見えるんだな」と思って、電車の同じドアから乗らないように、わざとひとつずらして乗った。そしたら電車の中でもひとつドア離れたところから私を見てちょっと微笑んでいた。いつどこで誰にこっちの中身を見られているか分かりゃしない。電車の中でたまにそういうことありますね。「こいつ、俺の心を読んでいるな」というのが。
10数年前にモンゴルの女性と付き合っている時に歩きながら、「○○さんは、どうしていつも頭の中はHなことしか考えないのか?」と言われてドキッ!とした。彼女も人が何を考えているのか見える人だった。私の心がすべて読まれていた。その後、何度もオロオロの事態を経験した。もちろん私はバレて困るようなことは何もしないので深刻なことは何も無かったけど。
もう亡くなったけれど天風会にもいたよ、そういう先生。大衆会員はその人に読まれていたのを知らないんだよね。私は、「この人見えているな」、「今、私は見られているな」ということは分かるから。多くの人はそういうこと知らないから気楽に裏で遊べる。本当は裏や影なんて無いんだよ。真理の世界ではみんなスケスケに読まれている。
悟りの世界って怖いんだよ。みんな甘く見ているよね。言い訳は通用しないしね。
怖いということでついでに書くと、日向ぼっこ村でも、宙の風勉強会でも、瞑想を指導する前は怖くて一週間前ぐらいから、「今回の勉強会は中止する」と言いたくなる、逃げ出したくなる。真理を伝えるということは、人の魂を導くことはそれぐらい怖いものなんです。その恐怖に打ち勝ってやっているのです。だから心の潔斎をして行わないと出来ないのです。どれだけの先生がその怖さを知っているのだろうか?






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運命

「選んで前へ進んだら後ろの道は消える。戻れない」というのを、犬山”宙の風”勉強会で説明するの忘れたな。勉強会に参加した人は、私が説明した内容に、この知識を付け加えてください。出発した電車は止められない、戻れないのと同じです。次の駅まで降りられない。そこは既に地獄かも知れない。
運命は、前へ一歩進んで、「ヤバイ!」と思って気付いても後ろ図去りが出来ない。
一歩でも前へ進んだら後ろの道は消え去るのです。道の選び直しは、次の分岐点まで出来ないのです。しかしその分岐点というのは一見大したことに見えないから分からないのです。
運命の分岐点は、一見ささやかなこと、小さな事に見えることということは勉強会で説明しました。運命とはそういうものですね。日常のちょっとした我慢とか、ちょっとした親切とか、ちょっとした時のちょっとした言葉とか、そういうのが運命の分かれ道になるんですよね。どこの大学に入るとか、どの会社を選ぶとか、誰と結婚するかとかというのは、そういう小さな分岐点を選んだ後の必然で決まっているのです。
だから言葉の誦句なんかはとても大切なんですね。ちょっとした言葉の使い方が運命を決める。
一度の火遊び(遊び癖がついているからそうなるのだけれど)は、一生の失敗だけでなく、千年のやり直しになることもある。今までの千年の輪廻が無駄になってしまうと言うことですね。千年、振り出しに戻るということです。あ~、しんど、また千年、生き直しね。試練は当然、今までの千年より厳しくなる。死んでも死ねないのだから。
無知故の間違いの罪は軽いけど、真理を知識として知った上での遊びの罪は重い。
私も真理を伝えるのは本当に怖い。教える側の間違いの罪の重さは、普通の人より百倍重くなるから。天風会の先生方の中に、「正義の実行」とか「霊性心」なんて説きながらそういうことを知らない人がいるよね。時々正義の実行、時には浮気の実行ではダメなんです。学ぶ人間は時々羽目を外してもそれなりに許されるかも知れないけれど、教える側は同じ事でも許されない。何で、そんなこと、私は知っているのでしょう?きっとそれは過去世からの知識ですね。

とてもよく当たる運命鑑定士のIさんから、「来年、結婚を考える人が現れる」と言われていた人がいます。しかしいつもの生活習慣癖として趣味の不倫遊びをしました。
幸せにならない法則の上を歩いている典型ですね。
神様にプツッと結婚の可能性の縁の糸を切られました。神様は見ているのです。
でもそういう人は、何度同じ事を人に言われてもやっぱり変われないんですよね。
変われない人は救われない。
天風教義をスマートフォンにメモして智恵が付いたつもりになっている。

