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「すべては今のためにあったこと」

今日、「すべては今のためにあったこと」中山靖雄著海竜社刊を池袋のジュンク堂で買ってきました。帰りの電車の中で読み始めました。涙が止まらなくなって恥ずかしい思いをしました。昔は人のいる所では泣かなかったのにな~、40過ぎてからだな~、涙もろくなってきたのは。「涙を流すなんて人間がまだ甘い!」とかつては人に言っていたのだけれど。でも自分のことで流すのと、人のことで流すのはきっと違う。
私は、いつも、「今日の日に出会うために過去があったのだから、過去はすべて善。もし過去のひとつでも違っていたら今日という日は無かったのだから」と言っています。
問題は、「今日から変わるために出会ったのにもかかわず、今日も明日も何も変わらずに過去の流れのまま生きるのが罪」だと言っています。縁は変わるためにあるもの。縁は本来の出会いのためにあるものですね。変わるための縁を捨てる人もいます。そういう人の方が多いのかも知れない。
人間、変わるのが怖いのです。だから不幸のままでも、幸せになりたいと口にしながらも、そのままの方が安心できるという不思議な心を人間は持っている。慣性の法則ですね。たとえそれがマイナスでもそれを維持しようとする働きがあるのだろう。その方向を変えるには別の大きなエネルギー(意志力)が必要になる。人生を変えるのに自動車のハンドルを回すようにはいかない。自動車のハンドルを回すように変えるのが、絶対積極であり、霊性心の発現ではありますね。
確かにな~、時速50キロ、100キロで走っている車を外側から方向を変えることはほとんど難しいね。よほどの大きな車でドンとぶつけないといけない。命がけだな。
人を他の人が変えようとすることはそういうことだな。ほとんど不可能だな。車の運転手が自らハンドルを切らないことには。ハンドルにパワー・ステアリングは付いていないと思うな。









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前世

私は今まで何人かの覚者、霊視能力者に観て貰いましたが、必ず言われるのが、「あなたは前世お坊さんでしたね」と。「チベットみたいな所で高僧だったように見えます」とか。そう私はチベット仏教の僧侶だったことがあります。おそらく三回の人生で。そんなもの一回の人生では学びきれないから。
その前は、戦争で多くの人を殺す立場、または命令する立場だった。それで懺悔してその後の人生で僧侶になったという流れですね。
ダライ・ラマ特集の雑誌を買った。中の写真を見ていると頭がクラクラしてくる。それはそういうことだからですね。私が僧侶だった時の家族関係のイメージが出てこない。出家するということは俗世の家族を捨てることでもあるからイメージが無いのかも知れない。しかしAとはいつも一緒だったはずなのでどうだったのだろう?母親だったのだろうか?いえいえそういうイメージは出てこないな。兄弟か兄妹の関係だったみたいだな~?お寺に興味を持つということはそういう理由によるものだな。
何かに興味が湧くというのも過去世と無縁ではないな。



魂の進化と向上

神人瞑合を目指して、真善美と正直親切愉快を生きる道に選んでいる人と、魂が、「この肉体と心の暴走を止めてくれ~!」とSOSを発しているにもかかわらず、その声を聞かずに心の堕落の道、すなわち嘘と不倫・浮気に開き直り(他にもギャンブル、酒乱、ブランド欲に見栄なども含む)の世界を選んでいる二通りの人間がいます。
人間として同じ姿をしているのにどうしてこんなにも違うのだろう?生まれ育ち、過去世のカルマの違い、生まれた回数の違いと言えばそれまでだけど。
何度も書いていますが、この二種類の人間の間に縁はもう起きないのです。もう手を差し伸べて救うことは出来ないのです。既に海面下に沈んでいった人を手を伸ばして救うことが出来ないのと同じですね。助けられるその時は過ぎ去ってしまったのです。
霊能者で数年前から、もう時間が無い、個人を助ける時間はもう残っていないと言っている人が多かったですが、本当だったと思いますね。
「天は自ら助く者を助く」という真理だけが残った。
自らを助けようとしない者を神は助けようがない。
アル中を治そうとしないアル中患者を医者は治しようががないのと同じですね。
子を救えない親というのは辛いだろうな。心を病んでいる人は親の辛さを理解しない。前にも書きましたが、心を病んでいる人は、相手の立場に立った時に、どう感じるか、どう考えるかを想像することが出来ない。

「堪え忍ぶ中に情味がある」という言葉がありましたね。深いですね。凄いですね。
堪え忍ばずに情欲に走る人もままいるようですね。行き着く先は明かですね。
自分の過去の行動で自分が作りだしたカルマは自分で刈り取るしかないですね。
現世で刈り取るか、あの世で地獄に堕ちるか、来世で悲惨な人生を送るか、それは分からない。因果律は最も基本の宇宙法則です。誰も宇宙法則から逃れることは出来ません。ましてや何度も、「するな」と教わっていたことをした時は。
そしてそれは足し算引き算はありません。「良いこともしてきたからブスマイナスで私はプラスだと思う」と言う人もいますが、そういうことはありません。運命はひとつひとつに対応します。
相手の家族や自分の家族を裏切れば、必ず自分が裏切られる経験をすることになります。相手に与えた苦しみは、後で自分が経験することになります。それは相手の家族にバレているか、バレていないかは関係がありません。なぜなら魂はすべてを知っているからです。そして宇宙霊にすべて記録されているからです。そこには言い訳は記録されません。個人の事情は考慮されません。事実だけが記録されていきます。記録された事実が来月の人生に、20年後の人生に、または来世の人生に反映されます。人は助けないといけない。陰徳を積まないといけない。影日向無く生きないといけない。みんなそういうことですね。道徳でもあるけれど、因果律の真理ですね。

本来出会うべき魂が、出会った時、再会した時は、これまたちょっと違うんだな~。
でもそんな人は、いたとしても一生に一人しかいません。そんな人がいる人はよほどの人です。私はよほどの人に入ります。ただの人には、まあ、なかなかいません。

余談ですが、亭主の浮気は大抵の場合、顕在(実在)意識でも女房にバレている。生活とお金のために気がつかないふりをしている。男は呆けたり、何かの病気で寝たっきりになった時に女房に復讐されることになる。亭主が女房の浮気に気付くケースは少ないかも?男はバカだから。自分でもそう思う。本当にそう思う。



瞑想用音楽と音質

第三回”宙の風”勉強会で使用する音楽を探し始めました。同じ事は二度したくないので前回の瞑想で使った音楽よりより良いのを探している。私の目と耳は厳しい。
前回より良いものを探すというのは並大抵の事じゃないですね。でも一回目と二日目は無心を掴むための瞑想でしたが、三回目はその先に進みますから音楽や音が必要ないと言えば必要ないのですが。私は歩きながらでもやっていますから。それに今回は滝瞑想もありますからね。滝の音の中で聴く地の声、天の声が心の中で原音になることでしょう。犬山でビデオを見せながらちょっとだけ説明しましたけど、地の声、天の声の聴き方を実地指導します。宮本武蔵が修行したという滝が楽しみですね。
いろいろ聴いているとユーチューブは音質が悪くて瞑想には使えないですね。ピアノ曲で良いCDを持っているはずなのですが、それだけがなぜか前から見つからない。ある鬱の人にコピーを上げて効果があったものなんですけどね。ちなみにその曲はその人に効果があったので他の鬱の人にも効果があるとは限りません。人を見て、人に合わせて音楽を選んでいますから。
他では瞑想用CDにいい加減な音作りをしているのがありますが、瞑想が分かっていない証拠ですね。本人は分かっているつもりになっているだろうけど。





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