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マイナス思考

デフレになる時にある人は言いました。「デフレになると貯金、年金生活者は銀行預金金利がほとんどゼロになって預金が減っていく。デフレは貧しくなって困る」と。
先日、同じ人が言いました。「これからインフレになると金利は上がるけど、物価はもっと上がるので99%の人間は貧乏になる。困ることになる」と。
かつてデフレになる時に自分が言った言葉を忘れている。
かつて、これからデフレになると心配を言い、これからインフレになると不安を言う。
人は考えることが無いと常に不安と心配の種を見つけては考えている。そしていつも不平・不満を言っている。そういう人とは、私は生活できない。そういう女性と一緒に生活している男こそ忍耐力があると言える。英雄と言えるかも知れない。
それとは別に、今時、都会のマンションで三人以上の子供を育てている家族も英雄だな。それは「何とかなるわよう!」というプラス思考、楽天主義でないと出来ないな。
「何とかならなかったらどうするの?」というのが心配性の人の言葉。しばしばその言葉を聞く。いろんな知識で不平・不満・心配を言っている人より、理屈を言わずに子供三人を育てている人の方が立派だ。


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来世と前世

来世で生まれ変わったら、今の亭主とまた結婚したいと言う女性にまだ会ったことがない。「来世では別の男が良い。今の亭主はもう厭きた」と。多くの亭主は、今の女房ともう一度結婚しても良いと思っているのではないだろうか?またゼロから女という訳の分からない生き物を扱うのは面倒だ。慣れている方が良いと。ははははは!
家庭生活に関しては、男の方が現状満足というのはあるのかも知れないな。女の方が欲が深い?まあ、女は出産で命をかける訳だから、命をかけるにはより価値のある男を求めるのは自然かも知れないな。遺伝子がそのようにプログラムされている。

ある男が、前世でインドで修行をしたけれど、中途半端なレベルで終わって自分で納得できないまま死んだ。今生で日本に生まれても、前世での中途半端なレベルで終わった修行に対してこだわりを持っていて、今なお、修行をさ迷っているように見える人がいる。どこに行っても満足の師に出会えず、いくら瞑想しても心の深いところで満足が得られない。そのように中途半端は次の人生に引きずるんだな。
不満足というものは依存症と似ているな。彼は来世、インドに生まれて、「もういい、これで納得!」と悟るまで徹底的に修行するしかないな。
国のために死ぬ、多くの人を守るために死ぬということは悟りと同等の意味を持つので、国(多くの人)のために命を投げ出して始めて自分の魂が納得する面はあると思いますね。山の奥で修行していて虎に自分の命を穏やかな気持ちで差し出す心を持って始めて悟れるというのも同じですね。今、まさに自分を食おうとしている虎に愛の思念を送って悟れる?いえいえ、それでも悟りにはまだのようですね。虎に自分の命を差し出すという意識がまだ残っているから。
前にも何度か書きましたが、「世のため、人のため」という意識がある間はまだダメなんですよね。電車やバスで前に立ったお年寄りに席を譲ろうと意識して席を立つ間はまだダメなんですよね。無意識に出来ないと。親切にされた側が親切にされたという感謝の気持ちが起きる間はまだダメなんですよね。自然ではないから。もちろんその境地に達するには意識的な行動の繰り返しは必要です。それが無意識になって価値がある。無意識にされた親切は、された側が親切と感じないんです。親切にされた側が後で思い出して、「そう言えば、今日席を譲ってくれたな・・・」というのが理想ですね。それが陰徳というものだと思いますね。修行で悟るより、そういう境地に達する方が大事だと私は思います。

 (´A`)

日曜行修会の帰りに、映画「草原の椅子」を一人で観てきました。あんなストーリだとは思わなかった。私には身につまされる内容だった。ただパキスタン・フンザの景色を見たかっただけなのに。ちょっと何か、懐かしい風景でしたね。もっとフンザの映像をじっくり見たかったのに、せっかくの場所の時間が短すぎた。撮影スタッフを含めてあれだけの人数をあの場所まで運んで安全に撮影するためにはパキスタン軍の護衛がかなり付いたと思うな。パキスタン政府としてもかなり気を遣ったと思うな。
誰かと観たかったけどな~!そういう訳にもいかないな。
今まで女性と映画観たの何回あるのだろう?数え切れないほどあるな?どうしてか?もういちいち思い出せないから数え切れない?
今朝、ある女性が夢に出てきた。私にとってちょっと寂しい映像だったので、安定打坐しながら愛?の思念を送った。白い光が拡がった。そう言えば、彼女は2/14の朝にも夢に出てきた。あれがバレンタインのプレゼントだった?ははははは!
これは夢のお返し?ちょっと涙ものです。(日曜行修会で紹介されたものです。)

今日はyou-tubeを見て涙、映画を観て涙の日だったな。見る度に涙。

男はこれ以上ない幸せの日々の中で、魂の成長のために亡くなる場合があります。毎日が幸せ過ぎると魂が成長しないからね。私はいつも人に言います。「人は幸せになるために生まれてきた。そして魂の成長のためにも生まれてきた。どちらを優先するかというと、神様は魂の成長を優先する。そのために早く亡くなることがある」と。