そうだよな、自分で変わろうとしない、自分で治そうとしない患者には、医者は、「はい、この薬、飲んでみて」と言うしか無いよな。健康は医者が作るものではない。運命は棚からぼた餅が作るものではない。健康も運命も共に自分しか自分を作る者はいないという原則を無視して依存している。
医者の薬漬けが問題になっていますが患者にも大きな責任があるんですね。自分の身体なのに自分で治そうとしない、薬に頼るという依存心があるから薬をたくさん飲んでいたら満足している。

”宙の風”瞑想

”宙の風”勉強会で瞑想を指導して2週間が経ちました。あの時は、あれがベストであれ以上のことは私には出来ませんでしたが、2週間経って、朝、安定打坐をしていると、あれも伝えるべきだった、これも伝えるべきだったと浮かんできました。
12/1,2は、結局、瞑想の導入編を導いただけだったことに気付きました。
でも導入編としては最高のものだったと思います。一度にあれもこれもを伝えると、結局、頭の中に何も残らないので、あれはあれで良かったと思います。
瞑想のステップ1を経験してステップ2に入る人と、ステップ1を経験しないでステップ2に参加する人ではステップ2の認識度が全然違ってきますね。
既に参加した人と、これから始めて参加するであろう人と、縁のない人との差がとてつもなく大きくなりますね。でも、そういう時代に入ったのです。仕方がないことですね。それが学びの縁というものですね。それは人の見た目には何も分からないものですが。




幸せなニュース

今日、大阪のある女性から久しぶりに携帯メールが届いた。2年前に、「めっちゃ、幸せです!」と結婚してからしばらくしてメールがあったままでした。
今頃メールが来るのは何か問題が起きているのかな?と後ろ向きの判断して読み始めましたが、「今の幸せは○○さんのアドバイスで相手を決めたお陰です。今は育児休暇中です」と。いつも幸せを見つけて喜んでいるタイプなので、相手(ご主人)も幸せを感じるのでしょう。「主人も家にお客が来るのを喜ぶタイプなので、大阪へ来た時には我が家に立ち寄ってください」とある。
それにしても私のアドバイスに従う人はみんな幸せになっていくし、良いことばかりが起きるようになる。20代の頃から私とデートした人は一年後ぐらいに誰かと結婚するジンクスもあった。(もちろん私とデートしても自分の考えに固執して私のアドバイスに従わなかった人はそうはならないのは当然ですが。)
メールが今日来た大阪の女性は2000年に私にとって第一回目のモンゴル・ツアーの仲間で、ツアー中に話しをほとんどしていなかった。当時、おじさんとしての私は他のツアー参加者にまったく興味が無かったし、話しかけることも無かったのに、歳も大きく離れているし、どうして?という感じで。後で聞くと、群れから離れている私が気になっていたらしい。彼女は当時二十歳ぐらいの学生にしか見えなかった28歳の女性でした。私は、身体で、目でモンゴルを感じていたかった、ただそれだけでした。
翌年だったかな~?翌々年だったかな~?友人の結婚式が東京であるのでお会いしたいというメールが届いた。彼女の友人のもう一人のモンゴル仲間と三人で会った。もう一人の女性の方が早く結婚するだろうな、でもそれほど幸せにはならないだろうな、と読んだらその通りになった。やっぱり、人生には法則がある。
幸せになる人は、幸せになる法則の上を歩いている。その逆もしかりですね。
それから何年か経って、大阪へ来る機会があればメールをくださいということで、香里天風会の夏期修練会に参加した時に夜食事を何回かしたことがある。
まあ、かわいい、とても明るい子ですね。純粋で良い子過ぎてホテルなんかに誘えないタイプですね。まあ、ただの一時の遊びのために安易にそういうことは私はしませんが。常に自分に覚悟と責任が持てない行為はしません。そうです、また書きますが、私は昔からカルマの法則を知っているから。
「性格的に幼いので結婚は遅くなるだろうけど、この子には不幸せになる要素は何も無いな」と判断していたがその通りになっていますね。
なぜなら、「積善の家に余慶有り」だから。両親がとても仲が良く、またタイに学校を作ったりして、人のためにいろんな活動をして、お金も人のためにたくさん使っているようだったから。
だから彼女の幸せは必然、当然ですね。「○○さんのお陰です」というのを読んで??でもありましたが、彼女の言葉の中にはいつもマイナス言葉は無かったからね。何に対しても、いつも楽しさを見つける思考をしていた。だから幸せが寄って来るということですね。モンゴルの遊牧民の子供とも言葉が通じなくてもすぐに仲良く遊んでいたもんな。あの屈託の無さは羨ましかったな。私、正直なところ、心に屈託、あるもんな。
私を見て、何も屈託が無いように見える人は、苦労していない人だな。はははは。
犬山”宙の風”勉強会でも、親の言葉の使い方が子供の運命を作るという良い実例と悪い実例を含めて話しをしましたが、彼女はその良い例ですね。言葉が運命を作る、思考が運命を作るというのは本当ですね。そしてそれは本人だけでなく子供の運命も作るということですね。
そうかあ~!私の心から屈託を取っていくのが私の観念要素の更改なんだな。
今、気がついた!
今日、池袋地下鉄の駅で、片足が少しびっこを引いていて目の見えない若者が白い杖をついて歩いていた。柱などにぶつかっていたので、後ろから彼の腕を軽く支えて改札を出るまで導いてあげた。彼の腕を持ったとき彼のカルマを感じて涙が少し出てきた。「これから長い人生、頑張って生きてくれよ!」と心の中でエールを送った。
それは私に心に屈託があるから感じられることなのかも知れないけれど、すべてに屈託無く、なおかつ感じて、愛の波動を送れるようになれると良いな。

