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恩知らず

インターネット・ニュースにこんなのありました。笑ってしまった。犬でさえこうなんだから人間ならなおさらですね。まあ、犬には犬の理由があるのだろうけど。ははは。
【恩知らず 2012.9.25 08:17
 大阪市東淀川区 75 元公務員
 12年間飼っていた犬が家出をした。柴犬の血統書付きである。
 そして、逃げ出して1カ月ほどして、「お宅の飼い犬らしい迷い犬を保護している」と連絡が入った。先方に電話で詳細を尋ねると、間違いなく、わが家の犬。先方は親切にも車で連れてきてくれた。
 約1カ月ぶりの再会ではあったが、犬はうれしそうにじゃれついてきた。腹立たしさをこらえながら、頭をなでてやった。そして、10日ほどした頃。もう家出はしないだろうと思い、夜中の散歩の際、リードを外してやった。
 ところが、である。そのまま、待てど暮らせど帰ってこない。諦めていたら、先日犬を保護してくれたお宅から、うちに舞い戻って来ましたよ、と連絡があった。先方は飼いたいというので、飼ってもらうことにした。
 3日飼ったら3年の恩を忘れないと、ことわざにもある犬。私たちは12年間飼って、簡単に忘れられてしまった。】
今の20代、30代、40代には我々のその頃よりも立派な人が多いのは事実ですね。そしてその反面、その逆の若者も多い。今の団塊の世代が自分の子供達に何が大切かを教えてきていないのが原因ですね。もちろん団塊の世代も戦後教育の左翼化で教わってきていない。教わらなかった世代の子供達も教わることが出来ないで来た。自由という意味の難しさですね。
人間の生きる上での大切なものを教わって来なかった人間がどうなるのかという見本が今の日本の若者かも知れない。教条主義的宗教を教わるのは問題だけど、価値観が無いよりは良いのかも知れない。難しい問題だな。
先日、久しぶりにある30代の女性(昨年、離婚した)のブログを読んだ。
プロフィールのところに、「絶対ゆずれないもの:自由」とあった。
自由というのは難しいですね。私もまだその意味を掴んでいないですね。
「自由は不自由の中にある」と言っている人もいます。徹底した型を修練することで、その型の中に無限の自由があることを見つけるのが達人という説もある。
スポーツでもダンサーでも超一流の達人は徹底した基本の型を身に付けている。基本の型には自由は無いはずなのに、その先に無限の自由が生まれることを彼らは知っている。私はそれをまだ知らない。
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母親が蜂に刺された

私の母親が頭や顔に蜂に刺されて入院していると電話があった。昨日まで目の周りが腫れて何も見えない状況だったと。蜂に刺されるのは二度目なので命の危険もあったとも。草取りをしていて刺されたという。家の周りには蜂の巣が多いから。
三年前は自転車で下り坂を走っていると夕日が目に入って前が見えなくなって溝に落ちて顔から転んで、お岩さんのように見るも無惨な状況になって三ヶ月ほど入院した。その時も、もう一歩のところで命の危険があったと言う。
私は霊的になぜ母親がそういう目に遭うか分かっている。しかしそれを口には出来ない。もう母親も当然歳なので今更それを息子としてそれを言うわけにはいかない。仮にそれを言ってもおそらく納得できないだろう。
ただ今回も、「蜂に刺されたぐらいでは命の問題ではないから病院でゆっくり休めばいいよ。神様が助けてくれているから大丈夫だよ」とは言った。それはその通りだと思いますね。


キリスト教式クンバハカ?

う~ん、これ、なかなかはまるみたいですね。分かる人には分かるみたいです。
ファミレスの椅子に座って、写真を見てポーズを取ってもクンバハカに入るはずがない。いい加減な姿勢では何事も掴めない。椅子に座ったまま、「ちょっと感じるけど、あまり分からない」と人は言う。それは当たり前のことです。で、それ以上興味を持たない。クンバハカの追求が普段において真剣でないから、ちょっとの違いの重要さが分からない。すぐに興味を失う。で、真理の会得のチャンスはそれで終わり。
ちょっとの違いの奥に大きな違いがあるのに。人生すべからずそんなものですね。
みんな目の前のチャンスを失っている。人は、今、自分の興味のあるもの意外に目の前のものが見えない。目の前に運命を変えることが出来るかも知れないものがあるかも知れないのに。「物を見て物が見えず」ですね。
そして私がいつも言うように、「神を見て神が見えず」ですね。



滝瞑想10/28(日)

