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孤独に耐える力

約30年前に、学生時代に参加していた市民英語サークルの活動が途絶えたことを知った。それは勿体ないし、後輩に長く続いていたサークルを潰した負い目を感じさせたくないので再建する決心をした。それで某駅前でサークル紹介のビラ配りを一人で始めた。新聞に無料のサークル紹介欄に投稿もした。一人で黙々とした。そして誰もいない公民館の部屋で何週間も入会者を待った。そして今まで30年続いている。
損得で言えば、ほとんど損しかないかも知れない。でも損するしかないもんな。知らないふり、”俺はもう関係ない”ふりは出来なかった。何も考えずにやるしかなかった。
それは私が孤独に耐える力があったからですね。耐える力は使命感から来るものでもあるけれど、さらに深いところの理由として、私が愛情一杯に育てられたからですね。いつも親や周りの人にされたことをするという自然な反応の心かも知れません。そういうところから孤独に耐える力は出てくるのでしょう。だからまず無条件の愛情を注ぐことが大事だと思っています。でも、なかなか受け取らないね~、はははは。
自分が愛されているという無意識の自信があれば孤独に耐えられるのでしょう。
愛情に対して不安感で育った人は、なかなかじっと安心して耐えることが出来ない。
こっちうろちょろ、あっちうろちょろと男(女)を渡り歩き、勉強も腹が決まらない(ただし、いろんなところで勉強するのは大事)。耳知識で分かったつもりになる。
で、縁が育たない。腹を決めないとダメだよね。死にゃしないのだから、殺されやしないのだから。孤独を恐れるから孤独になるんだな。孤独を恐れなければ、一人でいても孤独ではない。
ちなみにサークルを再建したときに、友人から言われた。「おまえがサークルで一番苦しんだのに、そのおまえがそんなことをするとはな」と。
「だから(一番苦しんだから)、俺が再建したんだろうな」と答えた。
目の前に現れた問題を放っておくことが出来ないという損な性格だな。遺伝だな?
目の前の自分の都合ばかり考える人は、確かに心の忍耐力が無いな。
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「心が変われば、すべてが変わる、運命が変わる」と私はいつも言っているけど、心が変わらないんだな~、これが難しい。
心を変えるためには少なくとも半年は孤独を友とし、黙って一人で自分に立ち向かわなくてはならない。同じレベルの誰か(大抵は友人)に相談したりすると答えを大抵間違う。私も高校時代に間違った。(友達を責める訳ではない。)
引きこもりなんかは孤独を友にしているのだろうか?もしそうだとしても自分に立ち向かっていないよね。
自分を変えるためには、孤独に黙って耐える力が必要だね。孤独を恐れてはいけない。今の若者は孤独を恐れて四六時中メールばかりしている。または音楽を聴いている。ゲームをしている。それでは心は変えられないし、強くならないし、ますます心の深いところで孤独を感じてしまうことになる。ちょっとした何も無い時間に空虚感を感じてどんどん落ちていく。そしてまたメールに向かう。麻薬だね。世の中には不安増長剤が溢れている。テレビ、新聞、雑誌、インターネット、メール、みんなそうだね。
モンゴルの草原に行くと最初の2,3日は何も情報が無い、何も情報が得られないことに不安感が出てくる。しかしそれから深い安心感というか、本来の自分と会うことが出来てくる。ただここに自分が存在している喜びが出てくる。肩書きも財産も名誉も取り越し苦労も一切が存在しない。あるがままの自分がそこにいる。あるがままの自分とは、何も無い時の安心感から感じるものですね。今の多くの若者は何も無い静寂の時は不安感を感じるのだろう。
孤独は孤独ではない。孤独を恐れて何かに逃げ込んでいる時、孤独なんです。
精神科の医者は、患者に孤独に耐えることを教えていないよね、きっと。
「それじゃ、はい、この薬」と、情報依存、人依存の上に薬依存を積み重ねている。
脱薬の精神科のリハビリ・センターではどうなんだろう?グループ・トーキングにカウンセリング、ストレッチ体操に器具を使った室内運動に、簡単な瞑想なんかはやっているのだろうけど。そういうのはもちろん有効だけど・・・・。でも、そういうのに頼ってはいけないと覚悟を一人で決めた時に自立出来るんだろうな。まあ、時間はかかるだろうけど。ある瞬間、「あっ!」と分かる時が来るのだろうな。その「あっ!」がいつ来るかは誰にも分からない。それは何でも同じだな、クンバハカも同じだな、悟りも同じだな。
「あっ!」を掴めるかどうかが人生の勝負だな。その時、人や知識は関係が無い。
確かに、「あっ!」が悟りだな。



