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人類70億人、70億種の人生が、

人類は70億人、一人ひとり指紋が違う。なぜだろう?指紋の形は何が決めているのだろう?DNA?遺伝子配列の中に指紋模様の情報が入っているのだろうか?一人ひとり指紋が違うように、同じ人生を送っている人もいない。70億人、一人ひとり違う人生を送っている。それは一人ひとり違う人生の問題をプログラムとして持っているということですよね。70億枚のジグソーパズルがあって、一人一人がそれぞれの1枚を担っているということですよね。そして一人の身体は60兆個の細胞のジグソーパズルで出来ていて、さらにその奥には腸内微生物や赤血球や白血球などなどジグソーパズルで組まれている。不思議だな。
「世のため、人のため」と世間では言われるけど、それはいったい何だ?狭い見方をすると、良い意味での因果応報、積善の家に余慶あり、と自分に戻って来るから?もうっちょっと広く見ると、自他一如なので、人のためは自分ためであり、その間に区別が付かない。さらに深く見ると、世のため人のためという心と行動は、宇宙の波動を1/70億上げ、宇宙の進化向上に貢献することになる?
で、70億分の一のジグゾーパズルの一枚として、人生を全うすれば、他に何も考える必要は無いということでもあるけどね?人生を全うするとは、自分以外の誰かを、または何かを命をかけて守ること、または挑戦すること、ですね。
守るか?挑戦するか?人生は二者択一ですね。どっちもしない人もいるけど、そういう人の来世は厳しいだろうな?すなわち、自分を守ることは、自分を守ることにならない。
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安定打坐

安定打坐は逆境で深まるものですね。順境で座っても気持ちいいけど、
「いのち」を見ることは出来ないと思うな。瞑想も安定打坐も死の予行演習で、一度死んで身体ひとつで新生する。大死一番、順境だとこれが深く会得出来ない。ということで、順境も幸せ、逆境も幸せということですね。
こんなこと言っているのは天風会で私だけ?寝ることは死ぬことと同じで、魂は黄泉の国に帰り、朝、リフレッシュして甦るとスピリチュアルな世界では言っている。睡眠薬で寝た時は黄泉の国に行けないので、心の疲れが取れないという。麻酔とか睡眠薬で寝ている人にはヒーリングはあまり効かないという説もある。
睡眠薬で寝ている人へのヒーリングはしたことがないので経験的にはそれは分からないが、睡眠薬と関係なく意識昏睡の人にはヒーリングはよく効くと思うな。
安定打坐とクンバハカが出来ると潜在的なヒーリング能力が身に付く。しかしその潜在的能力を顕在能力にするテクニックは教えられない。ヒーリング能力を身に付ける時、自己防衛のためにプラーナヤーマ呼吸法も深く身に付けておかないといけない。日曜行修会で、ちょこっとやっているレベルではダメだな。

勇気という空念仏?

天風会では、「力だ!勇気だ!信念だ!」とか、「勇気、勇気で押し切るのだ!」と大声で宣うが、生活が安定している人はそれらを使うリスクを負いたくないので、それらの言葉は空念仏になっているのに、天風教義を理解しているつもりで、何の本のどこのページにこう書かれていると理屈を垂れ流している。
会員の中には、事業をやっている人や仕事で困難に直面している人や生死の問題に直面している人は、これらの言葉で力を振り絞って日々戦っている人も結構いると思う。そういう会員を前にして、戦う勇気の無い従順な人達がリーダーとか講師とか理事になっているように見受けられる。そのために、「世のため、人のため」という言葉も空念仏になっている。勇気が無くて世のため人のため、なんかこの世に無い。天風先生も墓の中で苦笑いしていることだろう。

私は物理を学んだ(私の頭では理解出来なかった。)が、大学で最初に言われたことは、「物理を学ぶことは、物の理を学ぶことである。」と。
医者や学者の言うことには、一理はあるが二理は無い。
天風会が教えていることには、二理はあるが三理は無い。
天風先生が教えていることは、四理(尻、真理)だな。
合気道の創始者である植芝盛平氏も四理だと思う。
心身統一合気道の藤平光一氏は三理だと思う。三理でも大したものだ。
二理の頭で四理の話を聞いても二理しか理解できない。二理でも庶民としては立派な心ではあるが、二理しか分かっていないのに四理を分かっていると錯覚をしている人はいる。教務委員会は一理しか分かっていないのだろうと思う。
議論して出す結論は一理を越えない。二理は議論に馴染まない。知識や理屈による理解が一理だな。二理は身体の感覚や抽象的感覚の自覚だな。悟りの一歩手前が自覚らしい。三理はそれなりの悟りなんだろうな?自他一如のレベルなのかも知れない?四理は自他一如ではなく、自宇宙一如なんだろうな~?私には理解出来ない。かつて物理を理解できなかったように悟りも分からない。
ちなみに五理の世界は肉体を持っている限り理解できない世界なんだろうな?五理夢中、夢の中の話、幽体離脱して知る高次元世界?神の一歩手前?

真似

天風先生のクンバハカの形を真似することは大事だけど、真似をすると身体に力が入るんだよね。力で真似の形を作る。力が入るとクンバハカにならない。
そういう真似の努力をしている人がいる。他の人よりは前進しているけど、
「自分は出来ている。どうだ!」と思っているように見受けられる。
世の中には、愚人、凡人、秀才、天才がいる。
言葉、そのままに受け取る人が凡人だな。
「天風先生はそんなこと言っていない!」と言う人は言葉の字ずらしか受け取れない凡人だな。文章の裏には百倍、言葉の裏には十倍の意味が隠れている。それを考えるのが秀才だな。天才は言葉ひとつで、ぱっ!と閃きで全部分かる。


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