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滝瞑想10/28(日)

滝瞑想の参加予定者が17人になった。男6人、女11人。この辺がもう限界だな。これで募集締め切りです。(ただし若くて美人は別枠で認めます。ははは)
一人で全体を見るには15人が限界です。軍隊で言えば最小単位の1分隊ですね。犬山城勉強会も定員15人にしているのはそういうことです。
私から滝瞑想で、「地の声」、「天の声」の聴き方を学べる人は幸せだと思うな~。
そういうのを聴く方法を先生方から教えて貰ったことは無いですね。私は3年間の滝行でコツを掴みました。
滝瞑想は3回します。まず普通に滝の音を聞きながらの瞑想。次に「地の声」を聴く瞑想、その次が「天の声」を聴く瞑想になります。滝の音だけでなく、小鳥のさえずり、風の音など自然の中で自分が自然の一部となって聴きます。篠島では海岸で、「地の声」の聴き方を教えました。「地の声」は肉耳で聞きますが、「天の声」は心耳で聞きます。肉耳で聞こえているがごとく心耳で聞こえてきます。
「天の声」の聴き方は普通の人には発想できない方法で行います。私は天の才?
才と災は紙一重?主流派から見れば「天の声」の聴き方なんか、あり得ない話し?
一般には教えられない内容になりますね。なぜならそれが、「出来ない」、「分からない」、「そんなの聞こえるはずがない」という雑念になるから。瞑想が熟達するまでは滝の傍では指導者に従ってやらないといけないですね。滝は滝の中に入らないでも危険な場合もあります。だから人数が多いと問題なのです。

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睡眠

私も22歳ぐらいまでは布団に入っても1時間、2時間と寝られなかった。大学4年の時にビルの窓拭きとトイレ清掃のアルバイトを1年した。1ヶ月か2ヶ月経つと、夜、”あっ”いう間に寝られるようになった。肉体的疲労と神経の集中(神経を集中しないとビルの窓から落ちて死んでしまう。)による精神の疲れが毎日コンスタントにリズム的に継続すると寝られるようになった。一度、寝られるようになるとその癖が何年もずーっ続く。夏以外今も続いている。
不眠症だという人は肉体と神経の同時継続的疲労をすれば寝られるようになる。ただ、散歩程度ではダメかも知れないけれど。
小学3年生の時に隣の席に座った悪ガキが早飯食いだったので、そのリズムが移って私も早飯食いになった。それからずーっとその癖が続いている。一度癖が付くと続くようだ。整理整頓するという癖を付けるチャンスは無かったな。良い癖を小さい時か若い時に付けないといけないな。そのためにも友人は選ばないといけないな。
子供の頃、友達は選ばないといけないという先生の話しに対してずいぶん反発を感じたけれど、それは田舎では私の周りに悪いのがいなかったからですね。やはり言葉の遣い方が汚い人は友人に選ぶべきではないとこちらに来て思いますね。
なぜなら言葉が自分の環境や人生を創るという面は大きいのだから。



相性

相性というのは確かにある。でもなぜ相性なんてものがあるのだろう?
犬猫にも仲間同士で相性というのはあるのだろうか?より強い遺伝子を求める遺伝子獲得競争はどの生物にもあるようだけど。ミミズにもあるらしい。
特定の女性の傍にいるとどうしようもなく安らぐ人がいる。そういう魂の相性と、騙す人、騙される人という相性もあるのかもな?騙される側は、その相手と相性が合うという錯覚を起こすのかな?男慣れした女性と女性慣れしていない男が一緒にいると、女性慣れしていない男は錯覚の中で安らいでしまうということがあるのかな?
よく分からないな?
娼性という性質を女性は多かれ少なかれ本能の中に持っています。娼性の強い女性は誰とでも相性を合わせられるのかな?というか、相手に合わせて自分の性格を変えられるのかな?または演技して合わせてしまう本能を持っているのだろうか?よく分からないな?タレントや歌手なんかは娼性が強いほど人気が出ますね。
私の場合は相性の合う女性というのはめったにいないので、逆に騙されやすいのかも?酒も大して飲めないのに30代の半ばまではキャバクラの水商売のねーちゃんに結構貢いだな。水商売のねーちゃんには今はもう騙されないけど・・・・。
男にとって女は宇宙人だけど、「男なんて、チョロい、チョロい」と思っている女性は間違いなく娼性が大きい女性ですね。私は、そういう女性に、「チョロい、チョロい」と思われるお人好しの典型ですね。トホホホホ。

「蜘蛛の糸その後」の話し

蜘蛛の糸のその後の創作ストーリーの原稿をメールで貰いました。転写の許可を貰いましたのでここに紹介します。なかなか味のあるお話しです。
【 掌編小説  蜘蛛の糸その後         島根一郎

