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止める

「見つかって止める」、「見つかる前に止める」、「もともとしない」という段階と、「見つかっても止めない」という段階がありますね。見つかっても止めないというのは魂が救われませんね。そしてそれが自分で分からない。見つかっても止めれないというのは、きっと低級動物霊に憑依されているんでしょうね。憑依されている人は、当然自分が憑依されているとは認識していません。憑依されている心とは、自分でコントロール出来ない自分の心という認識か、自分は正しいと思っている心ですね。



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安定打坐をしていると静寂に入ります。心も身体も、そして心臓も。心臓の動きがゆったりして止まりそうになります。ヤバイヤバイと思って気を持ち直すようなことが年に一回か二回ぐらいあります。坐禅や瞑想は死の予行演習でもあります。死んでいく死の模擬体験ですね。いえ、死ぬのです。そして死は肉体を離れて魂が宇宙霊の中に入ることです。生きたままそれをするのが坐禅ですね。それが分かっていない人は多いかも知れない。
最近、椅子に座っていて、うとうとと寝ていると心臓が静かに止まりかけるのを感じることがあります。「あっ、ヤバイ!ヤバイ!今、死ぬわけにはいかない」と心臓に意識で気を入れます。
入定といってお坊さんが坐禅をしたまま死んでいく話しがあります。それが実感として分かります。また、自然死というのはこういうことなんだろうなと。私も、もうそういう歳になっているんですね。うとうととしていて心臓が止まりそうになる感覚はほんの最近のことですね。本当はそのまま心臓を止めれば楽いのかも知れないけど、仕事をしている間は人に迷惑をかける訳にはいかないもんな。ひとつ心残りはあるけれど、もう心臓が止まってもいいかな?とは思っていますね。それに昔から死亡願望がある。

人間は、人と人の間に生きている人という解釈が小学生の時から聞いています。だから人間関係を大切にしろと。人間とは人になるのにまだ間(ま)がある人という解釈をしている人もいます。確かに、人というのは心やその人の文化を持ったイメージがありますね。そして人間とは単なる動物を意味しますね。
私は、人間の間は、やはり「あいだ」ではなく、「ま」の意味ではないかと感じます。「間(ま)」を生きている人という意味ですね。で、間(ま)とは何か?ですね。時間を生きている間かも知れませんし、もっと深い意味があるかも知れませんね。

卒啄

卒啄については前に書きました。相手の気が熟さないと言えないことは多いですね。言わないでいると、「どうして思っていることが言えないのか!」と怒られる。
怒られても言えない。タイミングを間違うと逆効果になる。戦前に天風先生が教えていたクンバハカも同じですね。予め説明しているとクンバハカを会得できない。意識するからね。こいつは気が熟したなと思った段階で呼び出して、目をつぶって安定打坐をしろ! で、ドンと不意打ちを掛ける。!!、「それがクンバハカだ!」それだけですね。一切の説明はしない。それと同じで、説明すると意味が無くなることは多いのです。聞いても、嘘か開き直りが返ってくるだけでは逆効果になる。で、沈黙を守ると、優柔不断、臆病者とかのレッテルを貼られる。
「おまえが受け入れる心の準備が出来ていないから言えないのだ!」ということは弟子には言えても赤の他人には言えない。で、次元の低い人が、次元の高い人より、自分の方が高いと錯覚をする。
相手が沈黙すると、勝ったつもりになるのが低次元の人。相手の沈黙の意味を深く考えて自分で反省するのが高次元の人ですね。
大事なことは教えることは出来ない。自ら気付くしかない。自ら気付かないと身につかない。「おまえは間違っている!」と言われて間違いを正せた人を私は知らない。
天風先生の場合は、間違っている時はカリアッパ師からビンタが飛んできた訳だから。人格が上がると小学生に注意されても、「ゴメン」と言って素直にすぐに直せる。
ここ数年間で私を責めた人は二人います。素晴らしい批判力ですね。感心します。
二人とも同じような環境で育った人です。同じような環境で育つと同じような性格や考え方を持つもんだな~と責められながら観察していた。
それにしても怒られながら、責められながら、「きっとこの人のお母さんも、亭主や子供にこういう責め方をしていたんだろうな。それがこの人に移っているんだろうな?」とも観察しながら聞いている。相手の態度に母親が見える。
それにしても前にも書きましたが、修行している時はその人の師が見えてくる。何かの時にその人の父親の人生が見えてくる。みんな背中にいろんな人の顔を背負っているのです。自分は自分だけでないということですね。
私が外国に行く時は、心の中で背中に日の丸を背負います。日本人として恥ずかしいことは出来ないと。「旅の恥はかきすて」は国内では許されても外国では許されない。それで日本人全体が評価されるから。何かを誰かから学んだら、その師を辱めることは出来ないという生き方が大事ですね。
もちろん自分が低次元な生き方をすると親もそう見られるし、ご先祖様を悲しめることになるな。すなわち不倫癖のある人を見ていると親もその程度なんだろうな~?と思われることになるし、人の悪口や批判をする癖がある人は、母親もそうなんだろうな~?と思われることになるということですね。
「働き者は常に夢を語り、怠け者は常に不平を語る」という言葉があるそうですね。


