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動的瞑想

昨日、バルテュス展を上野の東京都美術館に見に行った。なぜならバルテュスの奥さんは日本人で天風会員ということで誘われたので見に行くことにした。
「(ひとつの対象物の)デッサンを何枚も描いているとその実在に入っていく」
「絵を描くことは神に近づくという確信がある」
というようなバルテュスの言葉があった。
実在という言葉の意味は瞑想しない人には分からないと思うな。
絵を描くことは動的瞑想なんですね、きっと。そうだと思いますね。
瞬間の命の輝きを表現するにはエロティシズムは表現形式として最適なんでしょうね。



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宗教

宗教というものに拒否反応を示す人も多いが、宗教に没頭している人も多い。
しかし日本ほど宗教施設や宗教活動の多い国はない。墓参りもお盆も秋祭りもクリスマスも除夜の鐘も初詣もみんな宗教ですね。日本ほど宗教が空気の存在のようになっている国は無い。空気のようにその存在が余りにも自然なので、日本人の宗教観と空気感の共通性を説明しても外人には分からない。
宗教というと、洗脳、金集めというイメージを持つ人が拒否反応を示す。それは宗教と宗教団体との区別が付いていないと言うことですね。宗教と宗教団体とは違う。
私は何ぞや、この人生をどう生きればよいのか?と考えること自体宗教ですね。哲学と区別付かない。宗教と科学も本来区別が付かない。科学は神の摂理を知ろうと始まっている。哲学者のソクラテスは神(宇宙霊)と繋がっていた。ニュートンの論文の80%は宗教論文である。ニュートンにとって力学や光学論文と神に関する論文との区別は無かった。
科学を勉強することは宗教を勉強することでもある。哲学をすることは神の摂理を考えることでもある。
前に書きましたが、何事も未分離から始まり、分離、独立、連動、統合というように進化は進んで行く。一部の科学者を除いて今の多くの日本人にとって科学と宗教は分離の段階ですね。
そういう意味で天風教義は広義の宗教になる。しかし会が会員を洗脳しないし、金集めもしないし、会員に勧誘を強制しないし、辞めるときに引き留めの何の言葉もないし、宗教団体に認定されていないので狭義の宗教ではない。そういうことですね。人によってひっかけられるのではなく、天風教義は誰かに洗脳されるのではなく、自ら求め、自ら気付き、自分で自分を洗脳する宗教ですね。





未来

アメリカの実話ですが、ある人が脳の中の動脈瘤破裂で倒れてフィラデルフィアの病院に担ぎ込まれて治療を受け、意識が戻り、医者がいろいろ質問した。
「あなたは誰ですか?」、「あなたは何歳ですか?」、「大統領は誰ですか?」
ここまでは正しく答えた。
「あなたは今どこにいますか?」という質問に、
「ハリスバーグ」とその人の人生とは何の関係もない遠く離れた場所を答えた。
それから1ヶ月ほど経って再発して亡くなった。
その時に家族は、臓器提供にサインした。
その人の臓器は切り取られて何人かの人に移植された。 それからしばらく経って病院から何の臓器がどういう人に移植されたかの報告書が家族に届いた。
「心臓が移植されたのは、ペンシルバニアの”ハリスバーグ”に住む53歳の男の人」だと書かれていた。
亡くなる前のその人は、既に未来に行っていたのかも知れませんね。
日本の医者は分からないことは、聞かない、見ない、考えない、信じない、ことにしている。仏教のある宗派の坊主もそうですね。学んだ知識しか信じない。




過去世

過去世というものがあるかどうか?
そんなもん、在るわけ無い。 あるのなら、ここに出してみろ!ですね。
在るか無いかと言えば、無い。 あるのは今だけ。今、今、今の連続だけ。
しかし在ったかどうかと言えば、在った。
人間、オギャー!と産まれた時に過去世は忘れるように出来ている。
忘れているものは、存在しないとも言えるし、存在するとも言える。
それは認識論の問題ですね。しかしながら、まれに、おっちょこちょいが忘れることを忘れてしまって記憶が残っている人間がいる。病気や事故で臨死体験をして、または私のように何かの拍子で記憶を見てしまう人間もいる。
何の本にはこう書いている。仏教の何々宗では無いと言っているというように、過去世が在るか無いかを知識で議論するのは意味が無い。
スイカを食べたことのない人間同士がスイカの味を議論しているようなもので、実際にスイカを食べたことのある人間はその議論の中にはアホらしくて入らない。お釈迦様の”黙して語らず” ですね。 そして中途半端な知識は害になる。
心が”今”に疎かになって、”過去”に言い訳をして”未来”に逃げて行く。
それと次元の問題でもある。
3次元の世界では過去世は存在しない。あるのは今だけ。
4次元の世界では存在する。
5次元の中では過去、現在、未来すべてがその中に一緒くたに入っているので過去世、未来世は存在しないということになる。なぜなら時間が無いから。
時間が無い世界では、過去も未来も存在しない。そのすべてが入っている所から情報を引き出すことの出来る人が覚者になるわけですね。未来を読める人は5次元のそこから情報を引き出している訳ですね。
天風教義で言えば、それが「安定」です。仏教で言えば、般若の智慧ですね。
今を正しく生きるのなら、過去も未来も何も心配する必要は無いということです。
すべては今の連続。それが仏教でもあり、天風教義でもある。
まあどっちにしても、過去に言い訳をして、人に責任を押しつけて、”今”を正しく生きていない人は過去も未来も大変だ。それに気付けば、充分な悟りだと思う。
時間とは何か?というのは本当に難しい問題ですね。私にはまだ分からない。
ある覚者は言いました。「因果とか過去世というのは本当に難しい問題なのでお釈迦様のように高いレベルで悟った人を探して聞きなさい」と。
「日本人はなぜ、過去世にこだわるのか?」とも言いましたね。
「分からないことは考えるな!」とも言ったかな?
基本的には、知る必要がないから忘れるようになっている。
今の科学には、時間とは何か?空間とは何か?生命とは何か?という質問に答えは用意されていない。科学はそれらの現象を述べているに過ぎない。

今の日本2

こんなのもありましたね。






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