芥川龍之介作「蜘蛛の糸」には後日談が伝わっています。出典は不明ですが、もしかすると天風先生が語られた話が今も天風会で語り継がれているのでしょうか。

カンダタが蜘蛛の糸が切れて再び地獄へ落ちてから三百年ほどたったある日の朝のことでございます。今朝もお釈迦様は蓮池のふちをお歩きになっていらっしゃいました。

ふと蓮池のほとりに佇まれて蓮の間から底の方を覗き込まれたのです。

すると血の池地獄で蠢いているカンダタの姿があったのです。でも、三百年前のカンダタと様子が違うことにお釈迦様は気付かれました。心なしか笑みを浮かべ血の池地獄で這いずり回っている亡者に時には手を差し伸べているのです。

不思議に思われたお釈迦様はカンダタに尋ねてみようと思われました。そして、カンダタに向かって銀色に光る蜘蛛の糸をスルスルと投げ下ろされたのでございます。カンダタは蜘蛛の糸を手繰り寄せたのですが……

「いや!待てよ!」

カンダタには閃くものがありました。

「この蜘蛛の糸はオレのものだ!下りろ!下りろ!」と叫んだ途端に今までなんでもなかった蜘蛛の糸が手元からプッツリと切れて

地獄から脱出する千載一遇のチャンスを逃してしまったのです。カンダタは来る日も来る日も悔やんでばかりいました。そんな日がしばらく続いたある日のことです。地獄は辛く苦しく悲しいことばかりです。辛いとか、苦しいとか悲しいと思っても事態は一向に改善しません。元は人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥棒のカンダタのこと、このぐらいの責め苦は仕方がないこと、と達観すると地獄の責め苦もそれほど辛く感じなくなりました。そして、時には血の池地獄で溺れそうになった人に手を差し延べたり、ニッコリと笑みを浮かべることさえあるのです。

蜘蛛の糸が手元でプッツリ切れたことなど忘れかけていました。そんな時でした、お釈迦様がカンダタの前に蜘蛛の糸を垂らされたのは・・・・・・。カンダタは一人で蜘蛛の糸を手繰ろうとはしません。しばらく思案していましたが、突然大きな声で、

「オイ、お前たち!一人ずつこの蜘蛛の糸を手繰って極楽へ行け!」と叫びました。

一人残らず極楽へ送り届けたら、

「最後にオレが行く!」

そして百人二百人五百人と一人ずつ極楽へ登らせたのですが何時まで経っても亡者の減る気配が全くありません。次から次へと人は地獄へ落ちてくるのです。

何時までこんなことが続くのやら、時には不安に駆られることもありました。

「すまねえな、あとからきたのに、ありがとう」とか、

「地獄に仏とはお前のことだ、ありがとう!」と口々にお礼の言葉を云われます。

カンダタは気を取り直して一人一人に

「気をつけて行けよ!」

「慌てるんじゃねえぞ!」

「大丈夫だ!オレが見張っているから!」と声をかけます。

 やがて、

不思議なことにカンダタは何ともいえぬ喜びが心の底からふつふつと湧きあがってくるのです。蜘蛛の糸が切れぬようひたすら心を砕き地獄へ落ちた亡者をひとり、またひとり、と極楽へと送りつづけているのです。数百年経った今もカンダタは目を輝かせてこの営みを続けているのです。    

 このようすをご覧になったお釈迦様はにっこり微笑まれて蓮池を後にされました。

     (おわり)   12・2・3 】
私はこういうの好きですね。私は人を引き上げるのをいつも失敗ばかりしている。
でも時々は少しは成功しているかな?でもまあ、特定の個人Aは別にして、人間一人一人を助けることは私の人生のテーマではないから別にいいけど。目の前に現れた人間をポイッと捨てられないだけで。でもさすがに、分からない人間はもう切り捨てないといけない時が来てしまったな。分かる人間だけを持ち上げるしかない。分からない人間は、分かっていないことが分かっていない。分かる人間は、分かっていないことが分かっている。分からない人間は知識と好き嫌いで判断する。分かっている人間は皮膚のエネルギー感覚で理解する。




養動法

今日の日曜行修会である人が、「難しい人と会う前に養動法とクンバハカをしているととてもうまくいくが、その準備をしていないうちにクレーマーがドアを開けて入ってきた時は困る」と体験談を語っていた。
人前でお腹を回すわけにもいかないので、目の前に人がいても出来るお腹を回転させない養動法の極意を教えて上げようかと行修が終わってから近寄ったが、他の人が次々に話しかけていたので、「縁が無いんだな、それとも天風会が教えない極意はこの人にはまだ話してはいけないということかな?」と思って帰った。
なかなか縁というのは難しいね。教えて上げたいと思っても縁がない場合もあるし、相手が自ら縁を壊す場合もあるしですね。それもまた縁が無いということですね。
まあ、普通の天風会員は、「お腹を回転するのが養動法なのだから、お腹を回転させないのは養動法じゃない」と主張するだろうな。本質を掴んでいないとそうなる。




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