大切なもの

母親は子供のためなら死ねる覚悟は大抵はあると思うけど、女は誰か男のために死ねるなんて心は無いよな。
男は女房子供のために、または好きな人のために死ねる覚悟は大抵は心の中に持っていると思うな。それが日本人だな。
人との縁で、いろいろ教えてくれる人を持っている人もいるだろうけど、女の幸せは、自分が何かの時に夜中でも何時間でもかけて駆けつけてくれるとか、万一の時に、命を張って守ってくれるという人を持っているかどうかですね。
自分にとって大切な人というのは、いろいろ教えてくれる人は、まんじゅうの皮ですね。いつでも駆けつけてくれる人というのは、まんじゅうの肉の部分ですね。自分を命をかけて守ってくれる人というのは、まんじゅうのあんこの部分の人ですね。
あんこの部分の人って、普段見た目、かっこよくない人だと思うな。大抵、見た目の皮の部分で価値を評価してしまうな。で、大切な人を失うんだな。
でも、男が口で、「俺は君のためなら死ねるよ」なんて言っているのは大抵は嘘だな。本物はそういうことに関しては寡黙なんです。
男にとっての幸せとは、その人が傍にいると仕事により集中できる人をパートナーに持っているかどうかですね。
「私をかまって!私をかまって!」と仕事をさせてくれない人もいますね。









スーパー論理

「天風が誦句集を作り、誦句集が天風を作った」と天風先生は言っていたようですが、「母親が子供を作り、子供が母親を作った」ということでもありますね。
さらに言うと、「母親が子供を虐待して、それによって嘘を言う癖の付いた子供に頭に来て母親の虐待が増幅される」とも言えるかも知れませんね。
すなわち、「母親が虐待を作り、子供が虐待を再生産する」と。
先日、不倫の当事者からビックリする論理のクレームを電話で受けた。
「不倫はいけないというブログを読むと、不倫をしている人の心が傷つくかも知れないから、そういうブログは書くべきではないと思う」と。
その論理を自慢げに話していましたけど??????
それって、「泥棒をすることは如何に悪いかを書くと、泥棒をしている人の心が傷つくかも知れないので、泥棒は悪いことだとブログに書くべきではない」という論理と同じですよね。えっ?そんなスーパー論理って?どこの星の論理だ?教えて~!
それとも、それって、女性の論理か?う~ん、男の子には分からない。私がいつも言っている、「女は宇宙人」と。再確認した感じだな。宇宙人の論理にはかなわない。沈黙で応えるしかない。世の亭主が、女房との喧嘩で沈黙する理由がよく分かった。
ちなみに不倫って、心と身体の万引きですよね
万引きする時の緊張感と興奮が万引き癖のある人が止められない理由ですが不倫も同じなんでしょうね。
実は私、小学生の時に友達とゲーム感覚で万引きを何回かしたことがあります。スリルを楽しんでいました。ごめんなさい。でも、中学生になってからは一度もしたことはありません。ピタッと止めました。なぜ止めたか?見つかったから。
そう言えば、高校三年の時、オートバイの無免許運転もやっていました。でも、これ以上走ったら警察に捕まると思って、今度は見つかる前に、パッと止めました。それから二度としていません。
まだ大丈夫、もうちょっと、もうちょっと、が不幸のど壺に落ちていく心ですね。






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