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悩み

ホントにね~、前にも書いたけれど、悩む必要のない人が悩み、悩む必要のある人は悩んでいる暇がない。
一つ二つ問題がある人は悩むけれど、五つも六つも問題を抱えている人は今を戦うしかない。私は悩まない部類に入るな。ははははは。

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DSC_3440p1.jpg今年の桜は例年より10日ぐらい遅れているのかな?弘前の桜は五月の連休の終わりぐらいになるのかも知れない。そうすると桜とリンゴの花が同時に咲く可能性があるな。
その頃に弘前に行く人は儲けもんかも知れない。
私の、かわいい、かわいい桜の盆栽も凍えている。
ソメイヨシノより一週間早く咲く六義園のしだれ桜もまだつぼみのようだ。
4/1に伊勢神e3952d3f.jpeg宮に行くけれど桜の開花の気配は聞かないな。普通なら桜満開の季節だもんな~。
3/31(土)朝二番ぐらいの新幹線で芦屋に行くけれど、ちょうど桜の季節かも~?と勉強会の企画時は期待したけれど、ちょっと残念。





 

病は忘れることによって治る

「病は忘れることによって治る。」という言葉があります。この理解はやさしくない。
確かに病の時に忘れろと言っても忘れられものではないのが普通ですね。
小学生レベルでは、「なるほど趣味や何かに夢中になっている時は病のことを考えないのだから、何かに夢中になれば良いんだ。」と。大抵はこのレベルですね。
「病を忘れるには自分を忘れる必要がある。それには座禅や瞑想が良い。」これが中学生レベル。
「無念無想になれば自我が無くなる。自我が無くなれば病が無くなる。なぜなら病はカルマにより生じるものだから。人間本来病無しというのはそういうこと。」が高校生レベル。
「無念無想になると空になる。空になると宇宙霊と繋がる。宇宙霊と一体になる。自我も肉体も無い。その間、肉体は肉体本来の姿になり病が消える。無念無想とはブザーの鳴り終わった一瞬の一秒であり、寝るときに起きている意識と寝入ってしまう間の境の一秒、すなわち交感神経と副交感神経が交代する一秒が空になり、その時、宇宙霊と繋がる。ずーっと無念無想は維持できないのだから、一日の中にできるだけ多くの一秒を作ること。病を忘れるとは無念無想になる時間を多く持つこと。」が大学生レベルですね。
ここまで段階的に教えている先生は天風会にはいないな。はははは。
それは無念無想になった時の自分の身体の感覚を把握できていないからです。
ブザーの音と鐘の音の違いを理解していないからです。
でも、普通の天風会員はそこまで理解する必要は無いですね。そういうことを考えるとその知識自体が雑念だから。ブザーを聴いてただ安定打座をしていれば知らなくても効果があるのだから。だから知ることによってそれを意識して効果が薄れるということはあるかも知れないな。天風先生が座禅と安定打座は、「似て非なるもの」と言っているのはそういうことです。




言葉の鏡

そう言えば、顔を見る鏡はあるけれど、言葉を見る鏡はないね。自分が発した言葉を言葉の鏡で見ることが出来れば世の中変わるかも知れない。
どれほど人は、「私は・・私は・・私は・・」と言っているかまったく気づいていない。
犬はどうして他の犬を仲間として認識するのだろう?自分が犬だと知らない犬も多いだろうに。自分を犬として認識するために犬は鏡を見ていないのに。不思議だな。
鏡のない古代は、自分の顔を知らないので自分が美人かブスか知らないでいたはず。その方が多くの女性にとって幸せだったかもね~?鏡があるばっかしに比較してしまうことになる。鏡を見なければ比較のしようが無いもんね。




今朝もAの夢を見た。今年になって五回目かな?六回目かな?
去年も10回以上見ているというか現れているというか。
いつもはかつての現実の通り、ただ観察しているというか見守っているだけというか、夢の中でもただ見ているだけだけど、今朝はめずらしく会話した。
「茨城からここまで自転車で来るとは、あまえ、元気良いな」、「元気だよ!」とね。その自転車は、見たこともない真新しい丈夫なスポーツ自転車だった。
何のこっちゃ?ははははは。
ほんと、夢はこちらが見ているのか?向こうが夢に現れてくるのか?45年以上の謎だな。そして永遠の謎だな。
ちなみに今朝の夢には同級生のHも現れた。
「なんだ、おまえら、お互いここで会う約束していたんか。まあ、いいか」と私。
昔からひたすら想いを表現するH、知らん顔で沈黙の私。Hとも何か過去の因縁があるのかな?不思議な縁で繋がっている。Aが札幌で住んでいた頃、Hも仕事で札幌に転勤していたらしい。もちろんお互いそんなこと知らない。
まあ、50歳過ぎてからはすべてが許容範囲に入ってきたな。
「みんな心のおもむくままに好きにすればいい、それぞれこの世に心残りが無いように生きれば良い、ただしマイナスのカルマを作らないように」と。
マイナスのカルマを作ると来世がきつい。特にこれからはそうなる気がする。
昔(中二)から私はいつもそのことを考えて行動している。
ほとんどの人は、天の法則、カルマの法則、すなわち因果律を知らないで欲望に従って生きている。かわいそうにと思ってしまう。
スピリチュアルな世界を勉強している人でさえ知識は知っていても自分の言動を自分で見ることができないでいる。
最近、ふっと感じたのは、「言葉は神である」ということですね。自分の口から出る言葉自体が神であると。それは同時に悪魔でもある。
言葉という神を発するのか、言葉という悪魔を発するのかは、その人の責任ですね。それはその人の心が決めることです。他人はどうすることも出来ない。どちらを選ぶかを決めるのが自由なのです。人はすべて言葉の選択の自由という権限を持っているのです。
話が夢から大きくずれました。人の夢なんか人にはどうでも良いことだから、ちょっとためになることを付け加えました。














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