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一瞬のミス

自分の一瞬の不注意で交通事故で人を死なせてしまった場合には、それまでどれほど楽しい充実した人生を送っていようと二度と楽しい正月を迎えることは出来なくなると思いますね。
学校の先生が生徒に体罰をして、それを苦にその生徒が自殺した場合に先生はどれほどの罪の意識を背負うのだろう?自殺した生徒が悪い、弱すぎたのだといずれ忘れてしまうのだろうか?そしてそのまま先生を続けるのだろうか?
そういう極端な事例もあるけれど、日常生活において緩やかな事故や自殺は多くの人が犯しているのではないだろうか?自分の人生に悪影響を及ぼすはずが無いと男あさり、女あさりをする。酒癖の悪さやギャンブル狂もそうですね。それらは緩やかな自殺行為ですね。気がついたときには後戻りできない結果になっている。でも自分のせいだと思っていない。みんな人のせいにする。または自分を他人扱いする。
立派な教えの本を読みながらも低次元の欲望をコントロール出来ない人もいる。教えを説く前に自己コントロールを身に付けろよ!と言いたくなるケースもある。学ぶ側と教える側では責任の重さが違うのだから。
男と女の出会い頭の事故というのはありますね。それは独身同士の場合は許されるけどね。充分前後左右注意をして自分を運転しましょう。それでも誰かが上から見ている。人は自分が見られていることを知らない。そういえば私は常に見られていることを中学三年ぐらいから知っている。知っていると言うより感じている。それは誰かというと、目では見えない存在から。
私の知り合いの中でいろいろ女遊びをしていて運命のしっぺ返しを食らわなかった人はいないな。いえ、一人いるな。途中経過ではあるけれど、何の問題も起こしていなさそうなのが一人いるけど、これから先、彼はどうなるのだろう?運命はバランスが取れるようになっているはずだから。人生、良いとこ取りだけは出来ない。
ただ言えることは、遊んでいると本物には出会えないな。
本物に出会えない人生なんて哀れだなと思うな。







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あの日

「あの日があったから今日があるんだ。あの時、自分の考えのまま、自分の性格のまま走っていたら今頃大変なことになっていた。あの時の苦しみに感謝!縁に感謝!」と思える日が必ず来ます。




怒らないコツ

怒らない、頭に来ないコツがあります。それは若い人を見て自分の孫だと思うことです。息子や娘だと思うと頭に来ることも孫だと思うと受け入れたり許せるようになりますね。いえ、若い人だけでなく人間すべてを孫だと思うとみんなかわいいもんです。
(もちろん、「自分の孫ならかわいいけど、人様の子供や人様を自分の孫なんて思えないわよ!」という人もいることでしょう。それはそれですね。すべては繋がっている。すべてはひとつという真理に意識が近づかなければ思えないかも知れませんね。)
そういう見方を数年前からしています。孫の魂の浄化とか進化を促進させるようにどうすれば良いかというように考えますね。まあ、魂の堕落を防ぐためには時に厳しいことも言いますが。仏教やキリスト教などに共通する戒律というのは魂の世界からのものなんでしょうね。戒律は本来、社会道徳ではないのです(宇宙は相似形だから社会倫理規範にもなる)。魂の進化のためのものなんです。昨年の正月から今年の正月までの1年間、一日で体重が2kg減る程に落ち込むこともいくつかありましたが、昔なら許せなかったことも少し時間が経てば気にしていない自分にビックリですね。
それと男は60過ぎると命の賞味期限は過ぎた訳ですから、明日死ぬかも知れない訳です。死ぬかも知れない前にどうでもいいことをあ~だ、こ~だと考えたくないですね。「死ぬかも知れない前日にあなたは何を考えていたいですか?」ということですね。心の中の重りを捨てていかないと魂は軽くならない。すなわち上に上がれない。
許す、許さないというより、確かに、「そんなこと、あったっけ?」と忘れることですね。
許すというのは、そのことが頭の中にシコリとしてまだ残っていることでもありますね。
天風先生が、「許すより忘れろ」と言った意味は60過ぎて分かる話しかも?
死というものが射程圏内に入ってきたお爺さんという年齢になって始めて出来ることかも知れませんね。50の時はとても出来ませんでした。
60過ぎたら心は林住期に入らないといけないのかも?またその方が楽いね。今の時代では、肉体も林住期に入れる人はまれだな。なぜならそれにはかなりの経済的余裕が必要だから。
祖父(母方の)が60の時、私は9歳でした。祖父の60歳での態度、肚、人格に私は近づけているのだろうか?私の目標は祖父の人格と肚ですね。
アンチ・エイジングではなく、ベター・エイジングまたは魂を見つめるディーパー・エイジングの方が良いと思います。