初めての経験

英語市民サークルを30年以上やっているけれど、もうリーダーの立場は降りているけど、今日始めて、「○○さん、あなたがいるとみんなの勉強にならないから帰ってください!」と言った。私がそんなことを口にするのは余程のことです。普通なら有り得ないことです。一対一の関係なら我慢もして話しを聞いてあげることも出来ただろうけど、みんなの勉強のことを考えると、さすがに我慢強い私でもそう言わざるを得なかった。また彼にそんなことが言えるのは私だけ。嫌われ役は私にしか出来ない。
今頃、「私はちゃんとやっているのに、××さんからこんなことを言われて追い出された!」と怒りまくっているかも知れない。先週に半年ぶりぐらいに久しぶりに出てきて、「あっ、ますます壊れている」と感じて、「困ったな~」と思っていたのだが。
彼は躁鬱病を長年患っていて、鬱の時は家に閉じこもって出てこないのだが、躁になると出てくる。年々怒りっぽくなって、人間が壊れていっているのが明らかに分かる。きっと彼にとってT大に入った時が人生のピークだったんでしょうね。おそらくT大法学部を出ても彼の希望する就職先には入れなかったのでしょう。企業の人事担当者もメクラじゃないからね。半官半民の銀行に入って常に閑職にいたみたいだな。
30代後半ぐらいから躁鬱病が出てきたのか、元々そういう気質があったのかは知らないけれど、治療は医者任せで、医者の言う通り薬を飲んでいたら治ると思ったのかも知れない。自分で心を作り上げていく努力を怠ったようにも思える。それで薬でどんどん脳細胞が破壊されている感じがする。60代半ば近くになってもはやどうしようも無いですね。きっと30代後半か40代前半で、正常に戻るチャンスはあったのだろうと思うけれど、医者任せ、薬任せで、彼は自助努力の道を選ばなかったのではないかと推測します。(彼が生まれながら持っているカルマも関係しているのは私には見えているが。)彼も相手の立場ならどう感じるかという思考能力はゼロですね。
今日彼に聞きました。「気持ちが落ち着く薬は飲んで来ましたか?」と。
「もちろん飲んでいるよ!」と怒って返事が返ってきました。彼には、「薬は徐々に減らした方が良いですよ」とはアドバイス出来ない。もう手遅れですね。彼を見ていると、彼の人生はいったい何だったのだろう?とついつい思ってしまいますね。
ただ不思議だな~?と思うのは、彼のオーラが透明な感じがするんですよね。心が壊れるとそうなるのだろうか?それは悪までも私の見る感じなので、オーラを見ることの出来る人が見るとどうなのかは分からないが。私の父も亡くなる一、二年前ぐらいから呆けが始まってきたけれど、父にもそんな透明感を感じていた。父は大人しかったから問題なかったけれど。

五木寛之氏の講演会2

3/4の五木寛之氏の講演が無料のせいもあるけど、申込者が殺到したらしい。
応募者が募集人数(1200人ぐらいだったと思う)を遙かに越えて抽選になったと。で、抽選に選ばれたと、はがきが届いた。それにしても凄いね。
テーマは、「いまを生きる力」。
心の問題を求めている人が多いのだろう。そういうのを見ると、そういうニーズに応えられない天風会は教えを説いているのだろうか?教えを学んでいるのだろうか?まま疑問を感じるが、一人一人はまじめで健気なのは認めます。まあ、いつでもどこでも例外はいるけどね。教えを学んでいるのでなく、遊びのために利用している人がね。

大雑把に言って、19世紀以前は、侍は別にして、生きること、生き延びることがテーマだった。生き延びるための行為が善だった。それ故、私が今ここに存在している。
20世紀は豊かになることがテーマだった。21世紀は心を求める世紀なんでしょうね。
20世紀は国も個人も物質的豊かさを求める百年でしたが、多くの人が鬱や引きこもり、神経症、自律神経失調症、そして自殺の多発となり物質主義、快楽主義は破綻したということなんでしょうね。今も見た目の格好良さと表面上の快楽を追求する20世紀を卒業できない人が心を病んでいると言えなくもないですね。
20世紀の流れをまだ受けている多くの人が物質主義、快楽主義から離れることができないで、心の渇きを感じているが、どうして良いか分からないというのが現状かも知れませんね。それで五木寛之氏の講演会に殺到する。
五木寛之氏自身三度の鬱病にかかったと読んだことがあります。三回目はひどかったけれど、一日百項目以上の感謝ノートを書いて切り抜けたと。
確かに一部の人を除いて、宗教では人を救えないということが明確なって来ている時代なのかも知れませんね。この二千年、宗教によって救われた時代や地域はあったのだろうか?
宗教を隠れ蓑にして庶民を洗脳しての領土争い、権力争い、資源争いはまだまだ世界に多いし、科学教育を受けた先進国では証明不能の神の存在を単純に信ずることは出来ない。
他宗教や他宗派の人間を異端として殺すことは善と教わってきた長い歴史もある。そのように宗教組織の教える宗教では人類は救われない現実に直面している。ものの本によると、地獄には神父や牧師など宗教家が多いという。真理をミスリードする罪は重い。また真理という言葉を利用して自分の欲を追求した場合も罪は重い。
だから私は、勉強会で真理と思えることを伝えることに本当に緊張する。







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