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気分転換

mongoldog1.jpgmongolcat1.jpg昨年夏、私がモンゴルで見つけた犬とモンゴル在住日本人のブログから見つけたモンゴル猫です。デジカメの中に消去されないで残っていた写真を直接見るとモンゴルの空気が一気に私の心の中に入ってきます。いろいろコピーしてデータを移しているとデータは同じはずなのになぜか違うのです。
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無為自然2

シンクロニシティですねぇ~!今日買った本の中に同じ話が載っていました。
「学問も優れ、語学に堪能で、日本国内だけでなく、世界に広く仏教を広めた名僧がおられましたが、八十歳を越える頃から、人々への説法を止め、自分の部屋で仏に向かって、心の修行をしておられました。 しかしこの僧を崇敬する多くの信者さんは、説法を聞けなくても、一人座っておられる僧の姿を拝むだけでもありがたい、救われるというので、多くの人が来ていました。人々に説法している間は、まだまだ未熟なのであって、ただそこにいるだけで人々を救うことが出来てこそ、真実の名僧なのだと思いました。」
とありました。

無為自然

「作為無くして自然を行ずる」という言葉がありますが、どうもその意味は我々凡人が考える内容ではなさそうですね。「・・を修行することは、すなわち最高の無為(何もしない)の神通力を持つことです。自然に出て、身・口・意ともまったく使いません。しかし人がそこに行くとすぐにとても楽しくなったり、病が消えたり、災難が去ったりしますが、それを故意にしているわけではないのです。私は何もしません。これは完全に「為無為」です。するのですが、していないのです。」とある本にあります。「自然を行ずる」というのは常に絶対積極(ぜったい・せきぎょく)を生きることを意味すると理解すればまずまずですがそれでもその理解レベルはとても低いということですね。相対積極に執着して絶対積極も理解していない人が多いけど。悟った人の残した言葉は普通の人がいくら繰り返し読んで考えても理解はほど遠いということですね。「読書百遍、意自ずと通ず」というのは悟りの言葉に関しては当てはまらないですね。なぜならそういう概念が元々無いから。30センチの物差しをいくら繰り返しても100メートルは理解できないというのと同じです。昔の諺では「群盲像をなでる」ですね。自分がなでたところしか認識できない。ちなみに今はこの諺は人権問題になるので使えないと思います。まあ凡人はみんな盲目なんです。それを無明と言う。

はあ?そんなことで!

「3年前の飲酒運転で免職 2009年3月17日(火) 共同通信
 青森県は17日、3年前に酒気帯び運転で刑事処分を受けていながら上司に報告しなかったとして、男性職員(60)を懲戒免職処分にした。飲酒運転は今月初めに県に届いた匿名の投書で発覚。職員は今月末で定年退職の予定だったが、退職金はふいになった。青森県によると、職員は「打ち明ける度胸がなかった」と話し、県は「すぐに報告していれば停職で済んだかもしれない」としている。」
まあ、嘘がつけない時代に入ったことはとても良いことですが・・・・「今さら、それぐらいのこと許してやれよ」という許容範囲がほとんど無くなってきているのは問題だ。かつては説教とかビンタ一発で済む程度のものが最近は逮捕になって新聞沙汰になる。匿名の投書というのは人様を正義感でチクルわけですからね。許してはいけない社会悪と、それぐらいは人のことは人のことだからと放っておく問題と区別しないとチクった人間も魂は穢れるな。世知辛い時代になったのか、それともチクられた人間は長い間、部下や同僚からいろいろ恨みを買っていたのかな?

物差し

人はそれぞれ自分の経験や教えられた知識により自分の価値判断(物差し)を持っています。30センチの物差しを持っている人は1メートルを計れません。1メートルの物差しを持っている人は100メートルを計ることは出来ません。30センチを繰り返して1メートルを計れるではないかと言うかも知れませんが、30センチの人は1メートルという概念を持っていないので30センチを繰り返してどこを計っても30センチです。30センチ、30センチ、30センチと30センチがたくさんありますというだけになる。自分の物差し(価値判断)で人を見ない、ものごとを判断しないということが空なんです。悟りなんです。自分の物差しで判断しないということは物差しが無限大だということなんです。悟った人は心が無限大なので、自分の物差しで人を見ようとする人には理解できないことなんです。悟りを言葉で表現できないと言うことはそういうことでもあるんです。言葉は意味が限定されるから、それは有限の物差しだから。


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