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信じ切る幸せ

本当の深い幸せは何かを得た時ではなく、信じ切れる存在に出会った時ですね。
女性が赤ん坊を産んだ時、その赤ん坊は100%間違いなく自分の子供ですね。
100%自分の分身であることを信じ切れる訳です。そこに深い幸せが感じられる訳ですね。で、亭主は、「これは自分の子供に違いない」と信じ切るしかない訳です。
男の場合は、女房が産んだ子供を100%自分の子供とは言い切れない。私は経験ありませんが、きっと亭主は幸せなんでしょう。女房に騙されている確率がゼロとは言い切れないが、諸条件を考えれば自分の子供だと推論できるということしかない。
結婚した相手が連れ子を持っている場合、その連れ子を自分の子供と信じ切る努力をする訳ですね。
幸せとは、信じ切れる人や存在を持っていることですが、信じ切れる相手(人の場合だけでなく神の場合もある)に、自分を全託した時が至福の時ですね。
今の時代は、自分にこだわり過ぎて自分を何かに全託するということが無くなっているのかも知れません。全託とは、自分の命も心も相手にすべて渡してしまう訳ですから。ジャンヌ・ダルクは神に自分を全託したわけです。
今の時代、自分(命も未来もすべて)を亭主に全託している女性なんていませんね。そういう意味では、今は心の不幸な時代と言えるかも知れません。
疑いが少しでも残っているなら、心の底からの幸せは感じられない訳ですから。
男の幸せは、家庭のことは女房に全託して仕事に専念出来る事ですね。家のことや女房が今どうしているだろうか?と不安があれば、仕事に自分の能力を出し切れません。男にとって信じ切れる対象は何か存在するのだろうか?”男は信じ切るしかない”か、”信じ切る努力をする”ということ以外に無いような?う~ん、私がいつも言うように、男とは侘びしい存在なのです。
信じ切れる存在に対して、自分を全託した時が至福の人生なんですね。
信じ切れる存在があって、その安心にあぐらをかいて調子に乗ってそれを裏切った時に不幸が輪廻の中でカルマとして繰り返しやって来る。だから生まれながらの幸せにも、不幸せにも理由があるということですね。マイナスのカルマがあれば今生で解消しておかないと勿体ない。そういうカルマの解消のチャンスを与えられている人生は、これまた至福の人生ですね。
今、日本に生まれているということは、かつて良いことをしたからでもありますが、それは同時にマイナスのカルマを解消する環境が与えられているということですね。
私はカルマの解消に努力しているつもりです。そして新たなマイナスのカルマを作らないために。そのために我慢もしている。
せっかく日本に生まれても、不平・不満、文句に批判、好き嫌いをあ~だ、こ~だと言っていたり、目先の快楽のために信義を裏切って生活していると元の木阿弥になってしまう。せっかく日本に生まれていることが無駄になってしまう。

先進国で心の病が問題に多くあるということは、心の問題が問題になるほど進化してきたということでもあります。ひたすら今日を生き抜くことだけを考える世界では心の問題はありません。それどころではないのですから。ガンになるほどに長生きできるようになってきたというのと同じですね。昔はガンになる前に死んでいた。長生き出来るようになったからガンが問題になっている。豊かになったから心の問題が生まれている。どちらも幸せなことですね。心は幸せを数えることからスタートですね。



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運2

オレオレ詐欺に引っかかる人は、みんな、「私は、そんな詐欺には引っかからない」と普段は信じている人だそうです。自分は用心深い、自分は大丈夫と信じている人ほど、心のどこかに落とし穴(無防備)があって、そこを攻められるとイチコロで落ちてしまうのでしょうね。
私は若い美人の笑顔に騙されやすいと信じています。そしてそれは事実ですね。私は、バカが付くほどお人好しだから。つくづく自分でバカだな~と思いますね。今はもうそんな年齢では無いので、そういう騙されるチャンスもありませんが??騙されてはいないかも知れないけれど、たくさんバカをみていますね。今年も一ヶ月間の努力が水の泡になったのが二回もあります。
この地球には次元の高い人から低い人まで幅広く同時に存在しています。
あの世では地獄から天国に自分の意志で移動できません。しかしこの世では自分の意思次第で自分の立ち位置を移動出来るのです。だからこの世は素晴らしい。
長く低次元に生きてきた人は、高次元にたまたま何かの縁で移ると落ち着かないというのはあるでしょうね~。それでまた低次元の生活に戻る。低次元に慣れているから慣れている方が落ち着くし、低次元の人にとっては低次元の世界の方が楽しい。
自分がそのどの段階に住むかを決めるのは自分ですね。低いレベル(目先の肉体の快楽と酒)の思考や生活を常とする人の仲間になるか、高いレベル(品格のある現実生活とスピリチュアルな価値を重視する)の人の中に入るかは自分が決めることですね。他人が導くことは出来ません。今年はその無力さを感じた年でもありました。



