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クンバカ

ヨーガの極意としてクンバカというのがあります。本では止息と書かれています。「なんだ、息を止めるだけか?」と考えてしまいます。私もそう思ってきました。クンバカとは天風教義のいう絶対クンバハカのことなんですね。息を止めてする技です。クンバハカは息をしながらでも自然に出来る方法です。それで天風先生は常息でも出来る方法をクンバハカと名付けたのでしょう。
出来るだけ長く息を止めるには、まず息をいっぱい吸ってゆっくりと吐いていくことを考えますね。誰でもそうすると思います。ところが昨日やってみたら、どうも息を少し吐いて楽い状態に持って行った方が長く息を止められます。長い時間、深く海に潜るには息を吐いて潜ると読んだことがあります。「息を吐いて潜ったら、すぐに息苦しくなるだろう。」と思っていました。昨日、「あ~!クンバカとはこういうことか~?絶対クンバハカのことなんだ。」と分かりました。クンバカとは息を止めることだけではなかった!ということですね。
クンバカは単なる技であって、人間は霊性の発現、即ち本心良心の発現とセットでないといけないのです。クンバハカは霊体と言われています。確かに常住クンバハカ態勢で邪な思考が出来るかな~?出来ない気がする。20年前、自然クンバハカを経験してから、俗にいう超能力が身に付いた。今度、常住クンバハカが身に付いて、無心がベースになった。思考ノイズの中で思考するのでなく、無心の中で思考するという感じですね。
ムーラバンダというのはヨギのグループが違うのでしょう。ヨギのグループまたは地域によって名称が違うのでしょう。
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新真クンバハカと安定打坐

安定打坐をする時、先ず座ってクンバハカをして、それを忘れると教わっています。忘れてもゼロになっていないからと天風会で教わって来た。この場合は肛門を締めてということです。肛門を締め続けて無心になることは出来ない。
しかしクンバハカと安定打坐は本来ワンセットと私は言い続けて来ました。新真クンバハカ法は、肛門を締めることなく息をするようにクンバハカになります。だから安定打坐中、意識しないでズーっとクンバハカ状態です。無心が常態になります。すなわち安定した無心が当たり前に継続します。努力は何もいらない。クンバハカと安定打坐は本来一体のものということが更に良く分かりましたね。
天風会に入って少なくとも3年間は雑念妄念との戦いだった。5年目で自由に無心が取れるようになった。今では無心が取れない状況が分からない。そして無心(4次元)と無念無想(5次元)との違いも分かる。思えば遠くまで来たもんだ、ですね。でも、5年10年でここまでたどり着きたかった。32年だもんな~?天風会で学んで、分かったつもりになっている時が一番幸せだったのかな?
「知らぬが仏」と言う言葉があるけど、「知らぬが幸せ」、「知ったつもりが幸せ」かもね?この仮想世界ではそうかもね?実相の世界ではまた違うだろうが?