現象と背景

人間は自分の目の前に起きている現象しか知らない。現象が自分にとって快なら喜び、不快なら悲しんだり怒ったりする。しかしすべての現象の裏には単純ではない複雑な背景(原因)がある。
母親の子供への虐待なんかは特にそうですね。子供の生まれ持った性格(強すぎる自我)にも起因するだろうし、亭主の浮気や愛人の存在にも起因するだろうし。母親が子供の時に育った環境にも影響を受けるだろうし。それらは子供にとって責任は何も無く哀しい犠牲だけれど、それもまた過去世のカルマも含めた複雑な因縁から生まれているかも知れない(実際にそうなんだけれどそれを考えても仕方がない)。
充分大人になってから母親(または父親)の立場を考えてみて、自分も母親(父親)と同じ立場なら同じ事をしていたかも知れないと思うところから理解が始まる。ただ背景を知ることは普通は難しい。母親も父親の愛人の存在を知っていたことに口をつぐんでいるかも知れないから。だから、親がそうなったのは自分の知らない理由があるのだと未知の背景も受け入れることから始まるな。
自分がその立場なら同じ事をしていたかも知れないという場合は相手(親)をあまり責められないですよね。自分が首相の立場なら、この状況でどう判断し決断するだろうかと常に考えることが大事ですね。野球の試合もそうですね。自分が監督の立場ならこの状況でどう判断するかというシミュレーションが常に大事です。結果が出た後に、勝手に首相や監督を結果批判をするのが人間の素人ですね。後判断は誰にでも出来る。
1.受け入れること。2.理解すること。3.許すこと。4.慈悲の心を持つこと。
5.丸ごと愛すること。 そんな順番になるのでしょうか??時間がかかりますね。

不倫や浮気がはびこっている社会ではいじめは無くならないな。子供が母親の不安定な心の影響を受けるから。そしてDVも無くならないな。
妻子ある男(または子供のいる人妻)と寝ることは自分がこの世にいじめとDVを生み出していることになる。自分の手を痛めないで子供に暴力を振るっていることになる。
前にも書いたが、細胞は、特に子供の細胞は、テレパシー・センサーなのです。子供が意識の上では理由無き不安定さを生み出すことにもなるし病気にもなる。
真理を知るということはこういうことも知ることですね。ほとんどの人はこんなこと考えないで自分の目の前の都合と欲望で生きている。「そんな真理なんか知りたくない!ほっといて!私は私の生き方で生きて何が悪い!」と叫ぶ人の方が多いのだろうな。

心理学の世界では、「母親のようになりたくない」と思うことは、「母親のようになりたい」と思うことと同じ事なんですね。語尾の「たくない」と「たい」は潜在意識の中では区別されないから。なりたくない母親の姿をイメージしているから、そのイメージのままに現象は自分によって再現される。潜在意識は言葉ではなくイメージで記憶される。ということを天風会で当時の会長から日曜行修会で学んだ。観念要素の更改にはこういう知識も必要なんですよね。
無知であった過去の自分を許しましょう。一生懸命だったのだから仕方がなかったと。新しい目覚めの出発をすれば良い。無知によるものは時に罪ではないから。

ただな~不倫や浮気という世間的な形も時には運命や宿命の場合もあるからな~。
生まれる前から二人で会う約束をしている場合もあるな。子供に影響を及ばさないと判断できる場合(子供がいないか、充分大人になっている場合)は許される場合もあるな。千三つかな?割合として。千人の場合に3人ぐらい神様に許されるケースがあるということ。何でも千三つですね。真理を千人が聞いて理解できるのは3人ということです。株や為替で儲かるのも千人中3人ですね。千三つは法則みたいなものです。




