昨日朝、天風先生の墓の前で、3人が「力だ!勇気だ!信念だ!」と叫んでいた。私も隣で一緒に唱和したが、それはその場での調和。みんな健気なのは良く分かるが、どこに力と勇気と信念の実践、実証があるのか?と聞きたい。
唱和していたら自分もそれらを持っていると錯覚しているように私には見える。
「今日はいい話を聞けた~!」と満足することで満足している人は多い。それはそれで世間の人より大きく価値高いが、実践を伴う行動になって信念が肚の中に入ることになる。覚悟はいるよね。覚悟の無い言葉は自分を騙す言葉になる。科学の進歩のためにモルモットとして死んでもいいとWチンを打つ人は立派だが、Wチンは組織上強制される場合とか打った証明がないと親の介護施設に訪問出来ないとかは仕方がないけど、感染を恐れて自分の意思で打った人は、「怖い!不安だ!世間は天風教義より強い!」と本音をまず唱和するべきだよね。それから、「私は力を持ちたい!勇気を持ちたい!信念を持ちたい!」と唱和するべきだよね。次はそれからだ。
まずは、自分の事実を素直に内観する必要がある。いざとなったら腰が抜けるチンピラの強がりから脱却しないとね。私はかつて5~6人の不良やチンピラと対峙したことあるよ。チンピラには顔を殴られてメガネが飛んで割れてしまったけど。いざという時以外は弱々しく逃げることにしているけど。
PR