体重

正月の一週間で体重が3kgも増えてしまった。今まで正月といえどもそれほど増えなかったのですが。昨年は8月と12月に一日で体重が2kg減るような経験をした反動かな?普通に生活していて体重1kg減らすのは結構努力を要します。概ね一月に1kg減らす感じになりますね。一度68kgまで増えたのを58kgまでにするのに1年かかりました。体重を減らすには食べるカロリーを減らすしかありません。すなわち食べる量を減らすということですね。それにしても3kgは増え過ぎでした。トホホホホ。




若い世代

最近(約半年で)、30代前半と20代半ばの女性と話す機会がありました。
「おばさん達はどうでもいいの!若いおね~ちゃんを連れて来て!」とおばさん達にいつも言っているのですが、私と縁が起き得ない若過ぎるのが来てもな~、困ったもんだ。ちょうどいいのが来ないね。はははは、というか、トホホホというか?
彼女たちは私たちの世界と違う世界に生きていますね。その世界にこちらが適応しないといけない。相手の世代に求めるのでなく、こちらが向こうの世界に降りていかないといけない。降りていくというか、上がっていくというか?どうして今頃、20代半ばの女性が私から話しを聞きたいと言って来るのだろう?
「こちらがおじいさんの世代になる前に、もっと早く言ってこい!」と言いたかったけど。こちらが、おじいさんの世代になって、孫の世代に近いと言える若い女性が寄ってきてもな~。ちょうど良いというのはいつも無いな。すべてはずれてやって来る?
相手の価値観に、こちらは心の中で頭をかきむしりながら聞いている。私は普通の人よりはちょっと見えるからね。
父親として受け入れられるのと、おじいさんとして受け入れられる範囲は違ってくるね。おじいさんとして聞ける範囲は広くなるね。子供も父親に話すよりお爺さんに話す方が話しやすいな。お父さんの知識よりお爺さんの智慧を聞きたがる?
娘を持つ父親はつらいね。もし私が結婚をしていて娘を持っていたら父親のつらさに耐えられただろうか?無理だな。
何も気付かない、何も見えない、何も知らないが父親の幸せの原点かも?
それにしてもどうして私は武士階級の価値観を持っているのだろう?いや、武士の価値観というより仏教の価値観なのだろうか?仏教でもキリスト教でも人間の生き方のルールはほとんど同じですね。「なんじ盗むことなかれ」、「なんじ姦淫することなかれ」ですね。古い日本の庶民(特に農民)は違います。今の日本は数百年前の農民に先祖帰りをしているのだろうか?
ちなみに仏教でもキリスト教でも戒律(ルール)があるということは、その戒律とは逆の現実が当時あったということなんですね。日本の神道には戒律はありません。古代日本は、戒律が必要無いほどに善良で安定した社会が形成されていたのでしょう。おそらく、「自然の真善美に従って自ら感じて生きよ」なのかも知れない?
それは学校の風紀が乱れてくると学校規則が多くなるのと同じですね。善良な生徒ばかりの学校では規則は必要ないということですね。







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