クンバハカ

しつこくクンバハカ。藤平光一氏も天風会が教えている方法ではクンバハカにならないと書いていたが、ではどのようにすればいいかは書いていない。
天風先生も、「クンバハカは神経反射の調節法より遥かに奥深いものだ」と書いているが、方法は何処にも書いていない。天風先生は、ある姿勢の写真を何枚か何の説明もなく残しているだけ。「これがクンバハカだ!」と教えている写真だと最初に気づいたのは私。その後、その写真を真似ている人はいたが、本質を見ていないので何のクンバハカにもなっていない。観察力の無い目で見て形だけを真似てもクンバハカにはならない。クンバハカ態勢の取り方を言葉で説明できない。それを言葉で説明できる方法を発見したが、やはり実地で相手の姿勢やオーラを見ながらでないとダメだと思う。紙に書かれた文章で学ぶものではない。車の両輪または4輪として各種天風教義を学ばないといけない。単なる技としてクンバハカを身に付けてはいけないのだろうと思うな。
1にクンバハカ、2に安定打坐、3に観念要素の更改、4に積極精神の養成なのかな?私は積極精神の養成なんかやったことが無い。必要性を感じないから。観念要素の更改がキチンと出来れば他は何もいらないと何処かに書いてあった。そうだと思うな。観念要素の更改のために他があるのだから。観念要素の更改とあるけど、いろんな説明がされているけど、分かったような?分からない話しだな。本を読むだけでは分からない。マスクを付けたり、ZOOMに走ったりした人は積極精神の養成も観念要素の更改もしていなかったということだね。
先の勉強会に参加した人にメールで方法を伝えたら、簡単に絶対クンバハカの会得が出来ましたね。これはという天風会員に、こそっと内緒で伝えて貰えればいいですね。どう理解して貰えるか?その積み重ねを少しづつ拡げて欲しいですね。人に伝えないと意味がない、「あの人、変なことを教えている」と理解して貰えなければそれも意味がない。天風先生が写真で見せている方法での感覚をまず体験して貰って、神経反射の調節法とは違うというのを身体の感覚で理解して貰って、それから次の段階として新真クンバハカ法の自然クンバハカを、そして常住クンバハカをやって貰って、それから絶対クンバハカを伝えるのが良いかもね?肛門筋肉(肛門挙筋)の動かし方を順次覚え、肛門の筋肉に覚えさせ慣れさせるので1日では出来ない。でも元々の神経反射の調節法の熟達者なら数日で出来るだろう。

なんだ?こんなに簡単だった!

天風教義の基本にクンバハカがあるけど、入り口は簡単に入って12年で難しさを知って32年かかってまた簡単に戻ってきた。「アッ!こんな簡単な方法があるんだ~!」と新しく気づいた。最初に誰か教えていてくれよ~!そうすればこんなに回り道しないで済んだのに~?って感じだな。
今年初めから真クンバハカ法を教えているけど新・真クンバハカ法に気づいた。どんどん方法が易しくなる。易しすぎてブログに公開するのは勿体ない?今までも方法論は書いていないけど。次の日向ぼっこ村勉強会で伝えます。
私は天風会が教えている神経反射の調節法での肛門は締まらなくなっている。「肛門を締めている限りクンバハカにはならない。」心身統一合気道を創設した藤平光一氏が訳の分からないことを書いていたけど、そのことは正しい。天風会10年目ではその意味が分からなかった。でも今はその意味が分かる。
でも肛門を締めることは価値がある。朝、風呂から出て新しいパンツを履く時に片足を上げますね。歳を取って来ると不安定になってぐらつき始める。その時にクッと肛門を締めるとピタッと安定する。王さんの一本足打法の原理と同じだな。天風会が教えている神経反射の調節法は否定しない。せめて5年目で真・クンバハカに進んで欲しい。少なくとも今の段階で神経反射の調節法とクンバハカを区別している先生はいない。神経反射の調節法=クンバハカとして教えている。天風先生は、「クンバハカは神経反射の調節法より遥かに奥深いものだ。」と書いているけど誰もそれを追及する先生はいない。(しかし山田務名先生だけは分かっていたと思う。肛門の締めろなんて一度も聞いたこと無い。)
神経反射の調節法=クンバハカとして謙虚にひたすら続けて来た姿勢に頭が下がる先生はいるね。姿勢を見ていて分かる。
私は山田務名先生に学んだ流れの中に今までの新しい気づきがある。山田先生に学んでいなかったら今迄の気づきは何も無い。本当に有難いことです。
本を読んで天風会で学ぶだけでは、「井の中のメダカ」の自己満足だけでしたね。

活力の移送法2

今度、活力の移送法を教えようと思うのだけれど一回で出来るかな~?
活力の移送法を考えていると、活力の移送法は「自他一如」なんですね。
自分と他人との区別が無い。自他一如を身に付けることでもある。天風会では活力の移送法を学ばないけど、分かっている講師は今はいないんだろうな?
杉山会長(当時)と山田務名先生は黙ってやっていた。天風会一般大衆会員の前ではそのことを口にしていない。「生兵法、怪我のもと」でもあるからね。


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