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納豆

今日、護国寺で3.11応援フェアーが開かれていたので帰りに立ち寄りました。茨城の納豆、2個500円というのを買いました。小さな納豆一個250円ですよ!スーパーで買うのと違います。貧乏人の食べる納豆とは違います!他にも青豆を買いました。ご飯に入れて炊くと豆ご飯になります。でも8時間浸けていないといけないそうです。それは面倒だけど。それと漁師が船や港で食べるお好み焼きの簡単なもののようなのも買いました。
納豆は夕食で食べました。美味しいですね。普通の何倍もの価値があるかどうかは分からないけど。
今日の夕食のおかずは、なんと!その納豆と仙台の無添加梅干しと小豆島の岩のり佃煮とインスタント味噌汁だけでした。他のおかずを買いに行くのが面倒だったから。




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自分

前にも同じことを書きましたが、最近、一見正しそうなんだけど、何か変だな~?と思うことがあったのでもう一度書きますが、
(戦前が正しかったという訳ではないですが)戦後の教育で最も間違っているのは、「自分が一番大切」だという教えかも知れませんね。自分の気持ち、自分の命が一番大事だと多くの人が考えています。
「自分の気持ちが納得できないから・・云々・・」、「子供には子供の人生がある。私には私の人生がある。子供の犠牲になりたくない」(それでいて子供に、子供の将来のためと言って自分の希望を押しつける)、「自分の心を大切にして生きたい」と聞くことがままあります。それらは一見正しいです。論理的に道義的におそらく間違っていない。しかし本当にそうなのでしょうか? 
男は、誰のために、何のために死ねるかという自分の命より大切なものを自分の中にきちんと持っているのが男の定義だと私は思っています。そしてそれは決して口にすることはない。口にすると壊れてしまうものがありますが、それがそれですね。
女は、自分は自分の人生を使って誰を支えていくかというものを持っているのが女だと思いますね。
自分が自分のために生きるのは命の自己矛盾なのです。
自分の命より大切なものを持っているのが本来の日本人、そういうことなのかも?
心の病は、自分が自分の命より大切だという心から生まれるのかも知れませんね。
人のために、または自分とは違う何かのために生きている人で心の病になっている人はいない。心の病になっている人は自分の気持ち以外思考することが出来ない。
電車の中でも、喫茶店でも人の話しに耳を傾けると、ひたすら、「私は、私は、私は、私は、」のオンパレードです。その次が人の批判、悪口ですね。それでは心の病になるよね。こんなことを書くと、女から時代錯誤だと総反発を食らうかも?
でも、女は自分の命をかけて子供を産むのだから。子供を産む時は、自分の命より赤ん坊の命の方が大切だと思う女性の方が多いのではなかろうか?子供を産む時に、「赤ん坊の命はどうでも良いから私を助けて!」と叫ぶ女性はどのくらいいるのだろう?だから子供を産んだ時の満足感は男には分からない深いものがあるのではないだろうか?すべてはそれと相似形、同じです。
女は、「自分の子供ならそう思えるけど、他の人のためになんて思えない」というのも遺伝子のプログラムとしてそうなのは分かります。男は、それを自分の属している集団のためにというように範囲を拡げて考えることが出来ます。一般的にはそうですが、今はそういうことが男の意識の中に明確には存在しない。自分の勤めている会社のためならという考えはもう存在しない。それはそれで良いことだと思いますね。金銭的利益集団に命をかけてはいけない。

意見の違い

旧満州国ハルピン出身の中国人と話しました。
私、「昔、満州国というのがありました。戦争が終わった時に、多くの日本人の子供が中国人に引き取られ育てられました。それは日本人が正直でまじめによく働くというように日本人が評価されていたから、中国の人達が多くの日本人の子供を自分の子供として育てたんだと思う。」
彼女、「違う。昔の中国人はやさしかった。困った人がいたら助けずにはいられなかった。だから日本人の子供を助けた」と。
こういう意見の違いは良いですね。どっちが正しいと喧嘩する必要はない。
戦前の日本人は如何にひどいことをしていたかという中国での教育内容は信じているようでした。正直、一部そういう面もあったことは事実です。ただ残虐行為は当時すべての国でやっていたのも事実ですね。アメリカでも人種差別が公然と認められ存在していたし。黒人が白人によるリンチに会って簡単に殺されていた。
日本に来る前は日本に来るのが怖かったけど、日本に来てみると日本人はみんなやさしいと知りましたとも言っていました。
人の紹介で、(財)国家基本問題研究所というところの会員になりました。私の本来の興味はこっちなんですよね。反日教育で育った60代はどうしようもないのが多いですね。いくら時間が経っても何を言っても嫌日が変わらない。自分の国なのに。
香川県はなぜか日教組系教師がほとんどいなかったので、そういう影響を受けることが無かったのが幸いでしたね。多くの人は影響を受けているという考えさえしないで洗脳されている。




視力

視力3の人に会いました。視力が良いということは遠くのものがよく見えることだと思っていました。モンゴル遊牧民とかアフリカのマサイ族とか視力5とか6というのがあります。双眼鏡で見るよりよく見えるらしい。で、視力3とか4とかということは、遠くのものも、近くのものもよく見えるということなんだと始めて知りました。まるで顕微鏡と望遠鏡を兼ね備えた目ということですね。
それと、「付き合うのは顔が良い人にしなさい」と言われました。よく聞いていると、どうも顔かたちの整った美人ということではなさそうでした。きっと、オーラのきれいな人、透明な気が顔に出ている人という意味だったんでしょうね。その人の話しによると、どうも例え水虫程度のものであっても、それが顔に出るような意味のことを言っていましたね。「そんなもん、どうやって見るのですか?」と質問したけれど答えは貰えなかった。どうも生まれながら自然に見えるらしい。どうして?と聞いても答えは無いのかも知れない。どちらにしても今度会ったら、そこのところを詳しく聞いてみよう。見える人は恐ろしい。恐ろしいから、詳しく聞いて学ぼうとする人と、恐ろしいからその人、その事柄から逃げる人と二通りの人間がいますね。
天風先生も怖いと思うことにぶつかっていけ!と言っています。それから私も、「恐ろしいと思うものを残して死んではいけない」という考えをしています。でも女は例外。恐いと思うのには近づかない方が良いと思うな。最初怖いと思わなくても後で怖い思いをすることもあるな。
何かに怖いという気持ちを残して死ぬと、来世でそれを克服するために試練としてより大きな問題となって襲いかかって来ると思うな。とすると、来世でどんな女(達)が私に襲いかかって来るのだろう?




あららら、こんな話し知らなかった!

テキサスの親父、久しぶりに見たらこんなのがありました。

日本の種子島で日本の衛星と韓国の衛星を一緒に同じロケットで打ち上げたニュースは知っていましたが、そのロケットの打ち上げ映像をCD処理したようですね。韓国がロシア製の一段目ロケットを使って衛星の打ち上げに成功したニュースとは別物のようです。それにしてもどうしてそこまで、?マークですね。


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