安定打坐をする時、先ず座ってクンバハカをして、それを忘れると教わっています。忘れてもゼロになっていないからと天風会で教わって来た。この場合は肛門を締めてということです。肛門を締め続けて無心になることは出来ない。
しかしクンバハカと安定打坐は本来ワンセットと私は言い続けて来ました。新真クンバハカ法は、肛門を締めることなく息をするようにクンバハカになります。だから安定打坐中、意識しないでズーっとクンバハカ状態です。無心が常態になります。すなわち安定した無心が当たり前に継続します。努力は何もいらない。クンバハカと安定打坐は本来一体のものということが更に良く分かりましたね。
天風会に入って少なくとも3年間は雑念妄念との戦いだった。5年目で自由に無心が取れるようになった。今では無心が取れない状況が分からない。そして無心(4次元)と無念無想(5次元)との違いも分かる。思えば遠くまで来たもんだ、ですね。でも、5年10年でここまでたどり着きたかった。32年だもんな~?天風会で学んで、分かったつもりになっている時が一番幸せだったのかな?
「知らぬが仏」と言う言葉があるけど、「知らぬが幸せ」、「知ったつもりが幸せ」かもね?この仮想世界ではそうかもね?実相の世界ではまた違うだろうが?
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