よく言われるのが、運(うん)は運(はこ)ぶということですから、身体を運ぶ、すなわちそこへ行かないと運が付かないと言うことですね。家の中にじっといては運は付かない。運は運ばれてこない。仮にいくら運が良いことが起きると占いに出ていても、運は自分を運ばないと生まれない。何事もチャンスというか、人からの誘い(波動が低い場合とか、お金がかかる場合とか、バレたら第三者を傷つけることになるような誘いに安易に乗るのは別問題ですが)には、取りあえず一度乗ってみるもんですね。運の悪い人というのは、自分を運ばないでいるか、低次元の誘惑に乗る人ですね。低次元の誘惑というのは自分を運ばないことから生まれるのかも知れません。
昨夜、帰りの電車の中でアルバイト仲間らしい二人の若い女性が面白いことを話し合っていました。22~3歳のアルバイト中兼就活中の女性同士の会話です。
「私って本当に用心深いのよね~、でも浮気相手にされてしまうの」
「用心深い人って、ひとつのパターンで攻められると一回こっきりのヤリマンになってしまって、弄ばれるの。決まった法則ね。遊ぶ男は用心深い女性を攻めるパターンを知っているのね。ワンパターンで遊ばれてしまう。そういう人は、みんなそう。」
「いつもそうなっちゃうのよね~」
「今度、飲もう、思いっきり飲もうよ」
う~ん、そういう型を知っている男が羨ましい。そういうのとは無縁の人生だったな。でもそういうことを知らないことで、波動(魂のレベル)を落とさなくて良かったかも?
私には瞑想や仕事より難しい不可知の世界ですね。
第三者を傷つけることになるかも知れない誘いでも高次元(宿命)の場合があります。この場合はまた別ですね。宿命に従いましょう。何もしないという守りも、行動しないというマイナスのカルマを作ることになるし。




行ってきました!滝瞑想

当日のドタキャン有り、待ち合わせ場所の勘違い有り!で特急出発間際まで焦りっぱなし!ではありました。秩父の天気予報は一日中雨、特急に乗っていると雨一杯降ってきた!「う~ん、今回は私のジンクスが始めて外れるか?」と不安になりつつも天に思念を送った、雨が止むようにと。目的地に近づくにつれ雨は止んでいった。で、目的地麓のバス停に降りた。ほんのちょっと雨。でも歩いている内に雨は止んだ。

先客の一団が滝行をしていたが、我々が昼食を取っている間に終わった。

滝瞑想としては最高のシチュエイションになった。滝の轟音以外ただただ静寂。小鳥の鳴き声も聞こえない。風で枝が揺れる音もしない。霧で山の景色も霞み、紅葉も始まっていて、こんな神秘な環境はそう得られるものでは無いですね。そこは我々だけが入り込んだ異次元空間?晴れていればハイカーも通って気が散るし。天気予報が雨だから他に人が来ないので良かった。もちろん風の音、鳥のさえずりも良いものですが、初心者には滝の音以外何も無い静寂の方が集中に良い。

3回の滝瞑想で、地の声、天の声が聞こえた人がいました。聞こえなくてもとても気持ちの良い瞑想はみんな経験出来ました。自宅や天風会館で10年坐っても出来ないことをわずか一日で会得する瞑想なのです。一回目は普通の瞑想(地球との一体感を感じてする。)、二回目は地の声を聞く瞑想(一心で肉耳を極める)、三回目は天の声を聞く瞑想(心耳を開拓する)です。
一日三回でワン・セットです。一回目20分、二回目25分、三回目30分としました。





禁断の果実

アダムとイブが食べた禁断の果実はリンゴでしたっけ?それは知性のことでしたっけ?平べったく言えば、”考える”という、してはいけないことをするようになったということですよね。それは正しいと思えるようになってきたな。
人間、考えたらダメだよね~。科学は考えないと出来ないけれど、それは論理思考ですね。論理思考で考えれば悩みなんか存在しない。論理思考で日々のことを考える人はまれですね。本来の仏教は人生の真理の論理思考ですね。仏教で見れば、人間は、美人もブスも何の違いもない単なる糞尿製造器ということです。それが論理ですね。好きも嫌いも恋いも愛も論理から見ればありゃしない。
あ~だ、こ~だと過去苦労、未来苦労に、誰がどうしたこうしたと、余計なことを考えることが禁断の果実なのです。分かりやす~い!話しですね。




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