ちなみにメールの彼女は、女性が10数人(男は数人)いたツアー・メンバーの中で一番かわいい子だった。
その時、我々のグループとほぼ同時平行して走っていた5~6人の女性だけの別ツアー・グループがあったが、翌年、その中の一番美人と私と二人だけのツアーとしてモンゴルの大草原を走ることになるとは、その時誰も知らないことだった。その京都の女性も翌々年だったか幸せの結婚をした。その女性とも今も年賀状の交換をしている。いつも幸せな笑顔に溢れた家族写真が印刷されている。二人の子供に馬の字が付いている。2001年のそのツアーで私の人生観が変わった。




真理



そうだな~、天風会の先生方も宇宙霊の実在に対して甘く見ているかも知れないな。
天風教義から見た浮気とか不倫についての価値判断を聞いてみようかな?
「天風先生もそうだったから別に良いんだ」と言うのかな?
「どういう意味だ!」と怒り出す先生もいるかも~?それともオロオロもあるかも~?
同じ事でも悟った人とそうでない人では意味がまるで違って来るんだけどな。
その違いを理解している人は少ないというか、ほとんどいないんじゃないかな?
最近だな~、私もそれを口にするようになったのは。でも、ほとんどの人は聞いても理解できないようだな。固定観念から離れられないから。悟りのイメージが作れないから。霊体を実感しないとダメだな。肉体の合体、心の合体、霊体の合体とあるからな。霊体を体感的に認識した経験を持つ人はどのくらいいるのだろう?また知識では目の前にぶら下がった動物的欲望に勝てないよね。勝てる人もいるけど、それは私。カルマの法則を知っているからね。みんなよく傍若無人に遊べるよね。カルマの法則を知らない強み?だな。そういう人は救えないな。
日曜行修会に参加する度に天風先生の写真と対面するのですが、ますます厳しい目で見られるようになったな。今、自分を叱ってくれるのは天風先生の写真だけだな。本当に厳しい。まだまだ若輩者として勉強しないといけない気持ちになる。21年いるけどまだまだ青臭いな、自分でそう思うな。
それにしてもどうして自分の未来の可能性を自分で捨てる人がいるのだろう?
遊びを選べば本気を捨てることになるのにな。人生は二者択一なのにな。
偽物の人生を選べば、本物の人生は消えて無くなるのにな。
今日は偽物と遊んでも、明日は本物が本気で自分のところに来ると思っている。
そんなものは永遠に来ない。本物は常に本気のところにしか来ない。
一度の偽物との遊びが、本気の本物を永遠に失うことになる。
遊ぶ人間はいつまで経ってもこれが分からない。永遠に偽の中で生きるしかない。
偽の中でしか人生が無いのは哀れだな。宇宙霊がちゃんと見ているのだから。
偽物には偽物を、本物には本物をきちんと用意してくる。





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