エネルギー保存の法則は中学や高校の時に学んだと思います。霊的エネルギーにもそれは適用されると思うな。善因善果、悪因悪果というのは、それが現象化されたものですね。証拠を捏造して無実の人を有罪にしたり死刑にした検察検事の子や孫はどういう人生を送っているのだろう?それを見てみたい。本人は「俺は正しい!」と信じて人生を終えているのだろうから。「証拠を捏造した私が悪かった。」という告白や記録は存在しない。検察の権威のために、自分の組織のために、自分の立場のために当然ということになる。警察検察に反省と謝罪いう言葉は存在しない。そういう悪因は悪果として子孫が背負うことになるだろう。もちろん本人の来世にもね。善因善果悪因悪果はぐるぐる回っている。私はこの世でマイナスのカルマを作らないように常に意識して生きて来た。
罪人は刑務所で罪を償って出てくるけど、警察・検察は証拠を捏造して犯人でない者を犯人にしても罪に問われないで済む。魂的にはこの方が罪が重い。
キリスト教には懺悔(神に対して効くかどうかは大いに疑問だが)という手段があるが、日本にはバレていない罪に対して懺悔する方法が無い。そのマイナスのエネルギーは残ったままになる。
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