代替え

仕事のストレスは仕事で解決するしか方法はない。仕事をやり抜いて解決するしかない。飲みに行って酔っぱらってもストレスや問題は消えない。家族関係などの人間関係についても同じ。酒を飲んで発散しようと、”何を”しても深いところに落ち込んで隠れて溜まっていくだけ。
父親の代替えを他の男に求めても、母親の代替えを他の女性に求めても、果ての無い迷いの砂漠に迷い込んで、蜃気楼しか見ることが出来ないで朽ち果てるだけ。
自分の観念要素の更改をして認識を変えるしかない。しかしそれは真理の光でものごとを見ることの出来る協力者、ないし指導者がいないと出来ないものですね。なぜなら自分の価値観が固まっているから、別な理解の仕方を自分一人で見つけるなんてできないから。官僚が自ら官僚改革できないのと同じ。何が問題なのか自分では分からないのだから。人間、自分の後ろ姿が分からないように、自分の後ろ姿は人から教えて貰うしかないのです。でも大抵は怒り出すな。または、「この人、私のこと何も分かっていない」と否定するもんだな。否定されたそんな経験をたくさんしてきたな。
天風教義に観念要素の更改というのがあるけど、教えの内容は正しい。しかし一人で出来る程度には限界がある。深い問題、深刻な問題に対しては、一人では出来ないものなんです。まるで一人で何でも出来るように教えているけれど、一人で出来るのは簡単な問題だけですね。もちろん悟れば別ですけど。天風先生もカリアッパ師から指導されたように悟るまでは師が必要なんです。最低2年はかかるな。2年に耐えられる人は少ないな。ほんと、ひとつずつ、ひとつずつだもんな。
人間、自分の後ろ姿が見えるようになったら悟りだな。
父親や母親を変えることは出来ない。出来ることは自分の認識を変えることだけ。
でもなぜか不思議に自分の認識が変われば相手も変わる。


 

不眠

不眠に症を付けるから病気みたいな錯覚に陥る。不眠症と言える人は本当はめったにいない。最初から簡単に薬に頼るからどんどん奈落の底に落ち込んでいく。
薬は緊急時には必要だが、化学合成の複雑な物質を身体の中に溶け込ませるのだから常用して良いわけ無い。睡眠薬や向精神薬のように特に脳の中に作用するものの常用は問題だな。だからそのような薬を飲んでいる人を深い瞑想に導くことはとても危険なんです。私の知り合いで医者(精神科医)から瞑想を禁止されている人がいました。その理由が今は良く分かる。10年前ぐらいまではそれが分からなかった。
夜眠れなければ寝なければ良い。昼間我慢して起きていれば夜寝られるようになる。夜寝られないから昼間寝ると夜また寝られなくなる。そして不眠症かと心配症になる。昼間寝るのはわがままの内ですね。そしてホルモンのバランスを崩して心の病になる。そうして、鬱になってさらに夜寝られないで、昼間に寝ることになる。
だいたい夜眠れないと言っても大抵は朝方1時間か2時間寝ている。睡眠は1時間半寝れば、本来それで充分なんです。まあ、それを何ヶ月も続けると問題があるかも知れないけれど。一週間や二週間、一ヶ月は何の問題もない。
眠れなければ起きて本を読むとか何かをすればいい。楽しい考え事をすればいい。楽しい空想の世界に遊べばいい。編み物をすればいい。編み物は一心になるようだから結構良いものみたいですね。天風会員なら寝たままの養動法をすればいい。寝たまま安定打坐をすればいい。
いい安定打坐が出来るようになると、実はまったく寝ないでも済むようになるのです。まあ、そこまでたどり着ける人は、ほとんどいないかも知れないけれど、2時間の睡眠で充分になるところまでは行けるようですね。私は寝ることも快楽のひとつなので寝ることを楽しみにしている。幼少の頃や子供の頃は、寝られないでいたから寝ることは快楽ですね。だから睡眠時間を意図的に減らすことはしない。
世界の人口の1.5%の日本人が世界の薬の30~40%を使用しているという。
安易に薬を処方するのは日本の医者が人間というものに対して無知だからですね。医者は、「そう教わったから」という意外に考える智恵が無いのが多いということですね。睡眠不足で死んだ人はいません(過労死は睡眠不足も大きな要因だけど過労が原因だから睡眠不足そのものではない。だから過労死は存在しても睡眠不足死はいない)。薬を飲んで副作用で自殺願望が出て自殺して死ぬ人は多いけど。
夜、ベッドに入って2時間、3時間寝られないのは気にする必要は何もない。昼間疲れることをすれば良いだけのことですね。昼間疲れることをしないで夜寝られないというのは当たり前の話しですね。「寝なくてもいいや」と開き直れば良いのです。そのうちに少し寝ている。「私はナポレオンの3時間より少ない睡眠時間で生きている」と自慢すれば良い。とは言っても、ナポレオンも実は小さな睡眠を昼間しばしば取っていたようですね。





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