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自衛隊の3.11

1時間半のyou-tubeですが、時間が取れる人は見てください。


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秋の一日

天気が良かったので、毎年のことですが一人で六義園に行ってきました。
トホホホ。少し早かったかも?紅葉には10日後ぐらいが良いのかな?

身体に入れるもの

身体の細胞は、身体の中に入れる食べ物によって出来ている。当たり前のことですね。だから身体の中に入れるものに気をつけないといけないはずですね。化学物質で健全な細胞が出来るはずがないけど、それによって悪影響を受けるのも自然の理ですね。国(厚労省)が安全と認めたのだから安全だと主張する輩もいる。そういう人は如何ともし難い。
身体が食べ物によって作られるのなら、心も同じですね。心は五感に入る情報によって作られる。一番大事なのは皮膚感覚情報ですね。母と子も皮膚の触れ合いによって快感と安心感が生まれます。愛情のある皮膚の接触が無いと赤ん坊は育ちません。赤ん坊はミルクによってのみ育つのではありません。男と女の関係も同じですね。
次に大事な感覚が視覚ですね。その次が耳ですね。目や耳に入る情報を良いものにしなくてはなりません。
要するに、身体の中に入る食べ物と同じように、五感の中に入るものも同じ注意を払わないといけないですね。感覚や情報は心の食べ物です。食べ物によって自分が作られるのだから。過去において不十分な情報によって自分の心が作られているなら、新しい良い情報を入れて作り直さないといけないですね。食べ物を変えると半年、一年、二年、三年と続けると体質が変わります。不健康な人も健康になります。それと同じで情報を変えると心もまた作り直せるということですね。大人になると自分に入る情報を自分でコントロール出来るということですね。子供の時はそれが出来なかったけれど。


いちじくジャム

いちじくジャムを買ったがあまり美味しくない。トルコ産のいちじくドライ・フルーツも買ったがこれもあまり美味しくない。子供の頃、家で作ったイチジク・ジャムの味が懐かしい。かつて私の田舎の家の敷地の中にイチジクの木数本と、びわの木数本が植わっていた。友達や兄と屋根に登って取って食べていた。イチジクもびわも最適に熟した実のみを取って食べていたのでとても美味しかった。東京に出てきてから、イチジクやびわをたまに買うのだがいつもその味に失望している。卵は毎朝、鶏小屋から生まれたての卵を摂っていた。牛乳は牛小屋で乳牛から朝の搾りたてのを飲んでいた。いとこの女の子なんか、あまり美人では無かったので美人になるように、その牛乳で毎朝、顔を洗っていた。味については贅沢に育ったものだと思う。みかんは最も美味しいみかん畑の最も美味しい木から獲っていた。もちろん他人のミカン畑だったけど。まあ、今の言葉で言えば、みかん泥棒だったことになる。魚についてもそうですね。田舎では魚は好きでなかったけれど、東京に出てきてから、田舎の魚が美味しいということに気づいた。当たり前に食べていたものが実は一番美味しいものだったと気づいた。今の子供達は、あういう味を体験できないのかと思うと可哀想だな。

滝瞑想

5分間ほどの滝と滝瞑想のビデオを撮っている。映像を見る限り普通の滝瞑想としか想像出来ない。どのように瞑想したかはビデオからは誰も分からない。
何でも本を読んで分かったつもりになったり、CDを聞いたり映像を見て分かったつもりになっても本当のことは何も分からない。昔から言っているのですが、そういう情報はまんじゅうの皮ですね。見た目を作る外観の皮。皮を食べてまんじゅうが分かったつもりになっているのが多い。自分の足を運んで直接参加しないと何も分からない。何でも同じですね。ごのDVDを滝瞑想に参加した人が見ると意味は分かるが、そうでない人には、「良い雰囲気で瞑想していますね」としか分からない。

何でも知識はまんじゅうの皮ですね。人生もそうですね。繰り返し参加しての体験を通して、教えを道筋としていろいろな人生体験をして、まんじゅうの肉の部分を食べ、より深いところまで深めていって、あんこの部分は自分で会得するしかない、自分で悟るしかない。あんこの味は誰も教えることは出来ない。クンバハカだって天風会で教わったことをしている限り、まんじゅうの皮を知っているに過ぎない。安定打坐もみんな同じ。まんじゅうの皮はまんじゅうの一部だけど、まんじゅうそのものではない。








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