来月の10/28(日)滝瞑想にみんなで行く予定です。前回は半分ぐらいの人は地の声、天の声を聴くことが出来たのではないでしょうか?聴き方を教えます。何事もこつがあります。かつて滝行をしながら、そのこつを掴みました。で、写真の滝の傍に坐って安定打坐をします。滝のマイナス・イオンを浴びての瞑想としても気持ちいいですよ。癒されます。ここは普段、滝行に使う滝です。私が始めて滝行に参加した時もこの滝でした。そして無心を掴むために一人でここに来たものです。音をいろいろ分類して聴くにはちょうど良い滝なのです。今回は上の三峯神社には参拝に行かない予定です。出来るだけ滝瞑想に時間を使います。
やはり安定打坐は、地の声、天の声を聴くという基本形を追求しないといけない。

今週初め、レオナルド・ダ・ビンチの絵からキリスト教式霊体(キリスト教式クンバハカ?)になる方法を見つけました。滝瞑想の時にみんなに教えるかな?レオナルド・ダビンチはやはり凄いですね。絵を学者的に分析してもそんな答えは何も出てきません。形を完璧に真似ると身体の細胞が反応します。まずは何事も理屈で分析するのでなく真似ることですね。ダ・ビンチは左右が逆に見えていたと読んだことがあります。だから真似るときも左右逆に考えないといけないのがポイントですね。
これを読んでいる人は、ごく一部の人を除いて私が何を言っているのか分からない。はははは。
今年は8月に二つも悲劇(悲劇と言うより哀劇)を経験したけれど、学びも大きかった年になりそうです。富士火力演習を見に行けるという楽しいこともあったけど。
12/1,2の名古屋・犬山城勉強会は今年の集大成を伝えたいと思っています。
今回は女性と男性の割合が半々ぐらいになりそうですね。



過去世のカルマ

中学二年の秋のある時に、あるクラスメイトの何気ない言葉によって、フラッシュ・バックのような感じで過去世のシーンが映画を見るように頭の中に一瞬に出てきた。その後、同じように未来も見えた。全部で1秒かかったかどうかぐらいの時間ですね。その時に名前に暗号が組み込まれているのを知りました。名前は生まれながら決まっているのです。親がそれを無意識にキャッチして、自分で考えたかのように赤ん坊に名前を付けるのです。
そのクラスメイトの言葉が私に過去世を思い出させるキーワードだったんですね。神様が私に気づかせるために、その友人の口を使ったのかも知れません。
高校二年の時に臨死体験をしたかどうかは記憶にないけれど、命のエネルギーがほぼゼロになった時に映像が見えた。映像の中に文字があった。自分でもビックリした。
それからそういうことに敏感になった。過去世で家族だった人に出会うと何となく分かる。女房であったり子供であったり戦友であったり。
最近はもっと細かく分かるようになった。人の過去世の状況が分かるようになって思うのは、やはり、「人を傷つけてはいけない」、「人を裏切ってはいけない」、「自分の言い訳のために嘘を言ってはいけない」、「人の悪口を言ってはいけない」、「汚い言葉を使ってはいけない」ということですね。そのように作ったカルマは必ず自分に戻ってくるということがハッキリと見える。どうしようもないことですね。
そこから思うことは、「人は助けないといけない」、「正しい誇りを持たないといけない」、「言葉は思いやりのある言葉のみ使う」ということですね。
過去世のカルマから自分に起きる運命は受け入れて立ち向かうしかない。そして今とこれからはマイナスのカルマを作らないように一瞬一瞬を心して生きるしかないですね。それが仏教の教えであり、天風教義ですね。これらは今の一瞬をどう生きるかしか教えていない。そしてすべてはその一瞬の連続だということですね。今生も、あの世も、来世もこの今の一瞬の連続であるということなんです。だから今の一瞬を正しく生きるなら、あの世も来世も何も心配する必要はない。すべては、ただの今の連続なんだから。だから今に立ち向かわないで、近未来に幸せがが棚ぼた的に降ってくることを夢見ても、来世で救われようとか、来世に幸せを期待することは不可能なんです。未来も来世も今の思考と行為の積み重ねの反応でしかない。

そして人の過去世が見えてきて(当たっているかどうかは分かりませんが)思うのは、見えてもその人が失望するような悪いことを言ってはいけないということですね。確かにその人に希望を持たせることしか言ってはいけないということです。
霊能者に観て貰ってほとんどの人は良いことしか言われていませんね。霊能者はいろんなものが見えてもクライアントに希望を持たせる5%の部分だけを言っているのです。で、人は、「私はこう言われた、あう言われた」と喜んでいる。まあ、庶民にとって過去世なんかそれで良いのですが。
そう言えば、過去世で私の親だったという感覚の人にはまだ一度も会っていないですね。「○○さんは過去世で私の父親でした」と10歳以上年上の女性に言われたことはありますが。「私は二千年前近くに、どこそこで、○○さんに殺されました!」と言われたこともあります。そうかも知れないし、そうでないかも知れません。本当のことは分かりません。霊能者にはそのように見えたという事実だけです。
名前に暗号が組み込まれているということは40代の半ばに小林正観さんのセミナーでも教わりました。










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